2013/3/3

アガサ・クリスティー他『厭な物語』(文藝春秋)
Disturbing Fiction,2013(中村妙子他訳)

カバー:石崎健太郎、写真:Hulton Archive/Getty Images

 本書には編者が明記されていないが、編集者による方針はここに詳しく記されているので良く分かる。翻訳作品のマニア向けではないので、作品の知名度に囚われず(名作短編といっても一般には知られていない)、スーパーナチュラルなものも入れない(ホラーにすると読者が限定される)、薄く=安くする(概して高価な翻訳小説が、手軽に手にとれる)ということだ。結末がバッドエンドの厭なミステリ(=イヤミス)が、受け入れられているのも理由になる。“厭”といっても、生理的/文化的な不快感を通り過ぎると、必ずしも厭な読後感とは限らない。

アガサ・クリスティー「崖っぷち」(1927):資産家の男は美貌の女と結婚するが、女には私的な秘密があった
パトリシア・ハイスミス「すっぽん」(1962):厳しい母親に従う少年は、料理用に買われた亀を見つける
モーリス・ルヴェル「フェリシテ」(1914):何も目立つところのない娼婦は、定期的に訪れる客に希望を抱く
ジョー・R.ランズデール「ナイト・オブ・ザ・ホラー・ショウ」(1988):高校生が巻き込まれる暴力の渦
シャーリイ・ジャクスン「くじ」(1948):その村では年に一度だけ一人を選ぶためのくじが引かれる
ウラジーミル・ソローキン「シーズンの始まり」(1992):二人の男の、奇怪な森での狩猟シーズンの始まり
フランツ・カフカ「判決」(1912):友人に出すという手紙の是非を、老いた父に問う息子の心理
リチャード・クリスチャン・マシスン「赤」(1988):一心不乱に、道路に落ちたものを拾う男のありさま
ローレンス・ブロック「言えないわけ」(1998):強姦殺人の犯人と被害者の兄との間に交わされる手紙の顛末
フラナリー・オコナー「善人はそういない」(1953):迷い込んだ田舎道で、逃亡犯と遭遇する家族の運命
フレドリック・ブラウン「うしろをみるな」(1947):贋札作りの職人だった男は、幻の相棒を見るようになる
 *初出年は著作リスト等からの参考情報

 短編集などで既訳の11編(翻訳も、過去の名訳を採用)、合わせて500枚に満たない。「くじ」や「判決」のような有名な作品、ベストミステリーの常連となる「すっぽん」の他、ランズデールやブロック、ソローキンといった現在の書き手まで幅広く収録されている。ストレートに読めて、結末が不条理な殺人/自死に落ちるというスタイルが共通する特徴だろう。広義のミステリの範疇は外していない。そもそも読者が厭な結末を求めるのは、余裕のない事態に直面したときこそ、人の本質/深みが見えてくるからだ。

 

2013/3/10

日本SF作家クラブ編『日本SF短編50 Vol.I』(早川書房)


カバーデザイン:コードデザインスタジオ

 日本SF作家クラブ創立50周年企画の一環として編まれた、年代順アンソロジイの第1巻目(全5巻)。編者名は明記されていないが、北原尚彦、日下三蔵、星敬、山岸真(+SFマガジン編集長)であったことが序文(瀬名秀明)に記されている。現在の作家クラブのメンバーで見る限り、ほぼベストの陣容といえる。選出にあたっては、1)作家クラブ員または物故時にメンバーである258名から選出、2)各年1作かつ作家名での重複のない50作、以上が条件で、あえて付け加えると、3)結果的に、過去から定評のある名作選になるのはやむを得ない(上掲の『厭な物語』と同様、名作といっても一般読者には知られていないからだ)、といったところなのだろう。

光瀬龍「墓碑銘二〇〇七年」(1963):数々の危険な探検から、ただ一人で生還した男に告げられた新任務とは
豊田有恒「退魔戦記」(1964):蒙古襲来の直前、伊予の国の海岸に空飛ぶ船が姿を現す
石原藤夫「ハイウェイ惑星」(1965):縦横に走る道路で覆われた惑星ではそこに特化した生命が生まれていた
石川喬司「魔法つかいの夏」(1966):太平洋戦争末期、昼夜の空襲下で生きる中学生の男女
星新一「鍵」(1967):奇妙な鍵を拾った男は、生涯をかけてその鍵穴を探し続ける
福島正実「過去への電話」(1968):編集者がかけた電話は、かつて知っていた過去とつながっていた
野田昌宏「OH! WHEN THE MARTIANS GO MARCHIN' IN」(1969):視聴率に悩む番組の破天荒なアイデア
荒巻義雄「大いなる正午」(1970):高次元世界で〈海〉の侵攻を防ぐ工事を進める超越種族たち
半村良「およね平吉時穴道行」(1971):偶然手に入れた江戸の文献に書かれていた内容と現在との相似
筒井康隆「おれに関する噂」(1972):ある日突然、平凡な主人公の日常がマスコミのニュースとなる

 スタートが63年ながら、ほぼ1960年代の傑作選となっている。最近復刊された筒井康隆選『60年代日本SFベスト集成』(1976)と読み比べてみると分かるのだが、前者がリアルタイムから10年前後だったのに対し、50年を経てより客観的な評価になったと見なせるだろう。ちなみに筒井版日本SFベスト集成は、自身が主催した第14回日本SF大会(1975年のSHINCON)を盛り上げる目的もあった。歴史的意義を周知するという今回の企画意図と、状況はある意味よく似ている。
 本書の冒頭「墓碑銘二〇〇七」で描かれるのは、失われた未来である。半世紀前から見た40年後の未来、有人探査機が遠く木星まで飛ぶ“現在”は、どこにも存在しないが、本書の中では明確なリアリティを持って息づいている。気が付くのは、各短編が妙に細かな薀蓄に満ちていることだ。古文書の確からしさ、惑星進化論、業界の裏事情や、ニーチェ哲学、マスコミ論など、今では省略されてしまうような説明が、物語の始まりにわざわざ置かれている。当時は、読者を現実から異界に導くために、こういう手順も必要だった。今読むと、そこが却って新鮮に感じられる。

 

2013/3/17

チャイナ・ミエヴィル『言語都市』(早川書房)
Embassytown, 2011(内田昌之訳)

カバーイラスト:星野勝之、カバーデザイン:渡邊民人(TYPEFACE)

 このところ毎年新作を書き下ろす著者の、これは2011年に書かれたローカス賞長編部門受賞作である。コミュニケーションをテーマとした宇宙SFで、サミュエル・ディレイニー『バベル17』(1966)や、アーシュラ・ル・グイン『所有せざる人々』(1974)を思わせる雰囲気からスタートする。とはいえ、本書はイアン・ワトスン『エンベディング』(1973)のような、言語そのものをテーマとした小説ではない。言葉を媒介とした世界変容自体に興味の焦点があるので、川又千秋『幻詩狩り』(1984)に近いといえるだろう。

 辺境の惑星アリエカ、そこにはホストと呼ばれる非人類の知的生命が存在し、人々は小規模な都市〈エンバシータウン〉に植民するのみだった。アリエカ人とのコミュニケーションは奇妙な形で行われる。彼らは人類の言葉を解しようとしないが、唯一クローン化された純粋な双子の言葉だけが通じるのだ。双子は植民者から厳選され、何組かの〈大使〉としてホストとの窓口任務に就く。そんなある日、人類の中心地から新しい大使が派遣されてくる。

 主人公は、植民地を出た超空間飛行の技術者。新任大使の着任と同じころに帰国していた。しかし、その〈大使〉が放った麻薬のような発話により、ホストの文明は安定を失い自壊していく。人類社会との間の平和的均衡すら奪われていくのだ。ホストの言語体系では一切の嘘がつけない、(表現法で)直喩があっても隠喩がないという制限がある。その単純さのために、言語崩壊は彼らを酩酊させ、ある種の麻薬依存症を引き起こす。ホストの外観はヒューマノイドと全く異なる。彼らの都市は、生物的な材料で作られた異形のものだ。大使たちは、ホストの二枚の舌に対応するため二人一組で会話する。主人公は、セックスレスの夫とのディス・コミュニケーション問題を抱える。物語は、アリエカ社会の崩壊、事件を誘発させた発話の真相、混乱からの収束まで一気に語りあげられる。ミエヴィル得意のビジュアルな設定により、SFが陥りがちな抽象性を排し、印象を深めたところがポイントだろう。

 

2013/3/24

日本SF作家クラブ編『SF JACK』(角川書店)


装画:田中達之、装丁:國枝達也(角川書店装丁室)

 本書もまた、日本SF作家クラブ創立50周年企画のアンソロジイである。1000枚余りのボリュームだが、全12編とも書下ろし新作なのが特徴だ。日本SF大賞や新人賞を始めとして、何らかの賞を受賞した有力な作家が収められている。

冲方丁「神星伝」:遠い未来、木星圏を支配する神道的な宗教国と、国家思想主義者との戦い
吉川良太郎「黒猫ラ・モールの歴史観と意見」:恐怖政治下のパリで、犠牲となった少女が見た存在とは
上田早夕里「楽園(パラディスス)」:主人公は、仮想人格として存在する死んだ女友達と接触する
今野敏「チャンナン」:空手の指導者でもある作家は、突然琉球空手が始まった時代にタイムスリップする
山田正紀「別の世界は可能かもしれない。」:識字障害の娘が育てていたマウスには、恐怖心が欠落していた
小林泰三「草食の楽園」:一切の暴力を禁じた隔絶された惑星は、楽園となるはずだったが
瀬名秀明「不死の市」:神話の名前を持ち、時空を放浪する登場人物たちが目指す不死の市
山本弘「リアリストたち」:バーチャルが当たり前で、リアルがおぞましいとされる近未来
新井素子「あの懐かしい蟬の声は」:第六感を持たない主人公が、手術でそれを得たあとに知ること
堀晃「宇宙縫合」:失われた自身の記憶を探り続ける男は、それがある一点に収斂することに気付く
宮部みゆき「さよならの儀式」:古いロボットが廃棄される工場で、窓口を担当する青年と相談に訪れた娘
夢枕獏「陰態の家」:その資産家の豪邸には、妖異を増殖させる何ものかが存在する

 このうち巻頭の冲方丁、巻末の夢枕獏は長編の一部、シリーズものの1編という雰囲気の作品。吉川良太郎、上田早夕里は生命観に対する2つの見方、今野敏はクラシックなアイデアSF、山田正紀は遺伝子をキーとした中編級の力作、瀬名秀明は雄大な叙事詩、小林泰三と山本弘は著者流の皮肉が印象深い。また、新井素子、宮部みゆきは心情を前面に出し、堀晃はもっともSFらしいが、小松左京の長編に対するオマージュ作品でもある。と、各作品とも個性豊かだが、現在という時点で書かれたため、テーマ面で似通ったものや時事的なものもある。読み応えでいけば、山田、瀬名の両作が劈頭で、宮部のいかにも日本的心情も楽しめるだろう。

 

2013/3/31

ミハル・アイヴィス『もうひとつの街』(河出書房新社)
Druhé město, 1993(阿部賢一訳)

装丁:坂川栄治+永井亜矢子(坂川事務所)、装画:伊藤彰剛

 アイヴィスは、1949年プラハ生まれ。先祖は、幻の王国ハザールの血を引くという。本書は、一昨年に出た高野史緒編のアンソロジイ『時間はだれも待ってくれない』で、チェコ語からの翻訳として一部が紹介された作品の完訳である。本日付の毎日新聞書評欄(沼野充義評)でも、「文学が本来持っていた荒々しい想像力の手ごたえを感じさせる」と高評価だ。

 プラハの古本屋で菫色の本を偶然手に取った私は、それが全く見知らぬ文字で書かれていることに気が付く。本の由来を探すべく私は街を彷徨うが、次々と異様な出来事に遭遇する。丘の上に襲い掛かる津波、図書館の奥に広がる荒野、別世界で重要な役割を担うカフェの主人と娘、夜に開催される大学の奇妙な哲学講義、夜間に繰り広げられる祭典、鐘楼の高さから襲い掛かる空中を泳ぐ鮫。

 SF的なアルタネートユニバース(平行世界)かというと、かなりニュアンスが異なる。確かにプラハと重なり合った別の街のお話ではあるが、そこは現実からは隔絶された幻想の世界であるからだ。現世のリアリティとは全く違う。初版が1993年、本書の底本は2005年なので文章も改定されていると思われるが、22章400枚余にわたってほとんど段落を設けず、言葉の1語ごとに凄まじい想像を凝集した力技には感心する。読み通すには、それなりの集中力を要する。しかし、その余裕さえあれば十分に“もう一つのプラハ”を堪能できるはずだ。