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オムニバス短編でつづられた異世界ホラー。北野勇作独特の世界と、その暗黒面が描き出されている。 先に出た長編『ハグルマ』が電波系狂気の世界をやや踏み込んで描いていたのに対して、本書は従来の北野世界そのものが垣間見える。 たとえば、(住んでいない人には、阪神大震災以外は分かりにくいが)阪神間に実在する無数の風景と、『かめくん』以来書かれてきた北野世界が重なり合い、相乗効果による既視感が生まれている。 その街では、かつて“人面”が作られていた。 →川には中年男性の顔を持つ人面魚がおり、 →パンの耳は、昔彼が学んでいた小学校の女教師が売っていて、 →喫茶店には、バイオで作られた巨大鶏が現れ、 →街の中央を降りていくと、よく似た別の街につながる →ライブに登場する何かは、汽笛の音と共に消え去り、 →巨大土竜(モグラ)が街を破壊し、 →主人公はクローンだった(かもしれず)、 →主人公の悪口が書かれた掲示板は、工場の奥底に隠れていて、 →山上遊園には火星へと続く宇宙機があり、 →雨上がりの虹を探して川筋を辿ると、都会風狐の嫁入りに出会う 本書は都会/都市ファンタジイ(都市そのものが主人公)に近く、ユーモアを交えた文章の効果もあって、仮想都市に住むさまざまな非在の住人(人ならぬもの=妖怪変化)たちに実在感を与えているようだ。
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著者の短編集だが、一編を除いてすべて書き下ろしという珍しいスタイル。ライトノベルズ系の連作を除けば、初のSF短編集でもある。 「闇が落ちる前に、もう一度」 もし、この宇宙が“まぐれあたり”でしかないとしたら 「屋上にいるもの」 行方不明者が頻発するマンションの屋上に潜むもの 「時分割の地獄」 人工アイドルが彼女を憎悪する男と「心」の存在を議論する 「夜の顔」 この世の隙間から覗く“顔”を見た男の運命 「審判の日」 ほんの一部の人々を除いて世界から誰もいなくなったあと 何れもオリジナルなアイデアなのに、どこか懐かしい後味を残す。考えてみると、この諸作は藤子・F・不二雄のSF短編(多くは、70年代から80年代中半にわたって描かれた)と似ているのである。藤子・Fマンガは、日常の違和感から始まって、ちょっと残酷なSFネタの結末へと連なっている。その展開は、翻訳(50年代クラシック風)SFの雰囲気と、当時(昭和40年-50年代)の日本社会を同時に感じさせるという、まさに“不思議”作品集だった。本書の場合はSFの時代がアップデートされていて、ジュディス・メリルの『年刊SF傑作選』(60年代)をちょっと連想する。その分、洒落た雰囲気になっているのがよい。
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ネフィリムとは旧約聖書に現われる巨人族、ないしはカナンの地の先住民のこと(つまりユダヤ人の敵)。本書では、吸血鬼たちを指す。『ΑΩ』同様、著者得意の聖書ネタがベースにある。吸血鬼/人類/ストーカーという3種類の生物たちが、互いに殺しあうという物語だ。ここで、吸血を自ら禁じた、最強の吸血鬼の名前がヨブ(家族や肉体を、神への試練のために捧げつくす聖書の中の人物)、残虐なストーカーはJ(ジーザーズ=キリスト?)と呼ばれる。謎の少女はミカ(ミカ伝?)。ただ、本書で象徴される聖書的な暗喩の重要性は不明だし、他の自作品に対する関連となると(たとえばアンソロジイ収録作「兆」への言及などがある)なお不明である。あまり気にする必要もないかもしれない。 それまで個体数を一定以下に保ち、生態バランスを考慮していたはずの吸血鬼が急速に増殖する。危機感を持った人類は、秘密組織「コンソーシアム」を立ち上げ吸血鬼撲滅に乗り出す。吸血鬼を科学で分析し、効果的な武器を投入するのだ。しかし、吸血鬼/人類の天敵ストーカーが登場する。ストーカーは、最強の吸血鬼でさえ勝てない恐るべき存在である。少女との約束で吸血をせず、パワーの衰えたヨブに勝算はあるのか。家族を吸血鬼に殺され、復讐心に燃える男ランドルフは新兵器でどう戦うのか。 …それにしても、この結末はちょっと驚く。さらに続編が書かれるようだが。
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グアルディア(Guardia)とはスペイン語で守護者のこと。 舞台は中南米、27世紀の未来。世界は核戦争と生物化学兵器で破壊され、赤道近辺に残った都市からようやく再興が始まっている。疎んじられていた科学を保存したエスペランサは、独裁者アンヘルの指導の下、レコンキスタ(再征服)軍を組織し、グラナダ(コロンビア)、グヤナ(ベネズエラ)征服へと乗り出す。しかし、アンヘルの意図は別のところにあった。地球軌道に配置された要塞衛星サンティアゴに隠された秘密とは何か、無敵の生物兵器グアルディアとは何ものなのか。 感情過多で妙に芝居がかった台詞回しだったり、主役が誰なのかよく分からなかったり、伏線を無理やり収束させたような印象を受けたり、しかし、インタビュー記事(SFマガジン2004年10月号)を読むと、それはすべて作者の計算の範囲だったようだ。歌劇がベースにある、ヒーローは守護者JD/悪役は独裁者アンヘルだが悪役を主体に描く、未回収の伏線は残さない――ラテンアメリカ文学の影響下に書かれたという本書は、ライトノベルス風の登場人物を配しながら、複雑なプロットと重層化された真実というマジック・リアリズム的な特徴も併せ持っている。とはいえ、そこまで綿密に組まれた点が、むしろ本書の問題点なのかも知れない。つまり、独裁者(実は女性)と少年との異様な愛情関係があまりに目立ちすぎ、ヒーローJDの存在感を薄くしているし、枝葉として切り捨てられるべき部分の説明も多すぎるのである。終わりの20パーセントは、本来書かれなくてもよかった部分と思う。 本書は73年生まれの著者のデビュー作にあたる。大学の創作講座で佐藤亜紀の指導を受けた1000枚を越える大作。
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重い“観念の世界”が描かれた『妻の帝国』の、反動(バランス)として書かれたというユーモア小説。 熱帯のとある島が沈没し、その出身者の主人公は不明省と呼ばれる官庁の役人となる。折りしも東京は熱帯の温気に覆いつくされ、その熱気は奇妙な騒動を巻き起こしつつあった。あらゆる厄介な事物を不明事象として葬り去る不明省の、データベースシステム受注と開発を巡るシステムエンジニアチーム、伝統の復活と空調(エアコン)の破壊をたくらむ復古主義者たち、不明省の隠す“事象の地平”(ブラックホールのことではありません、本書の場合)を探るCIAと元KGBのスパイ、そして新天地を目指す謎の水棲人たち…と、奇怪な登場人物が入り乱れる。 それにしても、システムエンジニアの描写は、異様にリアル(官庁がらみの大型システム開発遅延の顛末など、いかにもありそう)で、しかも、ホメロスの『イリアス(トロイ戦記)』風の文体/構成で書かれており(これは本文で解説されている)、著者の好むさまざまな映画(著者サイトで1000編に及ぶ映画評が読める)からモチーフが採られるなど、実に楽しんで書かれたことが分かる。インタビューでは、単一シーン/アイデアからスタートして、極めてロジカルに物語へと展開していく著者のスタイルが読み取れる。本書も破天荒ながら、まったく浮ついていない点が最大の特徴だろう。
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