2016/2/7

ミハイル・エリザーロフ『図書館大戦争』(河出書房新社)

ミハイル・エリザーロフ『図書館大戦争』(河出書房新社)
The Librarian,2007(北川和美訳)

装丁:木庭貴信(Octave)

 著者のエリザーロフは、1973年ウクライナに生まれる。声楽、哲学、映画演出を学び、兵役についた直後にソビエト連邦が崩壊(1991年)、その後ドイツ留学、カメラマンなどを経て作家となる。本書でロシア・ブッカー賞受賞。ミュージシャンでもある。モスクワ在住。

 社会主義時代の凡庸な作家グラモフの著作は、連邦が崩壊した後、大半が忘れられ処分された。だがその本には秘められた力があり、ある条件で読むことで、常人に驚異的なパワーを与えることが分かる。その秘密を知った人々は「読書室」を設け、本の蒐集にあたる。それは血で血を洗う大規模な抗争となって、彼らを駆り立てていく。

 抗争にはルールがあり、銃器を使うことはできない。ナイフやバールを手に、肉弾戦で殺し合いを演じるのだ。読書室は複数あり、合従連携謀略を尽くして、勢力の拡大/グラモフの「7つの書」のコンプリートを図る。主人公は、叔父の遺産相続のごたごたから抗争に巻き込まれてしまう。

 ソローキンもそうなのだが、「本」の奪い合いにすぎない争いが、最後は壮絶な殺戮へと連結する。これには戦慄させられる。「本」とは何か、パワーをもたらすものは善なのか悪なのか。旧来の作品なら、当然社会主義の産物=悪とするのだろう。エリザーロフの場合、そこに社会主義ソビエトに対する郷愁が加わるところがポイントだ。

 現実にあったソビエトは理想国家ではない。それが空想に過ぎないことは、著者も分かっている。しかし目標を失い、漂流するロシアやウクライナに希望はない。「7つの書」が象徴するのは、実在しなかった理想を現出させる秘儀そのものなのだ。

 

2016/2/14

ジョン・スコルジー『ロックイン−統合捜査ー』(早川書房)

ジョン・スコルジー『ロックイン−統合捜査ー』(早川書房)
Lock In,2014(内田昌之訳)

カバーイラスト:星野勝之、カバーデザイン:渡邊民人(TYPEFACE)

 著者が2014年に出した単独長編。2015年のアレックス賞を受賞、キャンベル賞、ローカス賞の最終候補にもなった。レジェンダリーTVでドラマ化されるという話もある。なお最新作は2015年に出た《老人と宇宙》の6巻目だが、これも近いうちに翻訳が出るだろう。

 近未来、ヘイデン症候群と呼ばれるパンデミックにより、意識はあるのに体が一切動かせなくなった=ロックイン患者が数百万人規模で発生する。政府は社会復帰のため大規模な予算をつけ、意識だけで動かせるある種のロボットを開発する。そんな社会で、不可解な殺人事件が発生する。

 ロボットといっても、コントロールする患者(中の人)がいるので、人工知能ロボットではない。PCなどでの、リモートログインのようなイメージだ。もう一つ、物語で重要な役割を果たす「統合者」が登場する。これが何者かは、冒頭部分で明らかにされる。両方の絡む警察ものなので、副題「統合捜査」と付けられたのだろう。

 主人公のロボット=スリープを操る新米FBI捜査官は、タバコと酒に浸り切った先輩女性捜査官と共に捜査にあたる。巨額の患者助成金とニューラルネットワーク開発企業に絡む利権、先住民に対する根源的な差別などにも踏み込み、この社会の病巣へと迫っていく。

 ヘイデン症候群は、誰でもがそうなる可能性を持つ、身体の不自由さや介護問題をスケールアップしたものだ。その結果、マイノリティに対する差別などと同等の社会的軋轢を起こすようになる。いつ自分がそうなるか分からないので、他人事ではないのだ。しかし、スコルジーは本書の主人公に、告発者の役割を負わせたわけではない。目の前の問題を冷静に片づけていく、論理的なロボット刑事といった感じに描いている。一発逆転のどんでん返しもあって、読者を飽かせない。確かにTVドラマに向いている。

 

2016/2/21

ジェイムズ・L・キャンビアス『ラグランジュ・ミッション』(早川書房)

ジェイムズ・L・キャンビアス『ラグランジュ・ミッション』(早川書房)
Corsair,2015(中原尚哉訳)

カバーイラスト:Rey.Hori、カバーデザイン:早川書房デザイン室

 キャンビアスは、本書が単行本初紹介となる(短篇ではSFマガジン2016年2月号の「契約義務」がある)。2000年にデビュー、以降20編近くの短篇を上梓したが、初長編は2014年と遅かった。しかし、ローカス賞の第1長編賞第2席に選ばれるなど、高い評価を得ている。本書は、それに続く2015年に出たばかりの第2長編だ。

 2030年、月で採取されたヘリウム3を運搬する無人輸送船に海賊衛星が接近、コントロールを奪取し目的外の海域に降下させてしまう。ヘリウム3は核融合炉の燃料になる。闇ルートを経てロンダリングすれば、少量であっても莫大な利益をもたらすのだ。一攫千金をめざす海賊に対し、アメリカ軌道軍も防衛戦を挑む。それは物理的な戦闘ではなく、ハッキング技術を駆使した情報戦なのだった。

 ネットでのクラッキングにハッキング、民間衛星の打ち上げなど、今ある技術の延長線上に書かれた「近未来テクノ・スリラー」である。また、解説で小飼弾が述べているとおり、軌道上でのIT戦争から『オービタル・クラウド』を連想する内容となっている。月面基地に人はいるが、宇宙空間の経済活動では無人機しか飛ばない。その制御を奪い合うクラッキング合戦こそ、宇宙戦争の本質なのだ。

 傲慢で、人に興味を示さないコンピュータ技術の天才は、自らを宇宙海賊ブラックと名乗り、軌道軍の妨害を出し抜いて衛星の積み荷を盗み出す。その背後では、得体のしれない組織が不気味な動きを見せる。一方、軌道軍で防衛任務に就いていた大尉は、窮屈な軍隊の制約を嫌って、独自に行動を起こす。

 物語は、そういう紋切型キャラで始まるが、しだいに剣呑で予想外の展開へと繋がっていく。主人公は、一時期知り合いだった大尉とハッカーの2人。彼らは敵味方に分かれ、お互いの弱みも見せながら物語をドライブしていくのだ。

 

2016/2/28

宮内悠介『アメリカ最後の実験』(新潮社)

宮内悠介『アメリカ最後の実験』(新潮社)

装画:柳智之、装幀:新潮社装幀室

 音楽を題材に、yom yom2013年冬号から、2014年秋号まで7回連載された7章からなる、著者の第2長編である。

 主人公はピアニストだ。失踪した父親を追うという隠れた動機を秘めて、アメリカ西海岸にある音楽学院を受験する。そこは型破りな試験で受験生を振り落としていくのだが、受験仲間の情報の中で、伝説の楽器〈パンドラ〉を操った父の影が浮上する。やがて巻き起こる連続殺人の真相とは。

 仲間にはマフィアの御曹司や、巨体でスキンヘッドの演奏家、父親と関係のある先住民保留地生まれの女がいた。〈パンドラ〉はある種のシンセサイザーで、独特の合成音を作ることができる。父親はこの楽器で評判を得たのに、生み出す音に重圧を感じ、逃げ出してしまったという。

 その一方、「アメリカ最初の実験」とメッセージが書かれた殺人事件が発生、犯人不明の殺人事件が起こるようになる。これは第2、第3の事件を引き起こしながら、「アメリカ最後の実験」に至るのだ。移民で成り立つ国家アメリカは、それ自体巨大な実験場だったのだが、この言葉の意味する実験とは何なのか。

 あるインタビューで、著者はこの物語自体を音楽のコード進行に沿って記述して見せた。そういう意味で本書は(ジャズを扱っているのだが)アドリブ的というより、とても計算された作品なのだ。音楽の持っているハード的な実験の余地を、小説の枠組みで巧みに組み替え表現しているといえる。