2010/12/5

Amazon『人生の奇跡 J・G・バラード自伝』(東京創元社)

J・G・バラード『人生の奇跡 J・G・バラード自伝』(東京創元社)
Miracles of Life,2008(柳下毅一郎訳)

Cover Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 2009年4月に79歳で亡くなった、戦後20世紀の偉大な英国作家にして、21世紀の預言者J・G・バラードの自伝である。

 バラードは1930年、当時列強諸国が治外法権を確立していた、中国上海の共同租界で生まれた。郊外では戦闘が絶えず、大量の難民が発生していた。死と病、貧困、暴力が当たり前のように遍在した。しかし、租界内は裕福な欧米人による画然とした階級社会が築かれ、日常生活が維持できていた。やがて、ヨーロッパの戦争が彼らの社会にも及び、連合国側の市民も強制収容所に移される。バラードは少年の視点でその変容を目撃する。日本兵やアメリカ兵も、少年から見れば敵対的存在ではなかった。戦争が終わり、英国(戦勝国とは思えない貧困に沈んでいた)に帰国したバラードは、いったん目指した医学の道(解剖学の体験が、後の作品にも影響する)を放棄し、作家を目指すも売れる目途が付かないままだった。しかし、志願した空軍の基地で(「ギャラクシー」や「F&SF」などの雑誌を介して)自己しか書きえない古い小説を超える存在“SF”を知る。

 さて、この後バラードは英国のSF雑誌「ニュー・ワールズ」の編集長E・J・カーネル、後にマイケル・ムアコックと出会い、米国流の型に嵌められない“新しいSF”を提唱する。やがて、『強風世界』、『時の声』、『沈んだ世界』(1962)が書かれる。特に『沈んだ世界』の描写は上海の風景そのものだ。捕虜の体験を経た英国市民は多数いるが、少年時代を小説の中に昇華できたのはバラードだけである。英国の国会で物議を醸した『残虐行為展覧会』(1970)、70年代の問題作で、映画化もされた『クラッシュ』(1973)、世界的にバラードの名を知らしめた自伝的長編『太陽の帝国』(1984)と、この後の軌跡は一般読者にもなじみ深いだろう。
 ただ、本書でもっとも注目すべき点は、表題となる“人生の奇跡”である。バラードは1955年に結婚し、8年後に妻を病気で失うが、その後も3人の子供を主夫として育て上げる。妻との出会いと、子供たちとの生活こそ人生の奇跡なのだと結んでいる。

 

2010/12/15

Amazon『エンドレス・ガーデン』(早川書房)

片理誠『エンドレス・ガーデン』(早川書房)


Cover Illutration:星野勝之、Cover Design:岩郷重力+S.I.

 『終末の海』(2005)で第5回(2003)日本SF新人賞佳作に入選し、その後《屍竜戦記シリーズ》で話題を呼んだ片理誠の書き下ろし長編である(9月刊)。

 目覚めると、少年は学生服姿で〈見えざる小人の国=CL〉にいた。そこは巨大な電脳空間で、人類のすべてをダウンロードする予定だったのだが、使われているのは40万区画のみ。しかし、そこでシステムを揺るがすエラーが発生し、修正のためにはシステム管理者の持つ10個のキーが必要となる。キーを得るためには、40万個の部屋をすべて探索しなければならない。少年の旅がいま始まる。

 有毒植物に侵された区画、騙し絵の区画、人を寄せ付けない要塞、円環状に連なる列車、宗教芸術が連なる区画、謎の詩を解明しないと進めない区画、月へと飛ぶ骨董品のロケット、推理ドラマの演じられる区画、脱出のためにゲームを強いられる迷宮、膨大な書庫をさまようゲームブックの区画、そして、最後の区画。さまざまな趣向で各章が読めるところが、本書のポイントだろう。少年とシステム管理プログラム(妖精の姿をしている)との掛け合いと、複雑な世界との対比も面白い。
 また、本書は冒頭に『ガリヴァ旅行記』からの引用を置いている。『ガリヴァ旅行記』は小人国や巨人国などの童話で有名なエピソードの他に、ヤフーの登場する“逆転の国”のお話が含まれている。本書のベースがここにあることは注意する必要があるだろう。

 

2010/12/22

Amazon『樹環惑星』(徳間書店)

伊野隆之『樹環惑星』(徳間書店)


カバーイラスト:奥瀬サキ、カバーデザイン:宮村和夫

 第11回日本SF新人賞受賞作である。昨年と同様、『シンギュラリティ・コンフェクト』との2作受賞となった。今回を持って、日本SF新人賞が休止されることは、既にアナウンスされている

 惑星オパリアは、酸素が十分にある居住可能惑星ではあったが、有毒な化学物質を生み出す広大な森のために、人類は高地の一部でしか生存できなかった。しかし、森の瘴気は他で得られない有益な薬品を生み出す源泉として、独占企業による収奪の対象でもあった。その森に異変が起こっている。かつて森林調査に携わった女性科学者が、20年ぶりに見た隠された秘密とは。

 著者は新人ではあるものの1961年生まれ、落ち着いた文体で、SFの基本的な作法という点では、これまで読んだ日本SF新人賞の中でもベスト級といえる。危うさは全く感じられない。ただし、その分派手さに欠ける。物語の展開が、予想範囲を超えないからだ。本書を読むと、ロバート・ホールドストックの『ミサゴの森』(1984)や『エメラルド・フォレスト』(1985)を連想する。ホールドストックは、70年代後半から活躍する典型的な英国作家であり、米国流の類型化を避けるために、あえてドラマチックさを排している(なので、強い印象を残さない)。本書がそういう意図で書かれたとは思わないが、プロットに起伏を付けるために、もう少し奇想を含めるべきだったろう。

 

2010/12/24

Amazon『シンギュラリティ・コンクェスト』(徳間書店)

山口優『シンギュラリティ・コンクェスト』(徳間書店)


カバーイラスト:廣岡政樹、カバーデザイン:宮村和夫

 『樹環惑星』との同時受賞となったもう1作。著者は1981年生まれ。表題が“シンギュラリティ”であり、アーヴィン・J・グッドレイ・カーツワイルの引用を含めているなど、本書が技術的特異点をテーマに採った作品であることは明白だろう。SFファンならば、概念の布教者ヴァナー・ヴィンジが馴染み深い。

 2040年代、宇宙全域に広がる異変を受け、その危機を解決するために、人類は自身を凌駕する人工知能を開発する。しかし、開発思想の違いから、演算能力を究極まで高めた1つ、生物的な情動を強化した1つという、全く異なる2種の人工知能が生まれることになる。やがて、救済を求めない一派との間で、大規模な衝突が起こるが。

 シンギュラリティについては、チャールズ・ストロスなど、英国のニュー・スペースオペラの書き手たちが好んでテーマとしてきた。計算機の知能が人類を超える特異点を経ると、世界は全く様相を変えてしまう。主役は、もはや人類ではないからだ。さて、本書でその存在は、AMATERASという名の少女として描かれる。日本神話と典型的なライトノベル流戦闘少女(感覚的=定性的)に、科学技術の未来(数値的=定量的)を絡めた点が新しい試みだろう。シンギュラリティを生み出す人工知能に対する考え方など、人類全体にまで敷衍された発想は、作中の戦闘シーンの合間で断片的に明らかにされる。その分、インパクトが薄れてしまうのは、やむを得ないとはいえやや残念。