2017/7/2

ルスタム・カーツ『ソヴィエト・ファンタスチカの歴史』(共和国)

ルスタム・カーツ『ソヴィエト・ファンタスチカの歴史』(共和国)
История советской фантастики,2013(梅村博昭訳)

ブックデザイン:宗利淳一

 ソヴィエト・ファンタスチカとは何か、かつて存在したソヴィエト連邦時代のSF小説のことを指す。すると、本書はSF歴史のノンフィクションなのか、というとそうではないのだ。ソヴィエト時代の政治に深い影響を及ぼした「月面開発」をテーマとする、虚実(嘘の方が多い)入り乱れるフィクションなのである。

 レーニンは月を舞台とする『赤い月』を高評価し、そのような作品を書くファンタチストの活動を厚遇した。集団の中には詩人マヤコフスキーらも含まれていた。続くスターリンも月面到達を描く『カタパルト』に傾倒、実際に月を征服するための秘密開発基地を設ける。しかし、ナチスドイツの脅威よりも基地開発を優先した結果、国土は戦火で荒れ果ててしまう。戦後、スターリンの死後フルチチョフの時代も月面到達への試みは続く。ハンガリー動乱やプラハの春といった軍事介入は、関連施設でのトラブルが契機だった。開発が停滞する中、ついにアメリカに先を越され、ソヴィエトは真実の隠ぺいに走る。開発基地での過酷な労働を描いたソルジェニーツィンや、宇宙開発の嘘を暴いたペレーヴィンらは弾圧される。

 反政府的な主張が入らない限り、ソ連と科学啓蒙を主体としたSF小説との相性は良かった。科学は国威発揚に欠かせない、それを大衆に浸透させるSFは奨励すべきものだった。とはいえ、SFが政治を左右した事実はないだろう。けれど、本書の中では違う。ソヴィエトの作家会議はSF作家(ファンタチスト)が席捲、1934年の第1回全ソ作家大会ではゴーリキーの後にウェルズが演説、英国人ハクスリー、米国人ウェインバウム(ワインボウム)やメリットも招かれる(本書では、他にも、ハインライン、サイマック(シマック)、ディックなど英米作家の名が出てくる)。ソルジェニーツィン『イワン・デニーソビッチの一日』で描かれたのが宇宙開発の基地だったり、『宇宙飛行士オモン・ラー』を書いたペレーヴィンが、アンドロポフ書記長直々に警告を受けるシーンもある。もちろん、史実にはないフィクションだ。たとえば『雨月物語』の上田秋成が反ソ的言動で発禁とあるが、江戸時代の作家が20世紀に発言するはずがない(『雨月物語』は、SF作家ストルガツキー兄弟の兄によってロシア語に翻訳されているので、このような記述が入ったのだろう)。

 本書の著者ルスタム・カーツは実在の人物ではなく、編者のロマン・アルビトマンの創作である。ソヴィエト/ロシアのSF作家に詳しくない評者などは、何が本当で何が嘘なのか判断するのも難しい。出てくる作家たちも、半分以上は虚構の存在なのである。何重にもフィクションを積み上げた本書を読むと、めまいを覚えてしまう。そもそも、編者はなぜこのような架空歴史ものを書いたのだろう。体制べったりだったソヴィエト時代のSFを批判したのか、市民生活を顧みずに宇宙開発を進めたソヴィエト政府を批判したのか、あるいは20世紀のソヴィエト/ロシア史は、結局のところSFなのだといっているのかもしれない。


2017/7/9

北野勇作『大怪獣記』(創土社)

北野勇作『大怪獣記』(創土社)

カバーイラスト:楢喜八

 4月末に出た本。創土社のクトゥルー・ミュトス・ファイルズは、大ぐくりでクトゥルーものであればOKという寛容な叢書なので、さまざまな作品が含まれている。ホラー、ミステリ、ゲームブック、SF風もあり、中にはいわゆる怪獣ものもあるわけだ。本書は、もともと角川ホラー文庫から出ていた『人面町四丁目』(2004)の続編として書かれたものだという(本書では、インスマウスを思わせる舞台の旧地名が人面町ではなく、赤虫となっている)。

 主人公は作家である。ある日映画監督と称する男から、映画の小説化を依頼される。近所の商店街を舞台にしたローカルな怪獣映画らしい。ただその映画にはまだ脚本がなく、自分が思うままに書いてくれれば良いという。脚本は豆腐屋の息子が書いており、差し出されたおからの形をした断片を食べることで、まるで脚本を読んだような気分になるのだ。

 作家は本書の著者、北野勇作を思わせる。書いている作品に怪獣そのものは登場しないものの、怪獣を深く愛する人物なのだ。住んでいる町は緑台と呼ばれる、どこにでもありそうな庶民的な町だ。過去に栄えた海辺の工場が移転し、町は少し寂れている。しかし、奇妙なことがよく起こる。商店街のクリスマスセール用に飾り付けられたサンタクロースが、生きているように動いたり、豆腐屋の水槽の中に何かえたいが知れないものがいたりする。映画監督は大勢のスタッフやエキストラを抱えるが、彼らは尋常な人間ではないのかもしれない。

 『人面町四丁目』は一貫した物語というより、異様な町の中を点描するようなお話だった。本書の場合、怪獣映画の製作がメインとなった長編である。それでも、商店街のアーケード、豆腐屋の水槽、映画セットの組まれた倉庫、ロケで使われる河川敷など、点描でエピソードを結ぶスタイルに変わりはない。ただ本書はラヴクラフトのインスマウスものと違って、怖い異様な世界を異物だとして忌み嫌ったり、排斥したりはしない。それもまた人の生き方だと容認する暖かさが、北野勇作の魅力につながる。

 本書のつくりにも工夫がある。挿絵豊富なかつての少年向け小説風で、主に1970−80年代の楢喜八のイラストも収められているなど、著者と同年代の読者にアピールする構成となっているのだ。


2017/7/16

円城塔+田辺青蛙『読書で離婚を考えた』(幻冬舎)

円城塔+田辺青蛙『読書で離婚を考えた』(幻冬舎)

カバーイラスト:唐沢なをき、ブックデザイン:川名潤

 なかなかセンセーショナルな書名である。Webサイトの幻冬舎Plusでの、2015年1月から16年9月までの連載(全40回)に加筆修正(注釈がたくさん入っている)を施したもの。作家夫婦がお互いの決めた本を薦め合って、書評を含めたエッセイをリレー形式で書くという内容である。連載当初から、お互いに文句をつけ合うやり取り(あくまでもロジカルな円城塔と、直感的な田辺青蛙とのすれ違い)が面白く評判になっていた

 吉村昭『羆嵐』とテリー・ビッスン「熊が火を発見する」から始まり、レム『ソラリス』と高見広春『バトル・ロワイアル』で終わる。そう聞くと、ある程度一貫しているようにも思えるが、実際はSF、ホラー、コミック、ダイエット、料理、折り紙、ビジネス、数学や心理学と分野は多岐にわたる。40回も続き、しかもテーマが『夫婦の相互理解』なのだから、その場の流れで内容が変化するのはやむを得ないだろう。しかも、理解が深まることはなく、上滑りすることが多いので、本にほとんど触れていない回まである。冒頭の『羆嵐』でも、羆の怖さと吉村昭の文体から入って、最後は妻の行動を熊に見立てて終わっている。本書の面白さは、そういう純粋のエッセイ部分にもある。

 各回の中身は発表まで黙っている、日常生活の中では話さない、というルールをあらかじめ作って始めた(必ずしも守られなかったようだが)。結果的に、交換日記とか、文通とよく似たスタイルになっている。ただ、ラブレターや愛の日記にはならない。お互いの好みを誤解していたとか、相手のやっていることが気に入らないとか(たとえば料理を作るのに、円城塔はレシピ通り寸分たがわず、田辺青蛙は目分量で適当に変える)、頑固な作家同士なので妥協があまりないのだ。

 円城+田辺は7年目の夫婦。ただ、数十年経過の夫婦でも、お互いの好みをよく知らないくらいはふつうだろう。相互理解は、単に気分の問題なのだと思う。深刻に考えず、お互いの領域を侵さず、相互不干渉を貫けば共存はできる。接点ゼロでは、そもそものきっかけがないので夫婦になる機会もない。しかし、興味の対象が重ならない方が、対立点が少ない分うまくいくのかもしれない。本書も、結局はそういう結論になっている。この企画は田辺青蛙が立案したもの。従業員を抱える会社の経営者でもあるので、企画提案は得意なのだろう。


2017/7/23

立川ゆかり『夢をのみ 日本SFの金字塔・光瀬龍』(ツーワンライフ)

立川ゆかり『夢をのみ 日本SFの金字塔・光瀬龍』(ツーワンライフ)

 SFマガジン2012年2月ー13年10月号まで連載された「是空の作家・光瀬龍」を改稿したものである。1928年に生まれ、99年に71歳で亡くなった光瀬龍の本格的な評伝となる。文中にある関係者へのインタビューは、連載の前2008-9年に行われたものが多く、故人のものも含まれていて貴重。また、ツーワンライフは岩手の自費出版をメインとする出版社である。本書が自費出版かどうかは分からないが、一部の書店以外には在庫がないため、注文(地方・小出版流通センター経由)かネットでの購入が必要になる。

 光瀬龍は東京に生まれ中学まで育つが、戦争疎開で両親の故郷である岩手の旧制中学に転入し卒業する。その後、東洋大、明治大に入学するもすぐに中退、再び新制高校に入学した後、東京教育大学の農学部から理学部動物学専攻に転部、卒業後に文学部哲学専攻とめまぐるしく学校を渡り歩く。ただ、戦後から50年代にかけては、そういう自由な経歴の人も珍しくなかった。著者は光瀬の書いた日記をベースに、細君となる千歳との熱愛や、初期のテーマともなる東洋的無常観、滅びゆくものの悲哀や孤独の原型となる思想を読み解く。『宇宙塵版・派遣軍帰る』のリーミンや、後の阿修羅王は、ディエンビエンフーを描いた未完の演劇シナリオに由来するという。これらは、やがて《宇宙年代記》シリーズや『百億の昼と千億の夜』といった形で結実する。光瀬が作家専業となったのは69年、以降はジュヴナイル(少年文芸作家クラブでの活動)、時代小説『寛永無明剣』などの執筆、岩手の文芸誌やカルチャーセンターでの指導へと主軸を移していく。鮮烈な宇宙ものを書いた期間は、1960年から15年間ほどだった。

 光瀬は、宇宙塵時代からの柴野拓美、今日泊亜蘭、眉村卓、SFマガジンの福島正実らと折り合いがよかった。そういう意味では、星・小松・筒井といったSF主流グループとは、すこし距離を置いて活動をしていたといえる。方向性が違っていたためか、初期にSF作家が集まって騒いだエピソードの中にも、光瀬の名前はあまり出てこない。宇宙(中国の歴史やシルクロードのイメージを反映)、昆虫(『ロン先生の虫眼鏡』など昆虫や動物などへの飽くなき好奇心)、時代小説(当初あったSF風味は薄れ、最終的な『宮本武蔵血戦録』では純粋の時代ものとなる)と、そういう独自の道を歩んだ光瀬龍の歴史が本書の中に描きだされている。

 本書の特徴は、光瀬の死後に見つかった膨大な日記や手紙類に基づいて、作家・光瀬龍/本名・千葉喜美雄の心境の変化が追えることだろう。結果として、戦前戦後からバブル末期までの、一個人の内面を垣間見ることができる。光瀬龍が、戦後日本SF史の重要な一断面であることが本書からよくわかる。バイオグラフィも分かりやすい。ただ「日本SFの金字塔」と位置づけるのであれば、個々の作品分析だけでなく既存SF作品との比較など、もう少し相対的な評価も含めるべきではないか。ビブリオグラフィ、書名・人名索引はつけて欲しかった。


2017/7/30

スタニスワフ・レム『主の変容病院・挑発』(国書刊行会)

スタニスワフ・レム『主の変容病院・挑発』(国書刊行会)
Szpital Przemienienia/Prowokacja,1955 1984 1986(関口時正訳)

装幀:下田法晴(s.f.d)、装画:Schuiten & Peters (C)Casterman S.A.

 2004年からスタートした《スタニスワフ・レム・コレクション》全6巻の、13年ぶりとなる完結編である。本書にはレムの最初の長編(幻想味の薄い普通小説ながら、いかにもレム風)と、80年代に書かれた中編級のボリュームのある架空書評、評論4編を収めている。

 1940年の2月、主人公は叔父の葬儀のため、ポーランド中部にある田舎町にやってくる。その際に、郊外にある病院の医師にならないかと誘いを受けるのだ。ポーランドは前年のわずか1か月余りの戦争に敗れ、ドイツ、ソ連に国土を分割されていた。病院は精神を病んだ患者たちが収容されている。患者以外にも、高名な詩人や、中央から逃れてきた学者もいる。外部と隔絶した世界で、個性的な医師たちや、詩人との交流を続けるうちに、やがてドイツ軍が病院の接収にあらわれる。

『主の変容病院』(単行本初版1955)は、この後続編が書かれ3部作となっている。しかし、レムは社会主義時代に当局の検閲を受けた後年の2作を評価しておらず、原型に近い本書(第1部)のみを生かしている。SFではないので、他のレムの作品とは印象が異なるのだが、本作だけを読んでも著者の個性が明瞭に浮かび上がってくる。レムが27歳の時(1948年)に、内面を吐露して書いた初めての長編だからだろう。文体の違いというのはよく分からないが、段落なくびっしりと書き込まれた精緻な描写が印象深い。国土の喪失とホロコーストという2つの暗黒面が、本書の背後に黒々と広がっている。宮内悠介『エクソダス症候群』(2015)と読み比べるのも面白いかもしれない。

『挑発』(単行本初版1984)は、架空書評集(といっても長い2編のみ)である。なぜ人類の歴史でジェノサイドが起こるのか、宗教的、種族的な理由がある過去とナチスドイツのホロコーストは何が違うのかを論じる「ジェノサイド」。人が人を機械的に殺傷するためには、それなりの信念なり妄執が必要になる。過去は大きな宗教がそれを与えたが、では20世紀以降の無差別殺戮を正当化するものは何か。もう1作「人類の一分間」は、1分間の時間の中で全地球的には何が起こっているかを説く。われわれは卑小な存在で、全地球で起こるようなスケールの物事を、本当に想像することはできない。世界を具体的に感じるための方法とは。

『二一世紀叢書』(単行本初版1986、原著には「人類の一分間」も入っている)からは、生命が生まれ存続する確率、偶然性を論じた「創造的絶滅原理 燔祭としての世界」、21世紀後半の兵器は、人工知能ではなく人工本能に基づくとする「二一世紀の兵器システム、あるいは逆さまの進化」が収録されている。前者の論点は、実は数年前に日本で出た某評論書と同じで、しかもさらにスケールアップされている。日本は30年以上遅れていたわけだ。後者は『砂漠の惑星』を思わせるメカニズムこそ、究極の兵器になりうると説く。レムのアイデアは単なる思い付きではなく、バックグラウンドを厳密に考察した結果なので、まったく侮れない。未訳の評論集の中に、どれだけのアイデアが埋もれているのかと思うと、まさに戦慄しかない。