2015/12/6
|
著者の初長編ながら、英国SF協会賞、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、クラーク賞、ローカス賞(初長編賞)を受賞、他にも英国幻想文学大賞(新人賞)、キッチーズ賞(キッチュな文学に与えられる英国の賞)を受賞している。マイナーなものを含めての7冠ではあるが、それにしてもブームといって良い受賞ラッシュだ。アン・レッキ―は1966年生まれ、大学で音楽の学位はとったものの職を転々とした後、オンラインの小説サイトNaNoWriMoで書き始める。このサイトは日本でいえば(システムはだいぶ異なるが)「小説家になろう」のようなもので、プロアマを問わず複数の作家が読者の評価を受けながら、共同で長編小説を書きあげるというもの。引き続き、クラリオン・ウェストの作家養成講座でスコルジー指導の下、2006年に初短篇でデビュー、オンライン雑誌の編集、SFWAの副会長などを経て本書を出すことになる(ローカス誌2014年8月号インタビュー)。
主人公わたしは、戦闘艦の属躰(アンシラリー)である。それは4000体にも及ぶ一種の生体兵器/(精神的)屍兵で、捕虜などが個々の人格を奪われ、艦のAIとネットで同期される。一つの個性/複数の人体という集合体なのだ。銀河帝国皇帝も同じシステムで自身を複製しており、数千年に及ぶ帝政の維持が図られている。ある事件を契機に、わたしは本体の艦を失いネットから遮断される。しかし、過去に行方知れずとなった名家の副官を見つけたことで、封印されていた復讐劇が動き出す。
舞台は銀河帝国、しかし、いわゆるスペースオペラではない。本書は、わたし=ブレクの一人称で語られる。特異なのは、人物の三人称が(従来ならheであるところが)すべてsheであること、登場人物の外見や性別描写が極力排されていることだ。人物が男なのか女なのかが揺らぐ。加えて、複数人物の視点が、すべて一人の視点に収斂する。これは読み手に異様な印象を与えるだろう。そういう文体によるインパクトが、海外では大きな評価を呼んだのである。
ただ、英米のブームに比べ、日本では戸惑っている読者が多いようだ。日本語では翻訳を除いて、彼/彼女を多用する文章は少ない。その異化作用がまず薄い。日本の文章は主語が省かれることが多く、読み手が主語を勝手に類推してしまう。he/sheの置換だけでは、自動的な類推を崩す想像が難しい。それが戸惑いに繋がるのかもしれない。
|
2015/12/13
|
第3回ハヤカワSFコンテストの大賞受賞作『ユートロニカのこちら側』と、佳作『世界の涯ての夏』である。
小川哲は1986年生まれ、大学では工学部から文系(哲学)に転身、アラン・チューリングを研究対象に選び博士課程に在学中。両親がSF、ミステリの熱心な読者であったため、自身も多くの著作を読んできたという(Cakesのインタビュー記事より)。『ユートロニカのこちら側』は連作短編形式で書かれており、最初に書かれたのは、ユートピアでの殺人事件を追う刑事の話(第3章)だった。ユートロニカとは、ユートピア+エレクトロニカ(電子音楽)から作られた造語。
『ユートロニカのこちら側』:サンフランシスコの郊外に、アガスティアリゾートと呼ばれる都市が建設される。そこは見たもの聞いたものなど、全ての個人情報を企業に提供する代わりに、生活が保障されるある種のユートピアなのだ。個人の行動は事前に推測できるため、犯罪も予め抑えられる。そういった利便性は、プライバシーと引き換えに与えられる。物語は6つの章に分かれ、リゾートにかかわった人々の運命を描いている。
リゾート=楽園に憧れ、移り住んだ夫婦間に広がる精神的な亀裂(第1章)。両親の遺言により、記録された少年時代の自分を見る男(第2章)。犯行の恐れがある異常者を追う、刑事たちのジレンマ(第4章)。リゾート内で事件を起こし、システムを攪乱しようと計画する留学生の男女(第5章)。一人の牧師の下を訪れた男は、真の自由の意味を問う(第6章)。犯罪者を予防拘束するといえば、映画やTVシリーズにもなったディック「マイノリティ・リポート」があり、Google的なIT企業がプライバシーを失わさせる『ザ・サークル』、存在しなくなった都市を電脳空間に再現する『明日と明日』など、アイデア自体には先行する作品がいくつもある。しかし、本書は楽園の暗黒面を、陰謀(秘密組織や国家が黒幕)のようには描かない。その周りに住む(こちら側の)人々を点描することによって、自由意志とは何かを表現しているのだ。
つかいまことは1969年生まれ、ビデオゲーム業界で働く傍ら、『ハローサマー、グッドバイ』をイメージしながら本書を執筆した。もともと、「接続された老人」のアイデアで書き始めた短編がベースになるという(巻末のインタビュー)。世界の涯てが迫る現実世界と、老人が回想する記憶の世界とで構成された300枚強の中篇(応募当初は236枚)。
『世界の涯ての夏』:ある日地球に「世界の涯て」が出現する。それは巨大なドーム状の空間で、何ものも寄せ付けず、浸食された地表や海、都市や住民たちは永久に失われる。しかし、「涯て」を食い止める方法が見つかる。埋め込まれたセンサー「祈素」を通じて、人の記憶情報を送ってやれば、ドームの膨張は止むのである。老人の場合、それは遠い少年時代の少女との出会いを回想することなのだった。
世界にあるコンピュータ資源の半分は、記憶抽出と変換計算に費やされている。老人は古い世代の祈素を持っており、思い出す記憶も、「涯て」の影響を避けるために行われた疎開先の少年時代のものとなる。ここに、メンタルリスクを抱えたキャラクタ・デザイナーを交え、記憶の持つ意味を問う物語になっている。夏休み、田舎町、少女との淡い恋など、まさに『ハローサマー…』を語りなおす枠組みを中心に据えている。
両作品とも、とても静的な物語である(その点は、ダイナミズムに不足すると審査委員も不満のようだ)。「ユートロニカ」が崩壊するわけではなく、「世界の涯て」が消滅することもない。これは現実世界=リアルさの反映ともいえる。世界の変容は目に見えない形で、しかし止むことなく静かに進んでいって、ある日不気味な全貌を現すのだ。
|
2015/12/20
|
イーガンが『ゼンデギ』(2010)に引き続いて書いたのが、本書を始めとする《直交》3部作(2011-2013)である。ここでいう直交 Orthogonal とは、本書の場合、主人公たちの宇宙と直角に交叉する直交星群を指す。原著が3年かかって出たのに対し、翻訳は1年以内に3部作を刊行しようとしている。これまでイーガンを一手に引き受けていた山岸真に加え、中村融を共訳者に据えた強力な布陣(前半後半を分担し、全体調整は山岸真)が注目される。
別の物理法則が支配する宇宙、主人公は旧態依然の田舎から逃げ出し都会で学者の道を選ぶ。やがて、夜空に走る星の光跡から回転物理学を発表、世界的な権威となる。一方、大気と衝突する疾走星がしだいに数を増し、破滅の危機が叫ばれるようになる。主人公らは、巨大な山自体をロケットとして打ち上げ、そのロケットの産み出す時間により世界を救うことができるのではないかと考える。ロケットを時間軸に対して垂直になるまで加速すると、母星の時間は止まり、無限の時間的余裕が生まれるのだ。
主人公は人間ではない。前後2つづつの目を持ち、手足は自在に変形できる。腹部に記号や図形を描き出し、それが重要なコミュニケーション手段となる。性は男女あるが、女は男女2組の子供を産む(この男女が双と呼ばれ、通常なら生殖のペアとなる)。主人公は単独に生まれた女で、出産を抑制する薬を飲む。人類とかけ離れた生態ながら、主人公らは人間的に感情移入しやすく描かれる。人という接点がなければ、小説として成立しなくなるからだ。
『白熱光』は特殊な環境の星を舞台にしていたが、そうはいっても同じ相対論宇宙での出来事だった。本書は違う。根本的な物理法則が異なっており、相対性理論は回転物理学と呼ばれている。なぜなら、時間経過を示す方程式で、時間の二乗が距離割る光速の二乗で“引かれる”のではなく“足される”からである。そのあたりの理論的解説は、例によって著者のHPで詳細に書かれている(が、それを読んで直ちに理解できる人は少ないと思う)。巻末にある板倉充洋による解説の方が分かりやすい。本書は、ありえない世界の一端を物理現象として見せてくれる。物理法則は世界の在り方を記述する。しかし、そこを書き換えた結果、何が起こるのかをすべて予測するのは難しい。著者自身述べているように、全く異なる世界をシミュレーションするには、無限大の知見が必要になるからだ。その隙間こそ、小説が埋めるべきものだろう。前例がないわけではない。レムは架空書評集の形で書いたし、小松左京は「こういう宇宙」でその雰囲気を描いて見せた。
ところで、なぜクロックワーク・ロケットなのか。この宇宙では原理的に電子制御ができず、ロケットは機械仕掛けのみで動くこと。もう一つ、時間と空間が完全に等価であり、光速による制限がない=光速を越えられる=タイムトラベルが自在=時を動かす装置、等の連想もできるだろう。
|
2015/12/27
|
著者は1970年生まれの英国作家。本書を含め6冊の著作があるが、コミックの原作や、新聞、雑誌への寄稿も手掛ける。本書は、2007年インターゾーン誌掲載の短篇(本書の巻末に収録)を元とした長編で、英国SF協会賞を受賞したもの(アン・レッキ―と同時受賞だった)。人気を得て、現在《マカーク》三部作となっている。
イギリスとフランスが連合王国となってから100年余の未来、2059年のヨーロッパ連邦は国王暗殺テロ、中国との戦争危機を受け、にわかに不安定さを増していた。一方、世界では、仮想の第2次世界大戦を舞台とした戦争ゲームが大ヒットしている。その主人公が、不死身かつ隻眼、しかも大きな猿のパイロット=アクアク・マカークなのだ。
マカークと共に主役を務めるのは、英仏連合王国の皇太子(母である女公爵の干渉に悩む)、瀕死の事故から生還したジャーナリスト(元夫の死に疑問を抱く)、独立飛行船の提督(治外法権を許された大型飛行船の主)などなど、敵役にはお約束のように世界征服を企む巨悪が登場する。このあたりは、リアルというよりコミックの波乱万丈さで、キャラクタの陰影もあり、とても楽しく読める。
巻末の短篇を読めば、本書の由来が良く分かる。そこで、主人公となる猿のマカークは、貧しいオンライン・アニメータが生み出したキャラクターとして描かれる。マカークは金を生み出すツール/記号に過ぎないのだが、やがてリアルを侵蝕するようになる。長編となった本書は、非実在の猿がリアルを食べてしまった後の、夢の世界が舞台なのである。
|
|