著者の水見稜は1957年生まれの作家で、1982年から89年までの7年間だけ活動する。その後執筆を中断し、本書[完全版]に至る22年間沈黙していた。しかし、連作《マインド・イーター》は、早川JA文庫版の出版(1984年)以来、当時も書評を書き、本書の解説もする飛浩隆のような信奉者を得て、忘れられることは無かった。そういう意味で、本書もまた東京創元社が再発見する一連の伝説に相応しい、日本SFのマイルストーンなのである。
野生の夢(1982):宇宙に進出した人類を待ち受けていたのは、心を喰らい結晶化させる異界の存在だった
サック・フル・オブ・ドリームス(1982):ニューヨークで出会うピアニストとサックス・プレーヤ
夢の浅瀬(1983):月の平原「夢の浅瀬」を調査する隊員が見た風景/聞いた音の正体
おまえのしるし(1983):マインド・イーター=M・Eから採取された、文字のように見える記号の意味
緑の記憶(1983):前線基地で育てられた植物たちは、鉱物的存在M・Eの存在を感知する
憎悪の谷(1983):行方不明の息子を探して、砂漠の果てにたどり着いた男が見たもの
リトル・ジニー(1984):ある種の自閉症に囚われた少女は、見たことのない海の光景に反応する
迷宮(1984):外宇宙を彷徨う巨大な輸送船内で、繰り返される生と死の迷宮
当時大野万紀は、本書を「文化系のハードSF」と評したが、今日的な意味でハードSFとは言えないものだろう。小松左京『ゴルディアスの結び目』(1977)に着想を得たという言葉からは、小松流ハードコアとの関連性を感じさせるものの、本書を読み進めていくと、その方法論がまったく異なることに気付く。例えば「おまえのしるし」では、チョムスキーの“普遍文法”とマインド・イーター=M・Eの言葉をモチーフに物語が進むが、それはいつの間にか人に内在する心の問題へと深化する。「サック・フル…」以降の作品は、むしろ内宇宙の問題へと方向を変えていく。J・G・バラードに代表される1960年代ニューウェーヴの影響は、先月紹介した山野浩一のように直後に現れたものもあれば、飛浩隆《数値海岸シリーズ》のように30年を経て姿を見せるものもある。まるで本書で描かれたM・E症候群のようだ。実のところ、本書はその中間に現れた作品とみなせるのである。
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