2019/3/3

藤井太洋『東京の子 』(角川書店)

藤井太洋『東京の子』(角川書店)

モデル/写真/パルクール演出:横橋春樹/橋本正輝/岡安旅人(URBAN UNION)、装丁:高柳雅人

 文芸カドカワ連載(2017/3〜12)に大幅な加筆修正を施した、藤井太洋の最新長編である。近未来というか、これはもう一つの「現在」を描いた作品といえる。2023年とすぐ目の前にある東京が舞台だが、この設定がそのまま実現するかどうかが重要なのではなく、込められた今に内在するメッセージに意味があるからだ。

 オリンピックが終わって3年が過ぎた東京。熱気は去ったものの、莫大な予算を費やす施設解体とリニューアルの工事は、300万を超す移民労働者を呼び込むきっかけにもなった。東京はますます多民族化する。主人公はかつてネットで名を馳せたパルクールの名手だったが、今では名前を変え街で失踪した外国人を探す仕事をしている。ある日彼は、ベトナム人オーナーからチェーン店の女性従業員と連絡が取れない件を引き受ける。店は、東京デュアルと呼ばれる巨大な新設大学の中にあった。ベトナム出身の女性従業員は、そこで一つの問題点を指摘するのだが。

 本書の中では、主に2つの設定が物語の中核を成している。1つは入管法改正(受け入れる技能者の範囲を大幅に緩和した、事実上の移民法)の下での東京多民族社会。もう1つは、東京デュアルと呼ばれる産学一体型のポリテクニックだ。日本でポリテクというと職業訓練校のことになるので、あまり大学というイメージがない。東京デュアルでは、構内に設けられた企業オフィスでの実務=実学と授業=学術を両立させる、ドイツ式のデュアルシステムが想定されているようだ。主人公も戸惑うが、学生たちは一般の大学とすこし雰囲気が違う。今でもパルクールの技を磨く野性的な肉体派の主人公と、会社員めいた大人しい学生たちとの対比が最後に生きてくる。

 ふつうこういう設定で書けば、現行の大学と相いれないデュアルシステムに対する否定的な見方や、移民政策に対する政治批判が物語のメッセージになるだろう。ただし、そこには今のまま何も変えたくない、よそ者は入れたくないとする感情的な保身や恐怖心があるともいえる。日本の生活水準にアジアが追い付き単一化した社会になれば、必然的に本書のような社会が出現し、教育システムも変化を強いられる。良し悪しは別にして現実に向き合うべきだと著者は述べているようだ。

 標題である「東京の子」とはどういう意味だろう。表紙にも書かれているが、東京の子はTOKYO NIPPERの直訳で、パルクールでネット視聴数を稼ぐ十代の主人公の愛称だった。しかし、当時彼は現実から逃げていた。長い間「東京の子」は隠したい過去の自分に過ぎなかった。しかし、物語の中で主人公は複数の新しい東京の子らを発見する。自らも、表舞台に戻ろうとする。


2019/3/10

櫻木みわ『うつくしい繭 』(講談社)

櫻木みわ『うつくしい繭』(講談社)

装画:ササキエイコ、装幀:坂野公一(welle desigh)

 著者はゲンロン大森望SF創作講座の受講者で、本書の収録作は3編(残り1編も受講者主体の同人誌掲載作)が課題として提出された作品をベースにしている。創作講座で書かれたある種の同人作品が、講談社からいきなり単行本で出たと評判になった。十分推敲されているとはいえ、もともとインパクトを備えていたわけである。

 苦い花と甘い花:東ティモールの貧民街に住む少女は、誰もが忘れてしまった〈声〉のささやきを聴くことができた。うつくしい繭:ラオスの奥地に、選ばれた者だけが訪問できる施設があった。傷心の主人公は偶然の引き合わせから施設で働けるようになる。マグネティック・ジャーニー:南インドでコーディネータとして働く友人を頼って、主人公は不思議な経緯から難病の治療薬を手配する。夏光結晶:沖縄の離島に住む友人を訪ねた主人公は、見知らぬ貝が育む真珠のような結晶に魅せられる。

 「苦い花と甘い花」の東ティモールは、まだ独立の混乱が残る2008年頃の設定。少女が聞く〈声〉は超自然の存在なので原始的だが、物質文明のただなかにいる金持ちにも影響を及ぼす。「うつくしい繭」の繭(コクーン)は、ある種のメディテーション装置である。だが主人公はコクーンの中で、自分のものではない様々な感情を聴く。その中には、シベリア抑留から生還した祖父までが含まれている(このシベリア抑留者の記憶は、他の作品にも現れる)。「マグネティック・ジャーニー」では、主人公はとても不合理な動機で動く。しかも、最後はヒンドゥー教の寺院へとつながっている。「夏光結晶」の真珠にも論理的な説明はない。

 東ティモール、ラオス、インド、沖縄の離島と、物語の舞台は著者の生活体験に基づく。SF創作講座なので、超常現象に説明を加えてはいるのだが、得体の知れないものの正体が明らかになることはない。ただ、それは不気味・邪悪な存在ではないのだ。この非日常的感覚と、リアルな異国の雰囲気が、著者の独特の作風を創り出している。

 同じSF賞出身の高山羽根子の世界は、どちらかといえば不条理だった(あまり説明はしない)。櫻木みわもよく似ているのだが、より感情を重視し、感覚的な意味で読者の共感を誘っている。


2019/3/17

ショーニン・マグワイア『不思議の国の少女たち』(東京創元社) ショーニン・マグワイア『トランクの中に行った双子』(東京創元社)ショーニン・マグワイア『砂糖の空から落ちてきた少女』(東京創元社)

ショーニン・マグワイア『不思議の国の少女たち』(東京創元社)
Every Heart A Doorway,2016(原島文世訳)

ショーニン・マグワイア『トランクの中に行った双子』(東京創元社)
Down Among the Stics and Bones,2017(原島文世訳)

ショーニン・マグワイア『砂糖の空から落ちてきた少女』(東京創元社)

Beneath the Sugar Sky,2018(原島文世訳)

カバーイラスト:坂本ヒメミ、カバーデザイン:藤田知子

 著者は1978年生まれ、2009年デビューの米国作家。主にアーバンファンタジイに分類される作品を書いてきた。年に3〜4冊のペースで、すでに40冊を越える著作がある。その中でも《Wayward Children》(《彷徨える子どもたちのシリーズ》、三村美衣の解説では《迷える青少年のためのホーム》)は、最初の『不思議の国の少女たち』が2017年のヒューゴー賞/ネビュラ賞/ローカス賞(中編部門)を受賞して注目を集めた作品だ。どれも薄い小冊子形式で出版されており、原著版は現在第4部まで刊行されている。

 不思議の国の少女たち:奇妙な全寮制の学校があった。広大な私有地の中にあり、ふつうの学校から落ちこぼれた少年少女を受け入れていた。ただ、彼らには共通点があった。みんな「向こう」の世界に帰りたいと願っているのだ。新入生だった主人公は仲間たちに恵まれるが、思わぬ殺人事件に巻き込まれてしまう。
 トランクの中に行った双子
:生徒たちの中で異彩を放つ双子の姉妹の物語。二人は学校に来る前、トランクの中に現れた階段を下りて、暗い荒れ果てた世界にたどり着いた経験を持つ。
 砂糖の空から落ちてきた少女
:ある日学校の池に、お菓子の国から一人の少女が落ちてくる。その子は意外な母親の名前を明かすのだが。

 「向こう」側には、妖精の棲むファンタジイ世界があったり、死者の国、ホラー的な怪物の支配地や、お菓子の国のようなおとぎ話の世界もある。論理性があるもの、ナンセンスなものなどさまざまだ。しかし、そこは訪れたものを必ず受け入れてくれる。主人公たちが感じる、居心地の悪い現実世界との大きな違いだ。だから、彼らは向こう側に戻りたいといつも思っている。たとえ確率がどんなに低くても。

 子どもの頃、物語世界にのめり込んだ読書家なら、(昔のことではあるが)本書の主人公に共感を抱くだろう。どう考えても、リアルより物語の中の方が楽しいからだ。ただ、楽しいばかりでは済まされない。本書は社会問題を直接のテーマとしたわけではないものの、(2巻目の双子の場合など)家庭内で蔑ろに/玩具にされた子どたちについての考察がある。DVとなるのは暴力だけではない。

 この3巻では最初の巻で大きな事件が起こり、2巻目でその遠因が探られ、3巻目で解決が図られる。各巻で個々の物語は完結するが、通して読むことでより全体像が明らかになる。


2019/3/24

グレッグ・イーガン『ビット・プレイヤー 』(早川書房)

グレッグ・イーガン『ビット・プレイヤー 』(早川書房)
Bit Players and Other Stories,2019(山岸真編・訳)

カバーイラスト:Rey.Hori、カバーデザイン:早川書房デザイン室

 編訳者山岸真による、本邦オリジナルのグレッグ・イーガン短編集第6弾。今回は中編クラスの6作を収めている。途中長編の紹介が続いた関係もあり、短編集としては意外にも『プランク・ダイヴ』以来7年半ぶりになる。人気の高いイーガンの場合、短編集すべてが新刊で入手可能である。新しい読者はいつでも読み始められるが、長年の読者にとって初単行本化/初紹介作は楽しみだ。

 七色覚(2014)自身の視覚インプラントをハッキングした主人公は、設定を改変することで今まで見たことのない世界を知る。不気味の谷(2017)*著名な老脚本家は、人格と記憶をアンドロイドに移植する。しかし老人の死後、アンドロイドは記憶に穴があることに気が付く。ビット・プレイヤー(2014)その世界では、根本的な物理法則、天地の関係すら主人公の常識から外れていた。失われた大陸(2008)*無法状態の故郷を脱出した主人公は、時間橋を抜けた先で難民として収容所に送り込まれる。鰐乗り(2005)「融合世界」の生活に倦んだ夫婦が、銀河中心でコミュニケーションを拒む「孤高世界」に向かおうとする。孤児惑星(2009)*どの恒星系にも属さない放浪惑星は、独自の熱源を有し生命を育んでいるようだった。*:初訳 。

 「七色覚」はイーガン得意の知覚の拡張を扱ったもの。「不気味の谷」というと人間がアンドロイドを見て感じる違和感(不気味さ)を指すが、この作品は180度ひっくり返して主人公のアンドロイドが人間に感じる不気味さを扱っている。「ビット・プレイヤー」のアイデアは他の作家も書いているものの、イーガン的な物理面からのアプローチがユニークだろう。続編、続々編もあるようだ。「失われた大陸」は時間ものという体裁を纏っているが、中身はリアルな難民問題がテーマだ。著者自身の支援体験が背後にある。「鰐乗り」「孤児惑星」は『白熱光』の世界に通じる宇宙ものだ。超未来、人々はデジタル化され、何万年もの時間を意識せず宇宙を渡っていく。

 今回の作品集では、人間の知覚、アンドロイドの意識、非現実的な物理、難民問題、遠未来/深宇宙ものとかなり多様な作品が収められている。前作品集とも異なる印象で、『ゼンデギ』や『白熱光』などの長編群と結びついている部分が多い。

 本書の解説で牧眞司は「(イーガンの作品の)出来映えは長編より短編の方がはるかに優っている」と述べ、評者も哲学的アイデアに関してはその見方は頷ける。だが、イーガンのもう一方のテーマ「特異な物理世界」は長編の方がより効果的だと思われる。短中編では、物理的な描写を十分展開する枚数に不足するからだ。本書の「ビット・プレイヤー」を見ても分かるだろう。物語を多少犠牲にしても、存分に世界観を描く作品にもイーガンの重要な一面はある。集中の半分を占める長中編(ノヴェラ)2作には、まさにその雰囲気がある。


2019/3/31

ピーター・ワッツ『巨星 』(東京創元社)

ピーター・ワッツ『巨星 ピーター・ワッツ傑作選』(東京創元社)
The Island and Other Stories,2019(島田洋一訳)

カバーイラスト=緒賀岳志、カバーデザイン=岩郷重力+W.I

 『ブラインドサイト』とその続編『エコープラクシア』で話題を浚った著者の、日本オリジナル中短編傑作選である。ピーター・ワッツの原著短編集はこれまで2冊しかなく、最新作が網羅されていない。本書は全部で11作品を収め、表題作となる予定だった(と思われる)「島」が2010年のヒューゴー賞受賞作、「遊星からの物体Xの回想」が2011年のシャーリイ・ジャクソン賞をそれぞれ受賞している。

 天使(2010) AIを備えたドローンは任務を重ねるうちに変化を遂げていく。 遊星からの物体Xの回想(2010) 南極に落ちた物体Xは、さまざまな人格に変異しながら自ら語る。神の目(2008) 飛行の安全を目的として、人々は騒音ボックスと呼ばれる装置につながれる。乱雲(1994) あるときから雲が知性を持ち、人類に害をなそうとする。肉の言葉(1994) 死の瞬間の脳活動を記録しようとする一人の科学者。帰郷(1999) 深海底で生きるため脳機能まで改変された主人公が帰還する。炎のブランド(2013) 遺伝子改変が原因で人体発火が頻発する未来。付随的被害(2016) 意識よりも早く行動できる兵士に課せられた決断の意味。ホットショット(2014) 小惑星を改造したワームホール運搬船〈エリオフォラ〉の乗る主人公は、自由意志の意味を知るために太陽近接旅行に参加する。巨星(2014) やむを得ぬ偶然で〈エリオフォラ〉は赤色巨星を直撃する衝突進路を取る。島(2009) 〈エリオフォラ〉は目的地である恒星付近から、正体不明の信号を受信する。

 オリジナル・アンソロジイ収録作が6、ウェブマガジン掲載作が2、雑誌(カナダのSF誌、文芸誌)掲載3という内訳になる。巻末の宇宙船〈エリオフォラ〉を舞台とする作品は、《サンフラワー・サイクル》と名付けられた連作で、既存4編中3編までが訳出されている。

 人間と異なる価値観を持つAI、人に化けている異星の知性(ジョン・カーペンター版映画『物体X』に準拠)、意識を遮断する装置、雲に知性があるなど不条理な世界、死の記録、人体と共に脳の改変、遺伝子改変、無意識の意識に対する優先などなど、共感や同情を一切拒絶する設定といえる。ふつうの小説では、設定がいかに非人間的でも、登場人物には(いくばくかの)共感の余地がある。それがないのは、著者の考え方(人間に自由意志など存在しない、世界はデジタル計算機の計算結果にすぎない)を反映した意図的な効果なのだ。好悪は別にして、これこそが著者の特徴といえる。

 その中で、ヒューゴー賞を取った「島」では、他の作品より濃厚な人間関係が描かれている。〈エリオフォラ〉はワームホールを設置して回るのだが、設置船自体は亜光速で飛ぶしかない。その旅の過程で十億年の歳月が流れ、人類とはもはや越えがたい隔絶がある。主人公は、そこで遺伝子的な息子により覚醒させられる。息子は船のAIの言いなりだが、しだいに母である主人公の声にも耳を傾けるようになる。AIは主人公の指示には従わない。加えて、未知の知性が接近してくる。過度に反抗的な人物に描かれるが、この主人公には感情移入の余地があるだろう。