岬兄悟・大原まり子編『SFバカ本 だるま編』(廣済堂出版) 文庫版オリジナルになった、バカ本シリーズの最新刊(今回は“プラス”に相当する座談会はない)。異形コレクションに比べると、編集方針のアナーキーさが際だつ。 作品数は10作で読みやすい。廣済堂の本はキオスク等で売られることが多いので、これぐらいがちょうどよいかも知れない(反面、一般書店では在庫が少ない)。SFで“バカ”といったときには、バカバカしい、ホラである、奇想である、マッドである等さまざまな定義が考えられる。本書の中では、牧野修の「踊るバビロン」がまさに奇想SF(脚注の編集をもっと工夫して欲しいが)、岬兄悟の「薄皮一枚」がバカSFで、ともに両極北に位置する好作品。 |
ヤングアダルト特集・上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』(メディアワークス) 第4回ゲーム小説大賞<大賞>受賞作(98年2月刊)。三村美衣推薦(SFマガジン3月号)の昨年の話題作から合計4作を選んでレビューしていく、第1回目。 本書は、多くの読者から支持を集め、続編も既に複数書かれている。学園で起こった、ある1つの奇怪な事件を、複数の登場人物の視点から描くという、なかなか意欲的な構成の作品。ヤングアダルト風省略型の設定(たとえば、この“ブギーポップ”自体の説明がほとんどない)でありながら、細切れの会話の断片から、各人物の性格や雰囲気が伝わってくる点は、さすがに才能を感じさせる。人気の主因もここにあるのだろう。とはいえ、本書の事件での要である「マンティコア」や女戦士「霧間凪」のリアルさは、学園の他の人物と比べても薄く、結果的に物語の印象を薄めているようである。 |
ヤングアダルト特集・とみなが貴和『セレーネ・セイレーン』(講談社) 第5回ホワイトハート大賞<佳作>受賞作(98年9月刊)。過去にもエイミー・トムスン『ヴァーチャル・ガール』(天才科学者が恋人にするために開発した美少女ロボット)とか、タニス・リー『銀色の恋人』(歌をうたうロボットに恋した少女。本書にはこんな見方もある)とか、無数の類似作を生んだテーマでもあり、これにあえて挑戦すること自体立派ではある。内容的にも、各種コンプレックスを感じさせる登場人物を配し、ハッピーエンドと異なる展開を見せてくれる。心理描写も丁寧で、文章に破綻がない。そのせいでもないのだろうが、類書を越える要素は残念ながら見られない。新人ならではの破天荒さの不足を感じる。もっとも、評者の場合、上記作品も含めて、この類(ロボットの恋人テーマ)についてあまり高い評価をしないという、嗜好的な問題もあるので、ちょっと厳しすぎた見方かも知れません。 |
ヤングアダルト特集・岡本賢一『タイム・クラッシュ』(朝日ソノラマ) 上(97年12月)/下(98年1月)に出た本。著者の銀河冒険記シリーズの第4作目にあたる。基本的に読み切りスタイルなので、本書も単独で読むことができる。さて、この作品であるが、お話の骨格は異色の時間ものであり、冒険物語はむしろ添え物なのだ。ここで語られるのは、「本流となる時間」と「模造時間」という概念である。時間は1本の本流しかなく、無数の枝分かれはすべて模造であり、いつか消え去ってしまう。しかし、人の意識によって、その模造に現実感を与えることができ、ついには本流を破壊してしまうことさえできるようになる――といったアイデアを軸に、時間破壊をたくらむ敵との攻防が描かれる。どこかでも書いたが、時間ものには、いくつかのパターンはあっても、最新科学に基づく“正解”などはない。結果的に、何を書いても自由なのである。いかに説得力を持って書くかが課題だろう。作者は、無数の模造時間を、ある種の神経症的な繰り返しになぞらえて、「ニューロチック・ファンタジー」にあたる、としている。なるほどそうなのだろう。ただ、ちょっと同種の繰り返しが目立ち、お話として停滞気味に見えるのが残念ではある。まあ、時間ものは、そういう事態に陥りやすいのですがね。 |
ヤングアダルト特集・笹本祐一『彗星狩り』(朝日ソノラマ) 上(98年2月)/中(98年5月)/下(98年7月)に出た本。既に実績のあるベテラン作者の、星のパイロット・シリーズの第2作目。本書は読み切りではないが、単独で読める。昨年は、『夏のロケット』という話題作があったりして、ロケット小説が多く出たように思う。もっとも、野尻抱介「ロケット・ガール・シリーズ」など、ヤングアダルトのジャンルでしか読めないような、優れたロケット小説は既に多く書かれてきた。本書も、そういった、ある種のロケット・フェチ小説となっている。 民間ロケットの運航が当たり前になった時代、弱小運送会社の社長ジェニファーは、倒産した大手企業がやり残した大仕事、彗星の地球軌道運搬事業の競売に参加する。しかし、その開発権は、彗星に一番乗りした1社にだけ与えられるのだ。ライバルは、すべて大手企業、いかにして彼らは戦うのか…。 太陽系を舞台にした、ロケット・レースなんて、きわめて懐かしい、使い古したテーマだけれど、それを自動車レースやヨットレースになぞらえたりせず、ひたすら“ロケット・レース”にこだわった点を買う。最新のロケット・エンジンの知識を織り込み、ありがちな政治的、犯罪的駆け引きを最小限にとどめ、純粋技術者の夢を描きだして、読みでのあるお話となっている。とはいえ、読後の余韻を残す、何らかの薬味ももうちょっと欲しい。 |
チャールズ・ペレグリーノ『ダスト』(ソニー・マガジンズ) 昨年11月に出た本であり、既に、 「クラシックな破滅もので、アイデアは盛りだくさんだが、人間が書けておらず、小説はへたくそ」 といった定評もある(といっても、むしろアイデア面での肯定的な意見が多い)。今ごろ読んだ印象も大差ないけれど、英国作家が好んで書いた、懐かしい世界破滅ものである点は間違いがない。突然はじまった埃のような微小生物の大量発生、沈黙の広がる森、生き物の異変と大量死、そのような自然の大災害の原因は何か、巻き起こる飢餓と戦争の危機を人々はいかに乗り越えるか…、という展開である。いわゆるパニック小説は、このうちの“危機”までしか書かないため、際モノの域をでることがない。伝統的なSFである限りは、そして英国風デザスター・ノベルである限りは、その後の世界を描くこと(=世界の来たるべきビジョンを描くこと)が肝要なわけである。ただ、その点では、本書に十分な破滅後のビジョンは見えてこない。“ジェラシック・パークの原案”を創造したアイデアを賞賛する声はわかるが、小説の出来よりも、むしろそのあたりが気になる。 |