2013年8月、14年1月の2回にわたって〈文學界〉に分載された表題作と、続編「不燃性について」を書き下ろし追加した連作長編である。前作長編『ラピスラズリ』から15年ぶり、短篇集『歪み真珠』からでも8年ぶりの著作となる。
シブレ山の石切り場で事故があり、その時以降、火が燃え難くなる。「飛ぶ孔雀」前半、どこかの地方都市を舞台に、さまざまで奇妙な人物がつぎつぎと点描される。後半は、中州にある庭園で真夏の夜に催される一大パレードを背景に、火を運ぶ一人の女と女子高生姉妹、それを追う赤い目をした孔雀が描かれる。「不燃性について」は、結婚したばかりの若い劇団員が、山頂にある頭骨ばかりを集めたラボへ赴任するところから始まる。そこに「飛ぶ孔雀」と共通する登場人物が絡み、えたいの知れない騒動に巻き込まれていく。
最初の物語にあらわれるシーン抜粋は以下の通り。橋のたもとに広がるバラック、四季咲きの桜、路面電車の終点にある墓地、猛禽類が吐き出すペリットを探す国土地理院の男、火種を扱う煙草屋、山中にある広壮な邸宅、川中島の庭園で開催される大寄せ、そして、人々を招き寄せるライトアップされた夜の庭園、増殖する関守石、飛ぶ孔雀。
2つ目の物語のシーン抜粋は以下の通り。地下3階にある公営浴場、天井を這うダクト状の送湯管、夜更けの町を縫う路面電車、ロープウェイでつながる山頂に設けられた頭骨ラボ、栽培工場の火災、噴出の止まった噴水、階段状に掘られた底にある井戸、めったに来ない富籤売り、井戸でうごめく大蛇。
2つの物語に共通するのは、火が燃え難くなった世界(熱を持たず煮炊きにも苦労する)と、Kという登場人物である。とはいえ、Kはあくまでも狂言回しで、目的を持って行動しているようには見えない。小さなエピソードや人物が微細に関係しながらも、全体を貫くストーリーはないのだ。徐々に明らかになる舞台全体こそが、物語の主役なのだろう。
中では、前半の女子高生の会話が著者の新機軸かもしれない。また、地下に果てしなく広がる大浴場/温水プールというイメージは、筒井康隆「エロチック街道」や北野勇作「路面電車で行く王宮と温泉の旅一泊二日」にもあったが、包み込まれる暖かさと閉塞感が併存する蠱惑的な道具立てといえる。
(もともとのblog掲載バージョン)
二〇一三年八月、翌年一月の二回にわたって〈文學界〉に分載された表題作に、続編「不燃性について」を書き下ろし追加した連作長編である。前作長編『ラピスラズリ』から十五年ぶり、短篇集『歪み真珠』からでも八年ぶり、待望の新作となる。
シブレ山の石切り場で事故があり、その時以降、火が燃え難くなる。
「飛ぶ孔雀」は、岡山とも京都とも知れぬどこかの地方都市を舞台に、さまざまな場所で起こる奇妙なできごとが点描される。橋のたもとに広がるバラック、四季咲きの桜、千手かんのん(観音)、路面電車の終点にある墓地、猛禽類が吐くペリットを探す国土地理院の男、火種を扱う煙草屋、山中に建つ邸宅に集う夫人たち。後半は、川中島の庭園で真夏に行われる大寄せ(ある種の祭り)に焦点が絞られる。そこでは、いくつもの草庵や屋敷、大温室に設けられた茶席があり、人々を招き寄せるライトアップされた夜の庭園と、イルミネーションに輝く一大パレードがある。裏側では、ひそかに火を運ぶ女子高生と姉が動き回る。二人は、芝生の上で増殖する関守石の異変と、赤い目をした孔雀に追われながら、最後の事件へとなだれ込む。
「不燃性について」は、じぐざぐ山に向かう男から始まる。季節は不燃の秋、舞台は「飛ぶ孔雀」とも違うどこかだ。街には、地下三階に巨大な公営浴場がある。卵を売る売店、天井を這うダクト状の送湯管、夜更けの町を縫う路面電車と闇の光景が続く。ロープウェイでつながるシビレ山の山頂には、頭骨を集めたラボがある。ここには十角形のロビーを有する、閑散としたホテルと浴場などもある。結婚したばかりの若い劇団員は、そのラボへと派遣される。加えて「飛ぶ孔雀」と共通する登場人物が絡み、えたいの知れない騒動が拡がっていく。不連続に起こる事件、栽培工場の火災、噴出の止まった噴水、階段状に掘られた底にある井戸、富籤売りから買った籤は思わぬ結果を生じ、井戸では鶏冠を持つ大蛇がうごめく。謎のような会話の数々が迷宮感を深める。地下に果てしなく広がる大浴場というイメージは、筒井康隆「エロチック街道」や北野勇作「路面電車で行く王宮と温泉の旅一泊二日」にもあったが、包み込まれる暖かさと閉塞感が併存する蠱惑的な道具立てだ。
二つの物語に共通するのは、火が燃え難くなった世界(火が熱を持たず、煮炊きにも苦労する)と、Kという登場人物である。Kはあくまでも狂言回しで、物語を牽引するのではなく、ただひたすら流されていく。小さなエピソードや人物が微細に関係しながらも、全体を貫くストーリーはないのだ。一エピソード、一つの章、一文節ごとに凝集される創造密度の高まり、徐々に明らかになる舞台全体のありさまこそが、物語の主役となる。
毎日新聞やダ・ヴィンチのインタビューによると、本作品は、陽を浴びると活動し日陰では動かなくなる人々を描く「向日性について」(『歪み真珠』所収)、巨大船で海を逃亡する姉妹を描く「親水性について」(〈文学ムック たべるのがおそい〉所収)と併せ、ワンセットになるという。それぞれ関連はないのだが、植物や鉱物の持つ有機的無機的な性質を、物語の世界に嵌め込んだ点が共通する。世界観を「性質」で表現するとは、まさに山尾悠子ならではの発想だろう。
(SFマガジン2018年8月号掲載バージョン)