2009/4/5
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ナンシー・クレス『ベガーズ・イン・スペイン』(早川書房)
Beggars in Spain and Other Stories,2009(金子司・他訳)
Cover Illustration:Stephen Martiniere、Cover Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。
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<プロバビリティ3部作>が先行して刊行された、ナンシー・クレスの日本オリジナル作品集。著者は1948年生まれ、仕事の傍ら執筆活動を続け、90年から専業作家となった。受賞多数のベテラン作家で、特に短編が多いのが特徴。日本でも、20年前から断片的に紹介されてきた。表題作を除けば、SFマガジンで掲載されてきた中からの収録が主だ。ネビュラ賞受賞作の「彼方には輝く星々」(1985)*も、かつてヒューゴー・ネビュラ賞特集(1987年1月号)で翻訳されているが、本書には含まれていない。
*…4/5掲載時点で「密告者」と記載しましたが、「彼方には輝く星々」の間違いです
ベガーズ・イン・スペイン(1991)**:遺伝子改変により“眠らない”特質を与えられた子供たちの運命
眠る犬(1999):眠らない犬は万能の番犬になるのか、上記テーマの裏面を描くもうひとつの物語
戦争と芸術(2007):英雄の母親と腑抜けの息子、その息子が発見した異星人芸術の秘密とは
密告者(1996):罪を負い、現実から排除された主人公に科せられた仕事とは(『プロバビリティ・ムーン』の原型)
想い出に祈りを(1988):記憶を消去することが長命に繋がる未来、親子で交わされた会話の意味
ケイシーの帝国(1981):学問を捨て、SF作家を職業に選ぼうとしたケイシーが遭遇する苦難と奇妙な結末
ダンシング・オン・エア(1993):能力強化により、常人を超えた技術を駆使するバレリーナたちの秘密
**…初訳
スペインの物乞い(ベガーズ・イン・スペイン)とは、貧しいスペインにたむろする物乞い一人一人に、(いくら金持ちであっても)施しを与え続けることは出来ない=施しは平等にはできない、という意味になる。遺伝子改変が、親の資力によって自由に行えるようになった未来、子供たちの自由意志/親子の関係、そもそも社会の平等は保たれるのか―という、トラディショナルな問題定義と、90年代からのナノテクによる生命改変テーマを融合した作品になる。親子の確執(親は子供により良い環境を与えようとする、子供は親から解き放たれたい)が、ナノテク時代になり、子供の容姿や知能(果ては、本書のように人を凌駕する能力)まで自在となったらどうなるのか、本書の中で「ベガーズ…」「眠る犬」「想い出に…」「ダンシング…」等で追求されるテーマがそれだ。宇宙SF「戦争と芸術」にまで、親子関係が出てくるのが面白い。不運なSFファンの皮肉な運命を描く「ケイシーの帝国」は、(ファンなら)ちょっと考えてしまう作品。
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2009/4/12
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「アッチェレランド」とは、音楽用語で“だんだん速く”の意味で、もともとはイタリア語だ。本書は、その言葉を人類の進化(シンギュラリティ=特異点への到達とその後)に当て嵌めている。1つの長編として読めるのだが、9つの短編からなるオムニバス構成で書かれている。あまりに難解なため、(構成される短編を含めて)一度もメジャーな賞を受賞していないという曰くつきの大著(唯一の例外がローカス賞)。
甲殻類(2001):主人公はアムステルダムで、アップロードされたAI=ロブスターと接触する
創作家(2001):2010年代、妻との離婚訴訟を抱えながら、恵与経済を実践する主人公
観光客(2002):2020年代、記憶を失った主人公は、わずか3光年から送られる信号の存在を知る
演算暈(2002):2030年代、母親を出し抜いた主人公の娘は、木星圏で帝国を樹立する
中継機(2002):2040年代、3光年の彼方を目指す恒星船の背後で、人類は未曾有の技術発展を遂げている
黄昏時(2003):2050-60年代、シンギュラリティ直後、異種知性とのDMZに赴いた娘の見たもの
管理者(2003):2070年代、ポストヒューマン、AI、非人類哺乳類、そしてヒトが共存する太陽系の世界
有権者(未発表):2080年代、土星圏に復元されたブリュッセルで、娘、父、孫たちが出会う
生存者(2004):さらに数百年以上の時間経過後、褐色矮星系に作られた新しい生命圏で復元された主人公
以上は、アイザック・アシモフズSFマガジン誌に発表したものを加筆・改稿したもの
著者はオープンソース・プログラマーでもあるため、本書もまたオープンソースとして公開されている(下記サイト)。シンギュラリティとは、人類の知能が不連続に変化する瞬間(特異点)を意味する。それ以降、旧来の文明や社会は大きく変貌し、全く新しい(旧人類には想像もつかない)世界が生まれてくる。提唱者であるヴァーナー・ヴィンジらが想定したイメージは、多分に情報社会を意識したものだったのだが、ストロス自身が現場の人であることから、本書で描かれる展開には、情報用語がガジェット風にちりばめらられている。専門用語をSF用語のように使うことで、エキゾチックな効果を上げているわけだ。本書は、オープンソースと新しい経済概念(恵与経済=知的所有権を無償で提供する代わりに、相当の物理的支援を受ける)の担い手である、主人公/2人のパートナー/娘/娘の子供/さらにその子供、という一族(ハウス・オブ・オープンソース?)の物語でもある。
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2009/4/19
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「想像力の文学」第1回配本のもう1冊、第23回太宰治賞を受賞した瀬川深の初長編が本書。
水産会社社長の気まぐれから、FMラジオ局“ミサキラヂオ”が、工場の裏手でひっそりと開設される。地方の田舎町のこと、放送エリアも狭く、スタッフも素人ばかり。しかし、ラジオの電波は思わぬ人々を結び付けていく。落ちこぼれのフリーターがDJに、都会の煩わしさから逃れてきた録音技師、時代小説を書く土産物屋の店主は自作を朗読し、音楽教師はマニアックなクラシックを流す。演歌番組を老人ホームからラブホテルまで手広く商売する地元の事業家が提供、引きこもりの女性は斬新な音楽のコラージュを、高校生の少女や農業を営む青年は素直な詩作を披露する。
時代は2050年、三浦半島を想定した架空の地方都市「ミサキ」を舞台に物語は書かれている。不思議なことに、FM放送の電波は均一に流れない。時差を伴って、聞くところにより何週間もの食い違いが生じる。物語の中で、この謎に対する解は明らかにされない。著者のインタビュー記事(STRANGE
FICTION、SFマガジン5月臨時増刊号)によると、本書の日本は2050年まで停滞の時代に入っている(だから、テクノロジーや暮らしに変化がない)、また、謎が隠されたままなのは、解明されないものを置くことで、より現実の世界に対するリアリティを高めたいからなのだという。とはいえ、作品中でそういう意図が分かりにくいのも事実だろう(あえて40年後にする必然性もない)。文章は段落が少なく高密度に書かれているが、リズムがあり大変読みやすい。
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2009/4/26
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2007年のヒューゴー賞、ローカス賞を受賞したヴィンジの長編である。
2030年、アルツハイマーによる深刻な痴呆状態から、最新の治療を経て主人公が意識を取り戻す。知能も肉体も老人から若者へと変貌し、第2の人生を歩めるようになったのだ。しかし、高名な詩人だった彼には、身勝手な性格から家族や友人関係を破綻させてきた経緯がある。書物や文字のみによるコミュニケーションが極めてマイナーになった社会、折りしも、残された図書館の書物を破砕してアーカイブ化しようとする動きを阻止する騒動と、世界を震撼させるバイオ汚染を引き起こす陰謀とが密かに進められようとしていた。
先週の『ミサキラヂオ』が現在と変わらない未来を志向したのに比べて、本書は“拡張現実(AR、VR)”を究極に推し進めていった社会が描かれている。現実の視界にいくつもの情報のレイヤー(階層)が被せられるのだが、それは単なる情報ではなく物理的な破壊力も有している。文字に固執する主人公も、否応なしに孫世代の少年・少女たちと、情報戦争に巻き込まれていく。さて、本書も既存のヴィンジ作品と同様、さまざまな伏線を持っている。傲慢で家族と離反した老人が若者に戻って孫との交流を深めるお話、日米欧の諜報機関と謎のハッカーとの戦い、焚書に対抗する(主人公と同様)回春治療を受けた老人たち、という主に3つの流れだ。今回はシンギュラリティとはあまり関係がなく、地球の中だけで物語は完結する。20年後の社会を舞台にしており、まずまず納得がいく展開だろう。ちょっと情報関係の説明が読みにくいのが難点。
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