2009/5/3
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2月に出た本。編訳者の若島正は将棋やチェスに対する造詣も深いのだが、20年前に日本アマチュア将棋連盟の機関紙「将棋ジャーナル」(現在は休刊中)に何篇かのチェス小説を紹介したことがある。本書は、その短編を核にして編まれたものだ。
フリッツ・ライバー「モーフィー時計の午前零時」(1974):チェス愛好家が偶然手に入れた懐中時計
ジャック・リッチー「みんなで抗議を!」(1975)*:高速道路の建設阻止のため、奇妙な脅迫文を書く男
ヘンリイ・スレッサー「毒を盛られたポーン」(1974):郵便チェスで連戦連敗中の男は一計を巡らせる
フレドリック・ブラウン「シャム猫」(1949)*:疑わしい動機を持つ男には、明白なアリバイがあった
ジーン・ウルフ「素晴らしき真鍮自動チェス機械」(1977)*:失われた科学で作られた自動機械の正体
ロジャー・ゼラズニイ「ユニコーン・ヴァリエーション」(1981):人類を賭けユニコーンと戦う主人公
ヴィクター・コントスキー「必殺の新戦法」(1966):その戦法を見た者には恐ろしい運命が待っていた
ウディ・アレン「ゴセッジ=ヴァーデビディアン往復書簡」(1966):互いを罵り合う郵便チェスの顛末
ジュリアン・バーンズ「TDFチェス世界チャンピオン戦」(1994)*:カスパロフ対ショート戦の実情とは(ノンフィクション)
ティム・クラッベ「マスター・ヤコブソン」(1991)*:プロブレムに没頭し母校と郵便チェスを行うが
ジェイムズ・カプラン「去年の冬、マイアミで」(1977):かつて才能に絶望した男が再び対戦する
ロード・ダンセイニ「プロブレム」(1926)*:ダンセイニによる実在のプロブレム
*…本邦初訳
このうち、ライバー、カプランの2作品は「将棋ジャーナル」のみ掲載のもの。一般読者には初紹介となる。序文が小川洋子(チェスをテーマにした『猫を抱いて象と泳ぐ』を書いた)で、帯が羽生善治(チェスのFIDEマスターでもある)という豪華版。テーブルゲームにも、さまざまな種類があるが、インド起源のチェスと将棋の深みには比類がない。チェスに憑かれた人種は、たいていが変人だ。しかし、論理的な思考能力ももちろん必要だが、極めて人間的な駆け引きが勝負を分けることもある。そのあたりのヴァリエーションは、本書でもさまざまに描き分けられている。チェスそのものがテーマの小説ではないため、専門用語を知らなくとも十分読める。ちょっとホラー風のライバー、機械に翻弄される人々を書いたウルフ、コントスキーは例のアイデアのチェス版、チェスプレイヤーの悲哀を描くカプラン辺りが優れているだろう。
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2009/5/10
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マイケル・シェイボンの並行世界を舞台にしたミステリ(というスタイルで書かれている)。ネビュラ賞、ローカス賞、ヒューゴー賞、サイドワイズ賞(イアン・マクラウドを参照)受賞と、本書はミステリよりSFとして高い評価を得ている。チェスがミステリのキーとなっている。
もう一つの2007年、アラスカのユダヤ人特別区が特例法案の廃止を受け、通常の地域に格下げされようとしていた。数百万のユダヤ人たちは、アメリカの通常の市民となるか、別の国に移住するかの選択を迫られている。そんな折、地域の安ホテルで一人の男が殺される。しかし、彼は単なるユダヤ人ではなかった。彼は何者か、誰が殺人者なのか、残されたチェスの棋譜は何のメッセージなのか。くたびれた中年刑事は、インディアンの血を引く相棒とともに事件の真相を追う。
イスラエルは建国後1948年に崩壊し、ユダヤ社会として移住が許されるのはアメリカのシトカ特別区(構想自体は史実としてあった)のみ。そこも60年の歴史を経て、新たな運命を辿ろうとする。ゲットーとはまた異なる閉鎖社会。陰謀を巡らすのも取り締まるのもユダヤ人ながら、複雑な利権と派閥が入り乱れ、事件は混沌の中に沈んでいく。著者のシェイボンは、代表作(『ピッツバーグの秘密の夏』など)や、映画化作品(『ワンダー・ボーイズ』)も翻訳されているので、比較的紹介が進んでいる作家だ。しかし、メインストリームでもなく、SFでもミステリでもないという、まさにスリップストリームな作風のため、かえって印象が薄まってしまう傾向があった。本書は、設定を完全に並行世界ものにシフトした結果、ジャンルSFから大きな注目を集めた。自身ユダヤ人である作者は、もともとSFファンでもある。祖国を持たない民族が抱えるさまざまな矛盾を描くのに、アラスカ(アメリカ)のユダヤ自治区というSF的スキームは最適の素材だったのだろう。反面ミステリの謎解きは地味なので、ミステリ賞(エドガー賞など)では最終候補までに止まっている。
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2009/5/17
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デビュー後5年になる平山瑞穂初の短編集で、著作としては9冊目。発表誌がすべて「SFマガジン」であることでも分かるように、一般文芸誌での縛りを意識しない、ファンタジイを追及した作品集となっている。
野天の人(2005):野天人だった叔父の後妻が死んだ日、同じ出自の同級生を思い出す少女の行動
十月二十一日の海(2008):曖昧な関係の人妻と主人公が訪れる、奇妙な水没湖への旅
精を放つ樹木(2009):事故で全身麻痺となった夫を看護する主人公は、木と精を交わす友人を知る
均衡点(2009):南太平洋の未開の島嶼から、託宣に導かれた二人の使者がやってくるが
棕櫚の名を(2007):幼い頃の記憶にある、棕櫚のある家を偶然再訪した主人公が知ったこと
駆除する人々(書下ろし):除界と呼ばれる領域から侵入する“悪魔”を阻止すべく設けられた公社の戦い
全世界のデボラ(2006):蔓延する情報伝達物質でプライバシーのない社会、不可思議な会話をする主人公と女友達
自身のblogの中で、著者は本書を「たぶんもっとも『ラス・マンチャス通信』に近い立ち位置から書かれたもの」と述べている。実際、各短編のアイデアは奇想そのもの、野天人、不条理な海への旅、木との交わり、世界の均衡点、棕櫚の木が放つ恐怖、除界、情報伝達物質などなどであり、日常的な世界からはずいぶん離れて見える。処女作『ラス・マンチャス…』に見られた混沌とした幻想世界が、本書の各短編に解きほぐされたような感触だ。中では、巻頭「野天の人」と巻末「全世界のデボラ」が面白い。ただ、短い作品である分、世界の余韻に浸るにはやや浅い印象も受ける。
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2009/5/24
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2003年に日本ホラー小説大賞を「姉飼」(短篇)で受賞、6年間で単行本は本書を含めて5冊だが、従来のホラーを意識した作品とは異なり、本書はメタフィクション的なファンタジイを志向した内容となっている。
「世界の果て」に危機が訪れようとしている。始まりの木の周りまで、邪悪な虚無の侵攻が進み、主人公の両親は「異界」へと連れ去られてしまう。そこで、主人公は一つ目の巨人、喋る桃の実を連れて、異界へと踏み込んでいく。しかし、彼らはばらばらに引き裂かれ、無数の物語の中に閉じ込められてしまった。再び出会うことはできるのか、破壊の源である虚無の女王を倒すことはできるのか。
「世界の果て」が、書物を思わせる「ビブロス」と呼ばれることでも分かるように、本書は「物語について書かれた物語」となっている。それも重層的な構造を持っていて、主人公のお話、お話の中のお話、さらにその底にあるもう一つのお話というように、何重にも重ねられている。その違いを、本書の場合は印刷の書体で表現している。例えば、第1章で明朝体で書かれた文章は、第2章では字体の太ささ大きさの異なるゴシック体になり、そのまま結末の第3章まで継続される。第2章以降、実はお話の中から外には戻っていないことが示唆されている。著者は、SFマガジン2009年6月号のインタビューで、「子供に読ませられるファンタジイで、ハリー・ポッターのように類型的でないもの」を意図したと語っている。子供向けのファンタジイとしては、個々のお話は読みやすいが、全体を理解するのが相当難しいと思われるものの、ミヒャエル・エンデなどの類書(『はてしない物語』等)にもない試みを含めた点は評価できるだろう。
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2009/5/31
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クラークは1917年12月に生まれ、2008年3月に亡くなった。その人生の90年間は、英米SF(特にウェルズ起源の英国SF)の歴史をそのまま反映する。本書は、著者のSF短篇を編年ベースでまとめた傑作選(3部作)の1集目にあたる。主に、34歳までの初期作品から選ばれたものだ。初訳はエッセイ「貴機は…」を除いてないが、新訳や年譜、詳細な解説が新たに加えられており、クラークを見直す意味で価値ある作品集となっている。
太陽系最後の日(1946)*2:ノヴァ化直前の太陽系に赴く銀河連邦の救援船が見たものは
地中の火(1947)*2:強力な地中探査器が捕らえた映像の正体
歴史のひとこま(1949)*1:失われた文明から発見された映像とは
コマーレのライオン(1949):文明が停滞した未来、自然保護区に残された人工都市の秘密
かくれんぼ(1949)*1:軍の宇宙船から追われる諜報員が考え出した秘策
破断の限界(1949)*1:空気のストックに限りがある宇宙船で生き残るための方法
守護天使(1950)*4:地球の大都市を隠すほどの巨船の目的とは(『幼年期の終り』の原型短篇)
時の矢(1950)*2:恐竜時代を発掘調査をする考古学者の現場の横で、未知の実験が行われていた
海にいたる道(1951)*3:人類が宇宙に拡散し、残された人々がわずかに残る未来
貴機は着陸降下進路に乗っている−と思う(1949)*初訳:大戦中GCAシステム開発に従事した当時のエピソード
*1『前哨』(1953)、*2『明日にとどく』(1956)、*3『10の世界の物語』(1962)、*4『太陽系オデッセイ』(1983)
クラークは、アシモフやハインラインと同じく第1世代のSF作家である。紹介された作品量から、我々はついイギリスSFとアメリカSFを混同して考えがちだが、パルプフィクションを主なルーツとするアメリカと、クラークのルーツは同じではない。本書の解説でも指摘があるように、ウェルズやステープルドンの明白な影響を受け、C・S・ルイスやトールキンらと、ファンタジイの可能性を論議したクラークには、人類の未来を思索する哲学が根底に流れている。昨年に亡くなったばかりなのであまり意識がなかったけれど、実際クラークはステープルドンのすぐ次の世代なのである。そういう意味で、19世紀作家と20世紀をつなぐ要の作家に位置づけられるだろう。
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