2015/8/2
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ジョン・ヴァーリイのオリジナル傑作選。過去に出た短篇集『残像』(1978)や、『バービーはなぜ殺される』(1980)、『ブルー・シャンペン』(1986)などはすべて絶版。ハヤカワ70周年記念の復刊という意味も考慮されて、編集部によってそこから選ばれたものである。ヴァーリイ自体、94年に翻訳が出た『スチール・ビーチ』(1992)以来、21年ぶりの新刊だ。
逆行の夏(1975):水星で月から姉を迎えた主人公は、水銀洞で落盤事故に巻き込まれる さようなら、ロビンソン・クルーソー(1977):冥王星の地下に造られた、南洋の海で起こる思いがけない災厄 バービーはなぜ殺される(1978):外観を完全に同一にし、見分けがつかないカルト集団の中で殺人事件が起こる 残像(1978)*:音も光も遮断された人々が集う、ユートピアのようなコミューンで暮らした健常者の男 ブルー・シャンペン(1981):シャンペングラスのような形の宇宙プールで、主人公は著名な女優と出会う
PRESS ENTER■(1984)*:コンピュータネットを自在に操る謎の隣人の死と、そこに隠された秘密とは *新訳
ちょうど1970年代の終わりに紹介されたころ、著者の描く性、年齢(性別やエイジングは自由意思によって変えられる)、地球にさえ囚われない作品世界は、確かに新しい価値観を予感させるものだった。「逆行の夏」「さよなら、…」や「バービー…」は、そういう価値観の変動をベースに書かれている。ただ、結末は今日の作品に比べると淡泊かもしれない。一方、「残像」「ブルー・シャンペン」は五感と人間性の問題を、もっとリアルに追求している。最後の「PRESS…」は、インターネットが一般化する以前のハッカーを描いたスリラーで、今でもサスペンスフルに読める。主人公が朝鮮戦争帰りの中年、女性エンジニアが、中国系ベトナム難民(ベトナム統一直後のボートピープルは華僑が多かった)、という時代反映はある。
著者のビブリオを見ると、その前作から『スチール・ビーチ』までに8年かかっている。これで復活かと思われたのだが、次作はさらに6年後と執筆量が落ちる。未訳のシリーズ《Thunder and Lightning》が書かれるようになって以降、2-3年1作のペースに落ち着いたものの、昔ほどの存在感は無くなってしまった。ヴァーリイの翻訳は集中的に出る傾向があり、前回94年も3作(5冊)がまとめて出た。今回も、本書以外に創元SF文庫から《八世界》全作品の短篇集が出る。本書の中ではあまり目立たないが、やはりヴァーリイの良さは、地球的なイデオロギーや野心を超越した、おもちゃ箱のような宇宙ものにあるといえる。
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2015/8/9
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ブライアン・オールディスが33歳で書いた最初の長編である。原題は『ノンストップ』だが、アメリカ版は『スターシップ』の表題で知られている。スペイン語版もあり、いまだに数年周期で新版が出るなど、海外では古典として定着しているようだ。
〈居住区〉の先には、食用にもなる植物が人の背より高く生い茂っている。数百人規模の人々は、植物を刈り取りながら前進し、見捨てられた部屋を次々移りながら生活する。そんな部族が複数ある。世界はいくつもの層に分かれていおり、〈前部〉には彼らとは異なる超越的な人々が住んでいるらしい。主人公は部族の一員だったが、司祭と共に〈前部〉を目指す旅に出ることになる。
世界は船の中にある。船には他所の部族の他、巨人族、ミュータント、紛れ込む超常的な〈よそ者〉などがいる。彼らはいったい何者なのか。この船はどこを目指しているのか、船を操船するものは誰なのか、と物語は展開する。テーマ自体は、定番に近い「世代宇宙船」ものだが、最後に一ひねりがある。アイデア重視の荒い仕上がりで、物理的、物語的に多層化された構造がオープンに見えてしまう。これは後のオールディスでは、韜晦さの中に隠れてしまった特質だろう。
古い日本のファンは、SFマガジン1966年10月、11月号での伊藤典夫の記事を覚えていて、長い間幻の作品の一つと思われていた(「SFスキャナー」欄、11月はオールディス『灰色ひげ(グレイベアド)』、『終わりなき午後(地球の長い午後)』などと併せて紹介)。オールディスは一時的に話題にはなっても、純粋な新訳の出版は途絶えていた。2001年の『スーパートイズ』や、2007年の『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』は映画化絡みなのだ。本書は、そういう意味でも貴重だ。
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2015/8/12
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2099年の第1次外惑星動乱(小惑星帯以遠の外惑星連合軍と、月−地球連合の航空宇宙軍との戦争)から40年後、抜本的な戦争要因が解消しないまま、今度は戦力を蓄えた土星系の軍による戦争が再発しようとしていた。谷甲州による《航空宇宙軍史》の新作である。『終わりなき索敵』(1993)以来、22年ぶりの作品になる。SFマガジンの2010年2月号に最初の1作が載り、4年後の2014年4月以降3カ月1作のペースで書き進められ、表題作を書下ろして単行本化されたものだ。連作短編形式ながらそれぞれで完結しておらず、併せて1つの長編となっている。
ザナドゥ高地(2010):土星の衛星タイタンのプラントを査察する退役軍人の見たもの イシカリ平原(2014/4):小惑星マティルド、光学機器の研究目的で訪れた科学者は軍人のようだった
サラゴッサ・マーケット(2014/7):土星の衛星イアペトゥスのマーケットで、実現困難なサルベージの依頼がある ジュピター・サーカス(2014/10):木星の大気上層に侵入した未登録船に、巡視艇が臨検のため接近する
ギルガメッシュ要塞(2015/1):木星の衛星ガニメデ、クレータに設けられた軍事基地にハッカーが侵入を試みる ガニメデ守備隊(2015/4):ガニメデ基地を守備する准尉と、侵入者たちとの追跡と戦い
コロンビア・ゼロ(書下し):地球軌道上の基地コロンビア・ゼロに、偽装戦闘艦からの奇襲攻撃がかけられる
22年空いたのだが、その間、谷甲州は《覇者の戦塵》を書き継いでいた。当時ブームだった新ジャンル「シミュレーション戦記」の一環で出ていたものだが、次第に歴史改変ものでもスーパー兵器ものでもない、ジャンルの本流を外れた小説に変貌していく。事件や戦闘は最小限、自軍が大勝利することもない。なぜなら主人公は前線の中堅兵士で、工事現場の技術者/監督のような立場なのだ。彼らの工学屋としての判断は大勢に影響を与えないが、その積み重なりが歴史に微修正を加えていく。無数の原因が絡み合って、偶然にひとつの結果を作る、そんな現実的な物語だ。
本書も、良く似た構成になっている。密かに作られた軍事施設、過去のデータを収集する目的、謎の行動をとる未登録船、最小限の軍備を効率的に配置する土星の部隊、とこれらが最後の「コロンビア・ゼロ」に収斂する。ただし、まだ事件の端緒に過ぎない。軍事サスペンスなのに、「起」の部分だけの短篇があって、最後に至っても「転」までで「結」をオープンとする書き方がいかにも谷甲州流だ。
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2015/8/16
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日本SF大賞を2回(第33回受賞、第34回特別賞)受賞した著者の、初書き下ろし長編。普段はSFの新刊に触れることがほとんどない、山野浩一のblogでも高い評価を得ている。
主人公は地球の大学で教授の不興を買い、生まれ故郷でもある火星の病院の職に就く。そこは生命の樹の構造をした火星唯一の精神病院で、医師と薬品の不足から多忙を極めていた。意外なことに、主人公は独立した棟の責任者を命じられる。やがて、地域を巻き込む精神的な疫病の蔓延から、彼の父親が25年前に起こしたある事件の顛末が浮き上がってくる。
22世紀の火星の精神病院が舞台。主人公は精神科医ながら、脱出衝動を伴う「エクソダス症候群」を患い、薬で緩解させている。火星はインフラ開発が遅れ、乗り物は馬車、病院も治療より隔離や脳手術を優先するなど、まるで19世紀のような世界が描かれる。物語は患者との区別も難しい老棟長の登場を経て、隠された秘密の深みに嵌まっていく。火星で22世紀なのに、社会は19世紀という時点で、著者のテーマがリアルな精神医療ではなく、人間の病の本質についての独自解釈なのだと分かる。ディックの『火星のタイムスリップ』も非現実の火星だった。本書も仮想的な火星といえる。最終章が「火星の精神科医」となっているところは象徴的だ。『火星の人類学者』のもじりなのだが、同書からは人に対する共感を全く持たない患者のエピソードが引用されている。それは、本書の結末と対置されるべきものだろう。
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2015/8/23
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1887年に生まれ1936年に亡くなった、ポーランドのポー、ラヴクラフトなどといわれるグラビンスキの初紹介作である。本国でも長年忘れられていたが、戦後レムの選集(叢書)に収録されるなど再評価が進んでいる。日本では過去に短篇が1作翻訳されたのみ(1995年の『東欧怪談集』)なので、ほぼ未知の作家といってよいだろう。本書は、93年前に出た原著短篇集に2編を追加した完全版である(原著第3版で予定されながら、叶わなかったものという)。
音無しの空間(鉄道のバラッド):廃線区間の保線工夫に名乗りを上げた一人の元車掌が見たもの 汚れ男:乗客嫌いの車掌は、担当する客車を歩く汚い裸の大男を見かける 車室にて:鉄道に乗ることで見違えるほど自信家になる主人公は、同室の技師の妻を誘惑する 永遠の乗客(ユーモレスク):その男はいつも時間ぎりぎりに駅に現われ、必死になって列車に乗ろうとする 偽りの警報:重大な鉄道事故を警告する偽の情報には、奇妙な法則性があった 動きの悪魔:ヨーロッパ中を列車で彷徨う主人公が、ある列車の中で変化する車掌と会話する 機関士グロット:普仏戦争帰りの機関士は、機関車が留められることに恐怖を覚える 信号:列車がいないにもかかわらず、信号は全列車の停止を命じていた 奇妙な駅(未来の幻想):21世紀あるいは24世紀、地中海を巡る時速300キロの弾丸列車 放浪列車(鉄道の伝説):時刻表に書かれていない幽霊のような列車が、ランダムに軌条を走りすぎる 待避線:ある特定の車両に乗ると発作や自殺が増え、あるいは乗客が若返ることもあるという ウルティマ・トゥーレ:山の奥深くに小さな駅があり、未来を知ることができる男がいた シャテラの記憶痕跡:かつて駅のあった廃墟で、隣駅の駅長は信号が点灯するのを見る トンネルのもぐらの寓話:トンネルの番人を務める保線夫が、洞窟の奥で見知らぬ生き物を見つける
14編あるが、どれも短いお話だ。実話系など鉄道幽霊譚、奇譚は世に数多くある。しかし、本書には因縁話めいたものはほとんどなく、あくまでも一人の人間が堕ちこむ精神の暗がりが中心になっている。「汚れ男」「偽りの情報」「信号」「ウルティマ・トゥーレ」「シャテラの記憶痕跡」など、未来/事故を予見する物語の多さに目が惹かれる。人手に頼る昔の鉄道では、人為ミスによる大事故は珍しくなかった。そういう旅に伴う漠然とした不安感/恐怖感が、物語の背景に流れているからだろう。
この中で、「放浪列車(鉄道の伝説)」が、鉄道好きでもあった山野浩一の「X電車で行こう」とよく似ている。「X電車…」自体、主人公の閉塞感を解き放つ装置だったのだが、その役割は本作でも同様である。SF的なのは「奇妙な駅」で、オカルトめいた人間精神についての議論が面白い。
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2015/8/30
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著者は今年5月に来日し、講演やTV放映、インタビューなどで話題になった。原著が3月発売、翻訳も4月とほぼリアルタイムに出版されている。今さらなのだが、前作『わたしを離さないで』(下記)がSF、本書がファンタジイ(の体裁で書かれているもの)なので、取り上げている。著者はテーマを決めてから、逆に設定を考えるのだという。本書のテーマは『共同体の記憶』であり、コミュニティがまだ混沌としていた4〜5世紀の英国、伝説の(=実在しない)アーサー王時代が選ばれた。リアルなお話ではなく、ファンタジイである必然性はそこから生まれる。
田舎町の村で老夫婦は居場所を無くし、息子が住む近在の村に旅立つ。途中鬼に食われそうになった少年、それを助ける若い戦士と同行することになる。やがて、彼らは老いた馬を引く老騎士と出会う。騎士と話す間に、夫婦は今とは異なる自分たち思い出しそうになる。村々を覆う霧は、昔の記憶を忘れさせてしまうのだ。
霧が立ち込める世界。老騎士ガウェインはアーサー王円卓の騎士の一人で、王の甥でもある。しかし、時代は過ぎ、騎士の鎧も錆が浮いている。民を惑わす竜退治という使命があったが、巡り合えないまま勇者にも老いが忍び寄る。一方、若い戦士がもつ使命は、騎士のそれとは相いれないものだった。霧は人々の記憶を人の一生以下に縮退させる。戦士は海を渡ってきたサクソン人、夫婦と騎士は先住のブリトン人(ケルト人)だ。霧はそういう民族的な確執をも覆い隠している。だが、霧の源=忘却を断つことは、記憶=不和を蘇らせる結果になるのかもしれない。
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