2018/5/6

サチ・ロイド『ダークネット・ダイヴ』(東京創元社)

サチ・ロイド『ダークネット・ダイヴ』(東京創元社)
Momentum,2011(鍛冶靖子訳)

カバーイラスト:スカイエマ、カバーデザイン:波戸恵+W.I

 著者は1967年生まれの英国作家。兼業作家でこれまでに全5作品と著作は少ないが、最初の作品がコスタ賞(英国及びアイルランド作家が対象)児童書部門の最終候補になり、3作目の本書がガーディアン賞の候補となるなど高い評価を得ている。

 主人公は身分を保証された市民の一員だった。しかし、ある日アウトサイダーの少年が武装警官コサックに殺される瞬間を目撃、さらにテムズ川では葬儀の集団がヘリに襲われる中で、一人の少女と出会う。少女は下層民アウトサイダーの存亡を左右する重要な暗号を隠し持っていた。

 創元SF文庫には児童書が入ることが多いが、この場合の児童書は童話ではなくヤングアダルト向けの小説になる。本書も、主人公の男女はティーンエイジャーだ。

 舞台は近未来のロンドン、陋街(フアヴエラ)と呼ばれるスラムが広がり、エネルギー政策の失敗に起因する停電を繰り返す不安定な大都会だ。住民は特権を持つ市民と、移民などを中心とするアウトサイダーに分離されている。市民は網膜スキャンで巨大なネットワーク「家」(ジーア)に接続し、一方アウトサイダーは独自の秘密ネットワークダークネットでつながり合う。しかし治安を管轄する武装警官コサックは、その裏ネットに侵入するためのキーを狙って、主人公たちを執拗に追い詰める。

 エネルギーの枯渇、貧富の差の極大化、移民と既得権者との対立、裏表のネットワーク社会、監視に伴う警察の強権化など、近未来ディストピア的な要素に溢れている。その中で、バイクを駆る少年が秘密鍵を隠し持つ少女と出会い、ハードな冒険の旅が始まる。設定の重さに負けない、軽快な描写が印象的だ。


2018/5/13

D・H・ウィルスン&J・J・アダムズ編『スタートボタンを押してください』(東京創元社)

D・H・ウィルスン&J・J・アダムズ編『スタートボタンを押してください』(東京創元社)
Press Enter to Play,2015(中原尚哉・古沢嘉通訳)

Cover Illestration:緒賀岳志、Cover Design:岩郷重力+W.I

 3月に出た本。2015年出版のゲームSFを集めたオリジナルアンソロジイから12編(約半分)を抽出し、採録順も改めた作品集である。もともと原著の4分の1は再録だったのだが、12編のうち翻訳があったのはコリイ・ドクトロウ(SFマガジン2011年5月号)のみなので、わが国で読む分にはほぼオリジナル(新訳・初訳)といえる。

「リスポーン」桜坂洋:殺人が起こるたびに、主人公の意識は次々と別人に憑依する。「救助よろ」デヴィッド・バー・カートリー:主人公が暮らす世界は少し奇妙だ。現実の中にゲーム世界が紛れているようだった。「1アップ」ホリー・ブラック:リアルには会ったことのないゲーム仲間の一人が死ぬ。葬儀に集まった仲間の前に、不可思議な暗号が残されていたのだが。「NPC」チャールズ・ユウ:主人公はノン・プレイ・キャラクタ(ゲーム中で、人が操作しない自動キャラクタ)である。毎日決まった仕事を機械的に繰り返すだけだ。「猫の王権」チャーリー・ジェーン・アンダース:脳に障害を持つ障碍者に与えられた猫のVRマスクを被るゲームとは。「神モード」ダニエル・H.ウィルソン:メルボルンの大学でゲームを学ぶ主人公は、1人の女性と出会った結果、現実に変容が生じたことを知る。「リコイル!」ミッキー・ニールソン:深夜のゲーム会社で作業をしていた主人公は、ロシア語を話す怪しい男たちの侵入にうろたえる。「サバイバルホラー」ショーナン・マグワイア:コミックを読んでいた主人公は、従妹のともに訳の分からないゲームに巻き込まれる。「キャラクター選択」ヒュー・ハウイー:育児の傍ら、夫の遊ぶ戦闘ゲームをする主人公の遊び方は、夫とはかなり違っていた。「ツウォリア」アンディ・ウィアー:主人公の記録が、いつの間にか書き換えられている。その上、えたいの知れないAIらしきものが話しかけてくる。「アンダのゲーム」コリイ・ドクトロウ:現実では冴えない少女はゲーム中では勇者だった。ある日、その活躍にリアルマネーを支払うという申し出が入る。「時計仕掛けの兵隊」ケン・リュウ:賞金稼ぎの女は、捕えた男が作ったというテキストアドベンチャーゲームに興味を持つ。

 このうち、単行本の翻訳もあり比較的知られているのは、桜坂洋はともかく、序文を書いたアーネスト・クレイン(『レディ・プレイヤー1』)、チャールズ・ユウ(『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』)、ヒュー・ハウイー(《シルク三部作》)、アンディ・ウィアー(『火星の人』)、コリイ・ドクトロウ(『リトル・ブラザー』)、ケン・リュウ(『紙の動物園』)らになる。これ以外でも、各種SF/文学賞受賞歴があり、実績を有する作家が含まれるものの、残念ながらわが国では未紹介だ。

 ゲームそのものを扱ったというより、ゲームにまつわるさまざまなアイデアやシチュエーションを小説にした内容である。例えば桜坂洋の短編は、ふつうに読めばゲームと無関係だが、「リスポーン」というゲーム用語と同じ現象(キャラクタが死んだ位置で蘇り、ゲームが再開される)が小説で再現されているわけだ。

 最初から最後までゲーム(仮想)世界というのもあるが、作品の中には現実とのゲート(つながり)が開くものもある。「リコイル!」と「キャラクターの選択」は、別々のお話なのに結末が同じになる。しかし、意味するものは正反対で、著者の視点の差が表れたとみなせるだろう。また「アンダのゲーム」は、より具体的に社会問題を扱っている。ゲームは、序文にあるようなストレス解消から始まって、よりリアルに/人間の心理を突く方向に進化を遂げ、先月紹介した『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』のように現実と深くつながり合うようになった。もはや、切り離すのは困難なのである。


2018/5/20

山尾悠子『飛ぶ孔雀』(文藝春秋)

山尾悠子『飛ぶ孔雀』(文藝春秋)

装画:清原啓子「絵画」、装幀:大久保明子

 2013年8月、14年1月の2回にわたって〈文學界〉に分載された表題作と、続編「不燃性について」を書き下ろし追加した連作長編である。前作長編『ラピスラズリ』から15年ぶり、短篇集『歪み真珠』からでも8年ぶりの著作となる。

 シブレ山の石切り場で事故があり、その時以降、火が燃え難くなる。「飛ぶ孔雀」前半、どこかの地方都市を舞台に、さまざまで奇妙な人物がつぎつぎと点描される。後半は、中州にある庭園で真夏の夜に催される一大パレードを背景に、火を運ぶ一人の女と女子高生姉妹、それを追う赤い目をした孔雀が描かれる。「不燃性について」は、結婚したばかりの若い劇団員が、山頂にある頭骨ばかりを集めたラボへ赴任するところから始まる。そこに「飛ぶ孔雀」と共通する登場人物が絡み、えたいの知れない騒動に巻き込まれていく。

 最初の物語にあらわれるシーン抜粋は以下の通り。橋のたもとに広がるバラック、四季咲きの桜、路面電車の終点にある墓地、猛禽類が吐き出すペリットを探す国土地理院の男、火種を扱う煙草屋、山中にある広壮な邸宅、川中島の庭園で開催される大寄せ、そして、人々を招き寄せるライトアップされた夜の庭園、増殖する関守石、飛ぶ孔雀。

 2つ目の物語のシーン抜粋は以下の通り。地下3階にある公営浴場、天井を這うダクト状の送湯管、夜更けの町を縫う路面電車、ロープウェイでつながる山頂に設けられた頭骨ラボ、栽培工場の火災、噴出の止まった噴水、階段状に掘られた底にある井戸、めったに来ない富籤売り、井戸でうごめく大蛇。

 2つの物語に共通するのは、火が燃え難くなった世界(熱を持たず煮炊きにも苦労する)と、Kという登場人物である。とはいえ、Kはあくまでも狂言回しで、目的を持って行動しているようには見えない。小さなエピソードや人物が微細に関係しながらも、全体を貫くストーリーはないのだ。徐々に明らかになる舞台全体こそが、物語の主役なのだろう。

 中では、前半の女子高生の会話が著者の新機軸かもしれない。また、地下に果てしなく広がる大浴場/温水プールというイメージは、筒井康隆「エロチック街道」や北野勇作「路面電車で行く王宮と温泉の旅一泊二日」にもあったが、包み込まれる暖かさと閉塞感が併存する蠱惑的な道具立てといえる。

(もともとのblog掲載バージョン)

 二〇一三年八月、翌年一月の二回にわたって〈文學界〉に分載された表題作に、続編「不燃性について」を書き下ろし追加した連作長編である。前作長編『ラピスラズリ』から十五年ぶり、短篇集『歪み真珠』からでも八年ぶり、待望の新作となる。

 シブレ山の石切り場で事故があり、その時以降、火が燃え難くなる。

「飛ぶ孔雀」は、岡山とも京都とも知れぬどこかの地方都市を舞台に、さまざまな場所で起こる奇妙なできごとが点描される。橋のたもとに広がるバラック、四季咲きの桜、千手かんのん(観音)、路面電車の終点にある墓地、猛禽類が吐くペリットを探す国土地理院の男、火種を扱う煙草屋、山中に建つ邸宅に集う夫人たち。後半は、川中島の庭園で真夏に行われる大寄せ(ある種の祭り)に焦点が絞られる。そこでは、いくつもの草庵や屋敷、大温室に設けられた茶席があり、人々を招き寄せるライトアップされた夜の庭園と、イルミネーションに輝く一大パレードがある。裏側では、ひそかに火を運ぶ女子高生と姉が動き回る。二人は、芝生の上で増殖する関守石の異変と、赤い目をした孔雀に追われながら、最後の事件へとなだれ込む。

「不燃性について」は、じぐざぐ山に向かう男から始まる。季節は不燃の秋、舞台は「飛ぶ孔雀」とも違うどこかだ。街には、地下三階に巨大な公営浴場がある。卵を売る売店、天井を這うダクト状の送湯管、夜更けの町を縫う路面電車と闇の光景が続く。ロープウェイでつながるシビレ山の山頂には、頭骨を集めたラボがある。ここには十角形のロビーを有する、閑散としたホテルと浴場などもある。結婚したばかりの若い劇団員は、そのラボへと派遣される。加えて「飛ぶ孔雀」と共通する登場人物が絡み、えたいの知れない騒動が拡がっていく。不連続に起こる事件、栽培工場の火災、噴出の止まった噴水、階段状に掘られた底にある井戸、富籤売りから買った籤は思わぬ結果を生じ、井戸では鶏冠を持つ大蛇がうごめく。謎のような会話の数々が迷宮感を深める。地下に果てしなく広がる大浴場というイメージは、筒井康隆「エロチック街道」や北野勇作「路面電車で行く王宮と温泉の旅一泊二日」にもあったが、包み込まれる暖かさと閉塞感が併存する蠱惑的な道具立てだ。

 二つの物語に共通するのは、火が燃え難くなった世界(火が熱を持たず、煮炊きにも苦労する)と、Kという登場人物である。Kはあくまでも狂言回しで、物語を牽引するのではなく、ただひたすら流されていく。小さなエピソードや人物が微細に関係しながらも、全体を貫くストーリーはないのだ。一エピソード、一つの章、一文節ごとに凝集される創造密度の高まり、徐々に明らかになる舞台全体のありさまこそが、物語の主役となる。

 毎日新聞やダ・ヴィンチのインタビューによると、本作品は、陽を浴びると活動し日陰では動かなくなる人々を描く「向日性について」(『歪み真珠』所収)、巨大船で海を逃亡する姉妹を描く「親水性について」(〈文学ムック たべるのがおそい〉所収)と併せ、ワンセットになるという。それぞれ関連はないのだが、植物や鉱物の持つ有機的無機的な性質を、物語の世界に嵌め込んだ点が共通する。世界観を「性質」で表現するとは、まさに山尾悠子ならではの発想だろう。

(SFマガジン2018年8月号掲載バージョン)


2018/5/27

谷甲州『工作艦間宮の戦争』(早川書房)

谷甲州『工作艦間宮の戦争』(早川書房)

Cover Design:岩郷重力+Y.S、Cover Illustration:L.O.S164

 前作の『コロンビア・ゼロ』は2016年の第36回日本SF大賞を受賞しているが、本書は引き続きSFマガジンに隔号連載した5作に、表題作を書き下ろした同様の連作集になる。

スティクニー備蓄基地(2016):火星の衛星フォボスに駐留する航空宇宙軍少尉は、デブリの衝突に何か違和感を覚え調査を始める。
イカロス軌道(2016):タイタン近傍で哨戒にあたる外惑星連合軍の警備艦が、外宇宙から急速に接近する大型宇宙船を探知する。
航空宇宙軍戦略爆撃隊(2016-17):かつて外惑星動乱を予見する論文を書いた航空宇宙軍大尉は、そこに記載した戦略爆撃に準備不足のまま自ら携わることになる。
亡霊艦隊(2017):開戦の奇襲による損害から、航空宇宙軍は急速に回復しつつある。対する外惑星連合は、保有艦船をすべて投入した連合任務部隊で対抗するが。
ペルソナの影(2017):小惑星帯にあるケレスは中立だったが、近辺に何かを隠しているようだった。木星系のガニメデから連合軍准尉はさまざまな情報収集を試みる。
工作艦間宮の戦争(書下ろし):小惑星帯で、破損した艦船の修理を任務としていた航空宇宙軍工作艦間宮は、地球近傍の軌道を通る大型艦を確保するよう命令を受ける。大型艦では何が起こっているのか。

 これらの作品に共通するのは、極端な人員不足と予算不足に苦しむ軍隊である。正規の軍艦ならまだしも、急遽準備された工作艦や特設艦、備蓄基地では、限られた装備とわずか2、3人の人員で任務をこなさなければならない。この辺りは、戦闘艦に何千、何万人と溢れるほどの乗員がいる(旧大戦をそのまま宇宙に持ち込んだ)スペースオペラとは、大きく違う戦場が描かれている。

 備蓄基地では交代制の2人だけの駐留兵が対処し、タイタンの警備艇は正規の軍艦がすべて出撃した穴を埋める元輸送船にすぎず、博物館に展示してあった老朽艦は正規要員2名で運用、情報収集は人手を割けずボットの手助けを借り、重要な役目を担う工作艦はもともとダグボートなのだ。

 しかし人口密度が恐ろしく低い、空漠とした宇宙が舞台であるからこそ、そこにどろどろとした人間関係はない。非情な物理法則が大勢を決するのだ。登場する軍人は論理的な思考をするエンジニアばかりなので、自分の考えに固執するところはあるものの、感情に左右されずロジカルな思考をする。

 さて、新・航空宇宙軍戦史だが、この巻でも全く収束は見えず、まだまだ継続されそうだ。楽しみは当面続きそうである。