2017/2/5

早川書房編集部編『伊藤計劃トリビュート2』(早川書房)

早川書房編集部編『伊藤計劃トリビュート2』(早川書房)

カバーデザイン:三戸部功

 2年前に出た『伊藤計劃トリビュート』の続編。前回は劇場版アニメ『ハーモニー』や『屍者の帝国』製作開始を契機に作られたが、今回のものは、完成が大幅に遅れていた『虐殺器官』の公開に合わせて出版されたものだ。収録作家の大半が、ハヤカワSFコンテスト入選、または最終候補者で占めらている。異色のぼくのりりっくのぼうよみは、1998年生まれの若いアーティストで、1月にリリースされたアルバムNoah's Arkと共通するディストピアのイメージで作品を書いた。『虐殺器官』がらみでは〈SFマガジン2017年2月号〉ディストピアSF特集や、『すばらしい新世界』『動物農場』の新訳なども同時企画されたものだ。アメリカ新政権による将来への不安により、『1984』までが注目されたのは不気味な暗合といえるかもしれない。

・草野原々「最後にして最初のアイドル」:アイドルという妄執に囚われた少女は、意識だけを保ちながら地球生物の進化に干渉する
・ぼくのりりっくのぼうよみ「guilty」:街中の研究所で働く主人公は、同僚の恋人を無くし街の外を目指すが
・柴田勝家「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」:生まれながらにして、VRの中だけで生きる少数民族の生活とその意味
・黒石迩守「くすんだ言語」:言語の違いを克服するはずの《コミュニケーター》は思わぬ副作用を生み出す
・伏見完「あるいは呼吸する墓標」:二百年後の未来、人は欠損部分を人工化しながら生き永らえることができた
・小川哲「ゲームの王国」:ポル・ポト以前、圧政化のカンボジアでに生きる奇妙な異能者たち(未完の長編の一部)

 トリビュートといっても、伊藤計劃を意識しているのは「くすんだ言語」や「あるいは呼吸する墓標」くらいで、それ以外は独自のディストピアを描いている。「guilty」は単独作品としては、世界の成り立ちに説明不足を感じる。やはり音楽とのコラボで読むべきなのだろう。「雲南省…」はフィールド調査風で、寓話的な語りが面白い。「最後にして最初のアイドル」は、アイドルという概念の伝播が虐殺器官的と見なせなくはない。本書の中では「ゲームの王国」が半分強を占める。カンボジアのキリングフィールドを描いたSFというと、ジェフ・ライマン「征たれざる国」が思い浮かぶ。本作はもう少しシリアスな軍政下の共産党狩りや搾取、貧しい田舎での生活を織り交ぜながら、写真記憶や千里眼など人並み外れた能力者を登場させる。まだ物語の半ばで分からないが、『百年の孤独』や閻連科『愉楽』のようなお話なのかもしれない。


2017/2/12

眉村卓『終幕のゆくえ』(双葉社)

眉村卓『終幕のゆくえ』(双葉社)

カバーデザイン:長田年伸、カバーイラストレーション:ケッソクヒデキ

 昨年12月に出た著者の書下ろし短編集。前作の書下ろしショートショート集『短話ガチャンポン』から、およそ1年ぶりの作品集となる。10年前の『いいかげんワールド』(2006)あたりから、眉村卓の作品には、自身を投影した老人が主人公となる作品が多くなった。本書の中で、彼らはまさに終幕を強いられるわけだが、黙って運命を受け入れる者ばかりではない。

 記憶の中にある50年前の事件とその現場の対比、使えないままもてあました魔法のキーワード、他人が突然自分の顔になり内心をしゃべり始めるとき、体調を崩した際に書きなぐった読めないメモの意味、見知らぬ無人駅で現出する宮澤賢治の童話世界、吸収合併された会社の廃ビルで見える亡くなったはずの社長の姿、自殺を考えた主人公の前に忽然と現れる拳銃、あまりにもばかげたオバケの撃退法などなど20編を収録する。

 「幻影の攻勢」という作品がある(自身の初期長編『幻影の構成』をセルフパロディした題名だ)。その中で主人公は人類滅亡の日を事前通知するサービスを勧められ、また、ファミレスで食事中に急に周囲が老人で溢れていることを知り、かつての母校で生命進化を説明する奇妙な老人たちと出会う。本書の主人公たちは70から80歳くらいの老人で(著者は82歳)、年金は少なく仕事はあっても週に一日、電車を利用して安上がりに時間をつぶす。そこで彼らは異世界に入り込んでしまう。「真昼の送電塔」では宮澤賢治の童話が音楽となって流れ出し、目の前の送電塔が隊列を組んで行進をはじめる。そこから、主人公は異世界側に踏み込むのだ。巻末の「林翔一郎であります」では、物書きの主人公が旧友の誘いで出かけるのだが、やがてさまざまなものが欠落していくようになる。単なるデータの喪失、記憶の喪失ではなく、存在そのものが消え失せていく。あとがきで、著者は異世界とは現実に対置するものではなく、それ自体存在するものだとする。本書の中でも、異世界と現実はシームレスに繋がり、ちょっとしたことで入れ替わるのだ。


2017/2/19

つかいまこと『棄種たちの冬』(早川書房)

つかいまこと『棄種たちの冬』(早川書房)

カバーデザイン:アフターグロウ、カバーイラスト:吉川達哉

 第3回ハヤカワSFコンテストで佳作入選した つかいまこと の、受賞第1作となる書下ろし長編である。

 遠未来、地球は気候の大変動に見舞われ、生物が居住するには適さなくなった。人類の大半はデータ化された演算世界に移住し、情報的存在として生きている。一方、滅びかけた物理世界では見捨てられた人々=棄種たちが、情報世界の存在を知ることなく細々と生き残っていた。菌叢(くさむら)が一面を覆う地表で、彼らは奇怪に成長した巨大なカニなどを狩って生活している。しかし、そこにはかつて経験したことのない、長い冬が到来していた。

 まるで海のような菌叢に覆われた地表を旅する2人の少女と年下の少年と、情報世界に住みその生活に厭んだ1人の物語が、交互に並行して進められていく。情報世界の人間には死はありえない。生は永遠に続き、死は一つのコンテンツにすぎない。逆に物理世界では、生は短く、死は終わりを意味するリアルなできごとになる。そして、死はありふれている。帯にも書かれているように、この生と死の対比が本書のテーマになっている。情報世界の設定こそ今風だが、安定したエリートたちの世界と、野蛮な下層民の世界とを対照させる書き方は、ウェルズから始まったSFの伝統的なパターンを踏襲している。未来では社会が完全に2分化し、上と下しかないという世界観だ。上流と下流、文明と野蛮、夏と冬、そういう対置が物語に緊張感を生み出す。本書では、生と死がバーチャルとリアルの対立になっているところが面白い。


2017/2/26

グレッグ・イーガン『アロウズ・オブ・タイム』(早川書房)

グレッグ・イーガン『アロウズ・オブ・タイム』(早川書房)
The Arrows of Time,2013(山岸真・中村融訳)

カバーイラスト:Rey.Hori、カバーデザイン:渡邊民人(TYPEFACE)

《直交3部作》待望の完結編である。3年越しで出た原作に対し、第1部(2015年12月)から、第2部(2016年8月)、本書(2017年2月)と、ほぼ公約通りの日程で翻訳が出たのは素晴らしい。

 エネルギー問題を解決し、母星の危機回避の目途が得られた〈孤絶〉だが、6世代を経た乗員たちからはリスクを伴う母星への帰還を歓迎しない一派も現れた。さらには、未来からの通信を矛盾なく受け取れる方法が考案されると、自分たちの意志決定自体が疑われるジレンマが、乗員間の不和を生み出す。

 この3部作では、第1部の(主には)相対性理論、第2部の量子力学と、我々の宇宙と違っているといっても、現存する物理学(と書くと異論がある人もいるでしょうが)を読みかえることで理解できる概念を描いてきた。この巻では時間遡行が描かれている。確かに物理的には時間の矢(アロウズ・オブ・タイム)はどちらに飛んでも問題ない。しかし、逆の事象(矢が射手に帰ってくる)が起こる確率は非常に小さい。本書の直交宇宙では、時間の矢は両方向に流れ、場所によっては流れ方が逆転する。因果関係が逆転する光景は、とても奇妙に見える。それが、ファンタジイではないところが凄い(結末付近には、実現可能な宇宙の形まで書かれている)。また、未来の自分からのメッセージを受けとれる、決定論的な宇宙(あらかじめ自分の運命は決定済みで、自由意志などない)の打開策についても書かれているのが面白い。この3部作は思考実験そのもの(現実には存在しない物理の創造)といって良いのだが、特に最終巻はメビウスの輪のような思考の流れにめまいが起こる。