2012/11/4

小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』(新潮社)


装画:龍神貴之、装幀:新潮社装幀室

 2009年に第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した著者の、長編第2作となる。前作のやや重いトーンから一転して、本書は非常に軽快な小説だ。祖父から語り手である孫、さらにその子までの4代にわたる奇妙な伝記を、わずか700枚余りで描き上げている。

 語り手の祖父は、博識ではあるが軽薄で饒舌、大衆からも人気がありマスコミ受けする学者だった。しかし祖父には旧家に溢れる22万冊の蔵書があり、しかも詰め込まれた本たちは自ら増殖し、それらは羽を生やして、どこかに逃げ去ろうとするのだ。空飛ぶ本の正体は一体何なのか。彼らの目指す目的地はどこなのか。

 本書で書かれた真相とは少し違うが、ジョン・スラデックの短編、読まれなくなった本が飛び去ってしまう「教育用書籍の渡りに関する報告書」を思い起こさせる。大量に蓄積された本は、単なる紙束ではなくなり、独特の生命/目的を得るようになるのだ。そんな奇想をベースに、本書では祖父を取り巻くユニークな人物たち、売れない探偵小説家だった曾祖父、祖母は識字に難のある天才画家、祖父のライバルコレクター資産家の御曹司、冴えない政治家の伯父、放浪のシンガーである叔父等々が続々と登場する。これだけ多彩な登場人物が詰め込まれた割に、この分量でも物足りなさは感じさせないのは、優れた文章力の賜物だろう。
 さて、本書には重大な結論が書かれている。
 ――人は死んだら本になる、いや、そもそも、人の一生は「本」なのである。

 

2012/11/11

ハンヌ・ライアニエミ『量子怪盗』(早川書房)
The Quantum Thief, 2010(酒井昭伸訳)

カバーイラスト:Kekai Kotaki、カバーデザイン:渡邊民人(TYPEFACE)

 9月に、埋もれていたモーリス・ルブランの新(発見)作『ルパン、最後の恋』が翻訳され話題を呼んだが、本書は遠未来の火星を舞台にしたニュー・アルセーヌ・ルパンものだ。作者は1978年フィンランド生まれの新鋭。数理物理学の博士号をスコットランドのエジンバラ大学で取得し、仕事の関係もあってイギリスに在住、フィンランド語/英語で創作活動を行っている。デビュー作は2003年だ(元のHPは既に閉鎖されており、リンク先はアーカイブ)。まだ著作は短編集1冊と、本書を含む3部作の2作分しかないが、注目の新人である。

 太陽系外縁に設けられた監獄から、稀代の盗賊が脱獄する。脱獄には一人の少女が関わっており、火星のあるものを盗むよう指示を与えてくる。火星では、巨大な移動都市の上で、人々は人間としての活動と、静者と呼ばれるある種の死者の活動を交互に繰り返すことで、無限の生を得ている。そこで若い建築士である青年が、探偵として怪盗の挑戦を受けて立つことになる。

 アレステア・レナルズチャールズ・ストロスケン・マクラウドらの英国系ニュー・スペースオペラの諸作が、続々と紹介されたのは、もう6年前のことだ。レナルズやストロスは一定の支持を得たものの、少し理屈っぽいニュー・スペースオペラそのものが、ブームになったわけではない。そんな流れの中で、本書はニュー・スペースオペラのリニューアルとでも言える斬新な内容だろう。サイバー空間やネット社会を、単に現在の延長で描いていないところが面白い。これについては、翻訳者の訳語の工夫も大きく効いている。ルブランのルパンに対するこだわりと、少々のシャーロック・ホームズを交えて、ルパン対ホームズというポピュラーなテーマを縦筋に織り込んだのも特徴と言える(ただし、そういうクラシックな雰囲気では書かれていない)。

 

2012/11/18

小杉英了『先導者』(角川書店)


装画:上田風子、装丁:鈴木久美(角川書店装丁室)

 第19回日本ホラー小説大賞の大賞受賞作。著者は1956年生まれ。同賞に対しては、過去6年にわたる投稿歴があり、今回を含め4回最終候補まで残ったことがある。受賞の言葉の中で、別の新人賞を含め8年間に及ぶ落選経験を強調しているのが印象深い。ただ著者には、シュタイナーの入門書や三島由紀夫論などノンフィクションの著作が既にある

 「先導者」とは、死者の霊を導く者たちのことである。特異な能力を持つ主人公は、幼いころにその才能を見いだされ、ある組織に所属するようになる。厳しい訓練ののち、契約を結んだ死者を死後に確保し、再生への道筋をつけることが職務とされるのだ。しかし、そんな生活にやがて異変が生じるようになる。

 ここでユニークなのは、「先導者」が既存の霊能者のように描かれない点だろう。主人公はこの職務だけのために育てられ、体力を文字通りすり減らして任務を全うする。しかし、理不尽な運命は受け入れている。こういう、抑圧に対する諦観と、静謐な風景描写を伴う設定は、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』とも似ている。ただ、本書では、組織を支える体制、社会情勢など俗界の仕組みはある程度具体的に書かれるが、反面、魂の行く霊界という非物質世界の意味が、まだ曖昧に感じられる。純粋なファンタジイではないのに“霊界”となると、そもそも実感ができない。選評とも共通する感想になるが、主人公の一人称に留まる書き方である(つまり、客観的な描写が入れ難い)ため、前者の具体性に比べてバランスが気になるのだ。

 

2012/11/25

マーセル・セロー『極北』(中央公論新社)
Far North,2009(村上春樹訳)

装画:高山裕子、装幀:坂川栄治+坂川朱音
 本年4月に出た本。作家ポール・セローの次男マーセル・セロー(1968年生)が書いた長編で、全米図書賞(米)やA・C・クラーク賞(英)の最終候補にもなり、リナペルスュ賞(仏)を受賞した出世作だ。

 極地に近い辺境地帯に主人公はたった一人で住んでいる。そこは理想のために開発された植民都市だったが、世界的な異変の結果、資源の枯渇や難民の流入を経て崩壊したのだ。人の喪われた極北の生活。しかし、そこでの生活は平穏ではなかった。ある日、空を飛ぶ飛行機を見たことから、その運命は大きく変わっていく。

 舞台はアラスカに近いロシアの極東シベリア。マッカーシー『ザ・ロード』を思い起こさせる、坦々と続く人類滅亡の日々。たった一人の滅亡という意味では、リチャード・マシスン『地球最後の男』(「アイ・アム・レジェンド」)風かもしれない。しかし、本書には画一的な殺戮/暴力シーンはないが、随所に“意外な展開”が織り込まれている。主人公の正体、飛行機の行方にある集落、奴隷基地、見捨てられた巨大都市、そして再会する人物と、さまざまに趣向が凝らされていて、ある種の冒険小説のようにも読めるのだ。虚無的な主人公の心の中に差し込む、仄かな希望と挫折の連鎖が強い印象を残す。そしてまた、本書は高度な現代社会のちょうど反対側に位置する、チェルノブイリ小説でもある。20世紀テクノロジーを集積したチェルノブイリは、逆に文明の侵入を阻止するゾーン(立入禁止地帯)を産み出す結果となった。本書の描く極北とは、そういう“ゾーン”なのである。