2011/6/5
|
著者はもともと映画を志していた。2001年の江戸川乱歩賞受賞後、自作ドラマ(「6時間後に君は死ぬ」)の監督をした経験も持っている。本書は、2008年から「野生時代」に連載開始する2010年までの2年間を、綿密な準備に費やして書かれた1200枚余の大作だ。実際に映像化できるかどうかはともかく、ヴィジュアルなイメージが豊富に採り入れられている点は間違いがない。
主人公は大学教授の長男で、薬学部の大学院生だった。だが、父が急逝した日からさまざまな謎が降りかかってくる。不可解なメール、起動しないパソコン、隠れ家のような実験設備、そして何者かの監視の目。やがて、彼のもとに遠くアフリカの奥地で活動するあるチームからのメッセージが届く。チームのミッションでもある「人類を揺るがす事件」と何か、そして、彼らを動かす黒幕とは一体誰なのか。冷戦時代に人類の破滅を予言したとされる、ハイズマン・レポートが描き出した存在とは。
冴えない二流学者だと思っていた父親の素顔から物語は滑り出し(頼りない大学院生と、手助けをする仲間たち)、一転、戦乱のイラクから内戦で蹂躙されるコンゴへと向かう傭兵部隊(不治の病に苦しむ長男のために、危険な仕事を引き受ける傭兵)、さらにはアメリカ政府の中枢、大統領と情報機関の幹部たち(天才的な頭脳で、不可解な作戦を導く若きリーダー)へとスケールアップしていく。一見ありふれた政治陰謀サスペンスに見えて、コアなSFで書かれてもおかしくない高度で空想的な設定へと切り替わる場面には、十分な読み応えがある。今だからこそ、一般読者であっても、この設定に違和感は感じられないだろう。
|
2011/6/12
|
SFマガジンに本書の原型が連載されたのは、2005年2月号から2006年12月号までの間だった。実際には、2008年1月号の連載36回で第1部完結とされていたので、本書に含まれるのが06年12月号分までという意味なのだろう。08年の時点でも、完結していたわけではない(この後、ミステリマガジンで『郭公の盤』の連載が始まる)。今回単行本化されるに伴い、連載時の矛盾が最小限となる全面改稿が施された(著者あとがき)。田中啓文は「人類圏」という設定で宇宙SFを書いてきたが、その集大成ともいうべき作品である。
22世紀末、人類に「最後の審判」が訪れ、過去の死者たちがすべて蘇える。その結果、人口過剰に陥った人類は、地球外の植民地へと余剰人員を次々と送り出すことになる。審判を予言したキリスト教は、唯一の宗教として君臨する。太陽系の外れで発見された巨大な生物ジャン・ゴーレは、未知の生体駆動方式でワープすることができた。人類はその死骸を改造した宇宙船で、太陽系外へと拡散していく。しかし、外宇宙は彼らに好意的ではなかった。あらゆる文明世界が人類と対立し、戦争が日常化する。ついには、ナメクジ状の有力種族との全面戦争が勃発する。
人が増えすぎた結果、人間一人に複数の魂を押し込める必要が出てくる。時間多重化された人格だ。人類発生以来のすべての人間を、限られた資源で養うのだから仕方がない。戦略上の重要拠点に投入される兵士には、ジャンヌ・ダルクや一休和尚、キレまくりの暴力団までが含まれ、そこを慰問するマジシャンがイエスでお供がユダと、破天荒な設定で物語はエスカレーションする。著者得意の駄洒落が横溢、章題は著名なSF作品から採られ、聖書の冒涜ネタも豊富(幸いキリスト教文化圏外なので笑って読めるが)。とはいえ、本書が「I」であることから分かるように、お話は未完のままだ。神の存在/意志を物語のテーマに掲げて、そもそも完結しそうに見えないところが、いかにも著者のSFらしい。
|
2011/6/19
|
『時間封鎖』(2005)で、2009年の星雲賞を受賞し(ちなみに、このシリーズの完結編とされる第3部は、7月にカナダで出版される)、わが国でも人気が高まったウィルスンの、本書は単発長編である。2002年のジョン・W・キャンベル記念賞受賞作。
2021年、20年後の未来から、未知のテクノロジーで作られた石碑が送り込まれてくる。それは都市を破壊するほど巨大なもので、見知らぬ英雄“クイン”を称える碑文が刻まれていた。形も大きさもさまざまながら、不定期に、容赦なく石碑は出現し、政治や通商を粉砕する。主人公はタイでの最初の遭遇を経て、不思議な運命に導かれながら、期限となる2041年の世界へと近づいていく。はたしてクインとは何者か/実在するのか、そして、石碑の目的とは何なのか。
設定が実にミステリアスである。何者が作ったのかも、どのように作られたかも分からない石碑が、わずか20年の未来からやってくる。しかも、碑文に書かれた人物を誰も知らない。主人公はたまたま出現に立ち会うのだが、実はそれは偶然ではない。さまざまな“運命”が絡み合い、謎めいた暗合が彼の生きざまを捻じ曲げていく。著者の他の作品にも見られるこの曖昧さは、奥行きとなる場合と、単なる韜晦としか感じられない場合があるが、本書では前者と見なせるだろう。「1つではない」時間線と、「1つに収斂してしまう」人生を、(時間+乱流から作られた)タウ・タービュランスというSF的な造語に結びつけた結末が鮮やかだ。
|
2011/6/26
|
2010年のヒューゴー賞、ネビュラ賞、キャンベル記念賞を受賞し、タイム誌の2009年小説部門トップテンにも選ばれた著者の注目作品。初長編での受賞であり、遺伝子改変による混沌とした未来を描いたことで、時代を席巻した“サイバーパンク”の原点である、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』(1984)の再来とも見做されている。著者はイタリア系の名前だが、コロラド育ちの純粋なアメリカ人。しかし、中国やアジア諸国に長期間滞在した経験があり、本書でもそれらが重要なファクターとなっている。
23世紀、遺伝子操作による生物汚染が世界を破滅させ、過去の秩序は失われている。遺伝子を独占するバイオ企業による世界支配が進む中で、タイはかろうじて独立を守っていた。しかし、違法生物を摘発する環境省と通産省との確執が、ついには大規模な内乱を誘発する事態を生む。そんな中で、日本製の遺伝子改変人類=ねじまきの主人公は、違法な存在だった。
ここで「ねじまき」とは、化石燃料エンジンが高価過ぎて使われなくなったため、バイオ的な“ぜんまい”が動力の代名詞となったことに由来する。23世紀を象徴する言葉だ。作品のエキゾチックさを増す語感がある。本書のストーリーは、政治的な抗争というより、端的に書いてしまえば“仁義なき戦い”を描いたヤクザ映画である。それぞれ暗い過去を背負った登場人物たち(主人に盲従するねじまき少女、中国人虐殺を生き抜いた老人、国民的英雄だったが故に疎まれる環境省部隊の隊長、遺伝子企業の先兵として活動する白人など)が、お互いの生命を賭けて暗闘を繰り広げる。その動機や経緯も非常に良く書けていて、読者を飽きさせない。一時期、電脳空間に対するバイオの『ニューロマンサー』はグレッグ・ベア辺りかとも思っていたのだが、四半世紀後の本書こそがすんなりとその位置に収まる。
|
|