2017/8/6

大森望・日下三蔵編『行き先は特異点 年刊日本SF傑作選』(東京創元社)

大森望・日下三蔵編『行き先は特異点 年刊日本SF傑作選』(東京創元社)

Art Work:加藤直之、Cover Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 19編を収録する2016年の国内SF傑作選。《年刊日本SF傑作選》シリーズの10集目(10年目)に相当する。加えて、第8回創元SF短編賞の受賞作「七十四秒の旋律と孤独」と、選評(ミステリーズ!2017年6月号既出)を収めている。

 藤井太洋「行き先は特異点」: ドローン宅配や、完全自動運転が実現した近未来で起こる"特異点問題"/円城塔「バベル・タワー」 中世にまで遡る、由緒ある垂直移動に関わる縦籠の家と、水平移動の横箱の家が交差するとき/弐瓶勉「人形の国」*表面を外殻で覆いつくされた世界で、人形病に侵された少年は奇妙な生物/機械と知り合うが/宮内悠介「スモーク・オン・ザ・ウォーター」:隕石が東京に落ちたあと、重い病にかかっていたはずの父親が部屋からいなくなる/眉村卓「幻影の攻勢」老人となった主人公は不思議な幻影を見るようになる。博物館で、大学で、ファミレスで/石黒正数「性なる侵入」*陰毛の秘密を発見した博士の行動とは/高山羽根子「太陽の側の島」:どこかの南方の島に出征した夫と、故郷に残された妻とが交わす手紙のやりとり(第2回林芙美子文学賞受賞作)/小林泰三「玩具」遊びで突き落とした友だちが動かなくなってしまう。主人公はどうにかして生き返らそうと奮闘する/山本弘「悪夢はまだ終わらない」:配達人を装って、無防備な女性を襲う犯人による加虐行為は、いつまでも終わらないように思えた/山田胡瓜「海の住人」*:ヒューマノイドと人間とが、平等に混じり合って暮らす社会。主人公は、リゾートの海に住む人魚の正体を知る/飛浩隆「洋服」:兵器から子どもを守るため、紡がれた洋服のお話(スミダカズキの写真から、インスピレーションを得た物語)/秋永真琴「古本屋の少女」:魔法が禁止され魔術書の所持は重罪となった国で、ある古本屋に持ち込まれた本の価値とは(同前)/倉田タカシ「二本の足で」:移民を出自に持つ人々があたり前になった未来、歩くスパムメールを収集する男と人間スパムとの関係/諏訪哲史「点点点丸転転丸」:誤植で失われた「・」をめぐるリズミカルなショートショート/ 北野勇作「鰻」:女は上半身は人間なのだが、下半身が鰻なのだった。そして、首筋にはえらがある/牧野修「電波の武者」:母親は僕に向かって、電波の武者を集めヤツを止めるようにと叫ぶと糸電話の片割れを手渡す(『月世界小説』と同じ世界観で書かれたもの)/谷甲州「スティクニー備蓄基地」:火星の衛星フォボスに設けられた宇宙軍備蓄基地で異変が発生、外惑星連合による攻撃が疑われた(新《航空宇宙軍史》の一部)/上田早夕里「プテロス」:メタン渦巻く極寒の惑星には、空中を飛翔する生き物が住む。研究チームはその一種プテロスを移動手段に使っていた/酉島伝法「ブロッコリー神殿」:花粉をデフォルメしたような植物が繁茂する異世界で、ブロッコリー様が並ぶ構造を持つ植物がある
 久永実木彦「七十四秒の旋律と孤独」:空間めくりと称するある種のワープ航法は、人間の意識を静止させる。しかし、その間のセキュリティリスクを回避するため、宇宙船には1体のAIロボットが常備されていた
 *:コミック

 収録作の内訳は、SFマガジンから3編、文芸誌から4編、短編集から2編、同人誌・私家版から4編、Webから1編、PR誌等から2編、コミック3編となる。単行本アンソロジイ収録作品は対象外である(短編集は含まれる)。作品数は2015年版と同じ。(年によって異なるが)3分の1程度が、一般書店で売られていない媒体からの収録作となっている。これ以外に巻末でレコメンドされた作品数は百作強ある。ふつうの人ではフォローしきれない分量だろう。本当なら、もう数冊傑作選があっても良いボリュームだ。ただ、本書でさえ採算ぎりぎりということなので、難しいと思われる。

 本書で本格的なSFを書いたのは谷甲州、上田早夕里、新人賞の久永実木彦である。コミックの弐瓶勉もハードだ。IT系の近未来をリアルに描く藤井太洋、倉田タカシもやや変格ながらIT系といえる。牧野修や酉島伝法、円城塔はいつもの個性を感じさせる作品。一方、小林泰三、北野勇作は同人誌作品なので、ちょっとソフトな雰囲気がある。眉村卓は私的体験から出たファンタジイと言いながら、十分SFになっているのはさすがだろう。


2017/8/13

紀田順一郎『蔵書一代』(松籟社)

紀田順一郎『蔵書一代』(松籟社)

装丁:安藤紫野(こゆるぎデザイン)

 副題が「なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」。毎日新聞を始め、各所で話題になった本だ。著者は大伴昌司の友人で、荒俣宏らと雑誌「幻想と怪奇」や国書刊行会《世界幻想文学大系》を編纂、専門の書誌学だけでなく、SFやファンタジイの戦後史でも欠かせない大家である。その著者が、蔵書3万冊を処分せざるを得なくなった顛末と、日本での蔵書のありかたが語られる。

 個人による蔵書は明治の半ば以降にはじまり、和本や洋書など当時は文人、学者などに限定されていた。やがて、昭和初期の円本(廉価版の全集など)ブームを契機に一般大衆へと広がる。円本は、当時の部数で数十万部出ていて、これが蔵書の基礎となった。岩波などの文庫も内容が精選されていたため、読み捨てではなく蔵書対象となったようだ。個人の家に、たとえ数冊でも本が置かれるようになった。戦後は高度成長とともに、蔵書はコレクションへと変わる。初版本ブームなどの投機的なバブルを生み出し、バブル経済崩壊後、出版界の衰微とともに蔵書マインドも衰退したと著者は論じている。

 著者は横浜に2万冊の書架を据えた自宅があり、岡山に1万冊を移した別宅があった(1997-2011)。しかしメンテナンスコストや、加齢(蔵書処分時80歳)による体力の衰えを考えたとき、維持は困難だと判断して大半を古書市場に手放した。まとまった蔵書なのに、図書館は受け入れないのかという疑問が沸く。たしかに、各所に個性的な図書館や文学館ができたバブル時代は、作家などの蔵書を広く受け入れる余地、容れものが豊富にあった。ところが、公共予算の削減が進む現在では、増設どころか維持も難しい。高名な研究者の蔵書が廃棄されたのも、置き場に困ったからだ。無名の蔵書家の本などは、最初から対象外である。

 著者は蔵書とコレクションとを区別している。蔵書は「ジャンルを問わず、最小限のバランスの取れた普遍的な群書の形において、所蔵者の人格、人間性を表現しているもの」、コレクションは「単なるものの集積で、趣味嗜好、興味、こだわりの表現にすぎない」ただし「対象が一作家の全生涯や関係資料なら普遍性が感じられ」許容できるとする。著者は堅物ではない。蔵書の中には、SFやミステリ関係も多く含まれていた。それでも、こういう「普遍性」へのこだわりは印象的だ(著者の他の論考でも書かれている)。

 今の時代は、数千冊から数万冊クラスのサブカルもの、ジャンル小説所蔵者は結構多いと思われる。だが、死ぬまで、あるいは死後も維持できるものはほとんどないだろう。やがて散逸、廃棄の運命だ。やみくもにコレクションする前に、著者の言う「人格や人間性」「普遍性」がそこに見られるかどうか、一度考え直してみてもいいかもしれない。


2017/8/20

コードウェイナー・スミス『三惑星の探求』(早川書房)

コードウェイナー・スミス『三惑星の探求』(早川書房)
The Rediscovery of Man,1973 1993(伊藤典夫・酒井昭伸訳)
Cover:岩郷重力+N.S

 全3巻にまとめられたコードウェイナー・スミスの《人類補完機構全短篇》の最終巻。これまで原著か同人誌訳でしか読めなかった、キャッシャー・オニールものの中編とジュヌヴィーヴによるオリジナル短編が酒井昭伸訳で追加され、全短篇の翻訳がついに完結した。何しろ伝説的な著者なので、全貌が日本でも明らかになったことには、大きな意義があるだろう。

 宝石の惑星(1963/1993)*:表面至る所が宝石だらけの惑星は、生物が住むには過酷な環境だった。そこに一頭の生身の馬がいた
 嵐の惑星(1965/初)*:一歩ドームの外に出れば嵐が吹きすさぶ惑星、オニールは司政官から1人の少女を殺すよう命令される
 砂の惑星(1965/初)*:ついにオニールは追放された故郷の星に帰還、仇敵と戦う。そして、未踏の第13ナイル河を目指す巡礼の旅に出る
 三人、約束の星へ(1965/1998)*:オニールの後の時代、3人の異形の改造人間が人類の脅威となった星へと赴く
 太陽なき海に沈む(1975/初):スミスの死後、夫人ジュヌヴィーヴがオリジナルで書いた新作。人が乗れる猫が登場する
 第81Q戦争(オリジナル版)(1928)**:スミスが十代に書いた最初の作品(改稿版は第1巻に収録)、空中戦艦による戦闘で勝利するのは誰か
 西洋科学はすばらしい(1958)**:ロシアと中国の軍人たちが、中国の山中で1人の宇宙人と遭遇する
 ナンシー(1959)**:孤独な深宇宙探査をやり遂げるため、飛行士の頭脳には非常用の装置が埋め込まれた
 達磨大師の横笛(1959)**:古代中国で達磨大師が作らせた笛は、現代によみがえりさまざまな人の手に渡っていく
 アンガーヘルム(1959)**:ソ連の衛星がとらえた信号には、何者かの名前を呼ぶ謎のフレーズが隠されていた
 親友たち(1963)**:病院に収容された宇宙船の船長の話には、どこか矛盾があるようだったが
 *キャッシャー・オニール、**『第81Q戦争』(1997)で既訳、***(原著発表年/翻訳発表年)

《キャッシャー・オニール》は《人類補完機構》とは別のシリーズであり、著者の病床で書かれたものだ(1966年に没)。これらは、当時必ずしも高評価ではなかった。だが、本書で改めて読むと、絶頂期の作品群とそう変わらない印象を受ける。いかにもスミス的な美的センスに彩られた惑星世界(無機質な宝石と有機物との対照、嵐の中に棲む異形の鯱や人、砂の星にあるナイル河)や、キャラの立った魅力的な登場人物(夫人と同名の美少女や、出自が亀の下級民ながら絶大な力を持つ少女)が目を惹くからだ。

 1巻目のレビューでも書いたが、スミスの作品は一般的な小説として出来が必ずしも良くない。それは70年代に書かれたジュヌヴィーヴの「太陽なき海に沈む」を読むとよく分かる。こちらの方が登場人物の心理に深みがあり、より小説らしいからだ。しかし、スミスの人気はそういう部分にはない。読者の想像力をかきたてる独特のタームと、驚きを感じさせる残酷で非人間的な設定、素直で分かりやすい主人公たちにある。

 本書には、シリーズ外の短篇も収められている。「西洋科学はすばらしい」などは、SFやファンタジイではよくある、悪魔/宇宙人と人間とのコミカルな絡みを描く(カットナーらが書きそうな)作品なのだが、スミスはそこに国際政治ネタを交えて、ちょっと皮肉な雰囲気に仕上げている。古典的なアイデアストーリーに、一味の違いを生み出すところが作品を古びさせない魅力といえるだろう。


2017/8/27

アダム・ロバーツ『ジャック・グラス伝』(早川書房)

アダム・ロバーツ『ジャック・グラス伝』(早川書房)
Jack Glass,2012(内田昌之訳)
カバーイラスト:猫将軍、カバーデザイン:渡邊民人(TYPEFACE)

 著者は1965年生まれの英国作家。アバディーン大学卒業後、ケンブリッジ大学でPhDを取得、現職はロンドン大学教授で英文学と創作講座を担当している。アカデミックな文学者のようだが、2000年から書き始めた小説はジャンルを超越している。これまでも、クラーク賞、キャンベル記念賞、英国SF協会賞の常連候補で、本作はそのうちのキャンベル記念賞英国SF協会賞のダブル受賞作である。著作は(ペンネームを含め)30冊以上あり、日本では本書が初紹介となる。

第1部:ある小惑星に7人の刑事犯が送られてくる。最低限の資材は与えられるが、自力で水の採掘や食物の生産ができなければ、刑期を務めあげる前に全滅してしまう。少人数でも力関係から序列が出来上り、弱者は虐げられる。しかし、この中には1人の大量殺人犯が潜んでいる。
第2部:太陽系の中で序列第2位に属する名家の姉妹が、地球に所有する島に降臨する。ところが、関係者しかいないはずの島で殺人事件が発生。ミステリマニアの妹は、自分の推理により解決しようとする。ついに明かされる驚愕の真相とは。
第3部:名家の妹と召使は、とある事情から逃亡生活を送っている。誰も知らないはずの、宇宙の隠れ家にたどり着いた一行は、そこで物理的に実行不可能な殺人事件に遭遇する。いったいどんな方法で殺人は行われたのか。

 著者は謝辞の中で「本書は黄金期のSF小説と黄金期の推理小説を合体させ(中略)前者より後者に重点が置かれている」と書いている。つまり、本格的な謎解きが重点という意味だろう。具体的にはマージョリー・アリンガム、ナイオ・マーシュ、ドロシイ・セイヤーズという女流推理作家の巨匠や、新本格で知られるマイケル・イネスの名を挙げている(すべて英国作家である)。クラシックな驚天動地のトリックを、SFで蘇らせようとする意気込みがあらわれている。法月綸太郎の『ノックス・マシン』と比較してみるのも面白いだろう。

 いつとは書かれていないが、舞台は遠未来の太陽系。人類はウラノフ一族に支配され、そこを頂点とした階級社会となっている。登場人物の属する裕福な名家アージェント家も支配階級だ。しかし圧倒的多数の下層民は、宇宙の至る所に作られた環境劣悪な風船状のバブルや小惑星に住む。謎の宇宙的殺人者ジャック・グラスは、そういう硬直した体制の破壊者でもある。本書は英国内でも好評だったらしく、続編が望まれているが、著者は同様の作品を書くつもりはないようだ。

 念のために書いておくと、本書の驚天動地のトリックをハードSFネタと思うと、怒る人が出てくるかもしれない。そのかわり、イーガンが分からない人にでも理解できる。バリントン・ベイリーやダグラス・アダムスら、英国伝統の奇想SFの流れにあるという指摘は正しい。