2008/12/7

Amazon『詩羽のいる街』(角川書店)

山本弘『詩羽のいる街』(角川書店)


装画:徒花スクモ、装丁:西村弘美(角川書店装丁室)

 山本弘のオムニバス長編。「野生時代」に4回にわたって連載されたものを単行本化した作品で、もともとのコンセプトは、『アイの物語』(2006)の系統を踏む泣ける話だったという。しかし、本書はある種の“ビジネスモデル”小説である点が特徴だろう。

 第一話:漫画家を目指す主人公は、公園で偶然詩羽と出会う。彼女は驚くべき方法で生活していた
 第二話:自殺を図る中学生は、死に場所を探す途中に詩羽と知り合い、新しい生き方を知る
 第三話:ネットを荒らしまわる愉快犯、絶対に知られることがないと思っていた男の前に詩羽が登場する
 第四話:町を挙げてのアニメイベント会場で、外部から参加した主人公の見た詩羽の正体とは

 同一の街、登場人物をキーに物語が作られている。伏線がたくさん張られているにも関わらず、どれもがきちんと回収されている。伏線は計算通りに収束しないのが普通だから、お話の流れがいかにスムースだったかが分かる。その点『アイの物語』よりもずっと均一性が高い。ここで、詩羽は1つのビジネスモデル(単純に言ってしまうと、パートナー全員が幸福になれる社会/経済システムのこと。誰かが損をするようだと、システムはうまく働かない)を提案する。著者も認めるように、これはほとんど実現困難な仕組みだが、物語の中/詩羽の存在を前提として十分に成立する。金融危機を引き起こした金融工学(デリバティブというビジネスモデルの根幹)も、仮想の存在をシミュレートするある種SF的なモデルだった。そういう意味で、(すべてが人間に依存する)詩羽の幸福な社会モデルもSFの一種とみなせるのだろう。

bullet 『アイの物語』評者のレビュー
 

Amazon『変愛小説集』(講談社)

岸本佐知子編『変愛小説集』(講談社)


装画:金氏徹平、装丁:名久井直子

 「レンアイ」ではなく、「ヘンアイ」であることに注意。本年5月刊。編者が自ら選択し、2007年から2008年にかけて「群像」「エソラ」等に連載した翻訳を収めたオリジナル作品集である。柴田元幸の翻訳アンソロジイなどと同様、編者の個性がよく出た内容で評判を呼んだもの。

 「五月」(2003)アリ・スミス:何の変哲もない他人の庭木に恋した女房
 「僕らが天王星に着くころ」(2001)レイ・ヴクサヴィッチ:体の皮膚が宇宙服に変貌する奇病に罹った妻
 「セーター」 (2001)レイ・ヴクサヴィッチ:彼女の編んでくれたセーターの中には巨大な空間があった
 「まる呑み」(1999) ジュリア・スラヴィン:芝を刈る青年を丸ごと飲み込み、体内で飼う女の生活
 「最後の夜」(2005) ジェームズ・ソルター:死を迎える妻との最後の夜
 「お母さん攻略法}(1986) イアン・フレイジャー:身近な恋人、実母を攻略する方法とは
 「リアル・ドール」(1990) A.M.ホームズ:バービー人形に恋した少年の行動
 「獣」(2005)モーリーン・F.マクヒュー:冬の寒い日、学校の体育館に潜む獣の影
 「ブルー・ヨーデル」(2006)スコット・スナイダー:飛行船で飛び去る恋人をどこまでも追いかける青年
 「柿右衛門の器」(1997)ニコルソン・ベイカー:柿右衛門風陶器のためには骨粉が欠かせないという
 「母たちの島」(2005)ジュディ・バドニッツ:男のいなくなった島で男女に分けられた子供が育っていた

 「変愛」は、ノーマルではない対象への愛情という意味。それは倫理的に許されないこともあれば、もっと物理的な意味で不可能という意味も含まれる。端的には、木を愛したり/人形を愛したりするのだが、それは本人の錯覚ではなく、“相手”も反応を返してくれるのだから、立派なレンアイなのかも知れない。愛する相手が異形に変形していくパターンもある。愛するあまり、相手の男を(文字通り)丸呑みしてしまったり、執拗に追跡することもある。現実と比較すれば妄想なのだが、しかし人の持つ性愛の多様性を象徴するものとも解釈できるのである。

bullet 『どこにもない国』評者のレビュー
 

2008/12/14

 9月に出た、2000枚に及ぶ古川日出男の最新長編。本書は2年前から「すばる」、「小説すばる」、「青春と読書」、フリーペーパー、ウェブ上とさまざまに掲載誌をを変えて連載されてきた。そういう経緯からも予想されるように、本書は混沌としている。

 舞台は東北。青森の狗塚家には、超常能力の血が流れていた。その能力は、未来を予知する力、遠く離れた仲間の心を読む力、体を武器とする力に及ぶ。しかし、現代に生まれた狗塚三兄弟たちの運命は、連綿と続く東北の歴史と連動するかのように翻弄される。同時に、過去700年の時空の中で、彼らの家系と関わるものたちの物語が語られる。

 大量の人物が登場する。しかし、彼らは必ずしも伏線とならず、枝葉のように拡散していく。見えない大学、地獄の図書館/室町から江戸、明治の時代、そして平成(京都/江戸の文明とは異なる“東北”という主張が、各時代において繰り返される)/青森、郡山=福島、仙台=宮城、山形、岩手、大潟(八郎潟)=秋田、以上東北6県/聖兄弟、その親と祖母、ヒップホップグループ、小学生たちと、さまざまな相関があるようで実は孤立したエピソードが集積されている。また、本書では、独自の古川日出男文体が極められている。下記のサイトに著者による朗読が含まれるが、まさしくシャウト(絶叫)するような文章が多数出てくる。そこに混沌とパワーを感じさせる。だから、本書は通常の意味では完結していない。あらゆるものに向かって開かれた形=オープン形式で終っている。

bullet 著者の公式サイト
bullet 『ベルカ、吠えないのか』評者のレビュー
 

2008/12/21

Amazon『ナイフ投げ師』(白水社)

スティーヴン・ミルハウザー『ナイフ投げ師』(白水社)
The Knife Thrower and Other Stories,1998(柴田元幸訳)

装幀:奥定泰之、装画:牛尾篤

 1月に出たスティーヴン・ミルハウザーの短編集。ボルヘスを思わせる精巧な世界構築で知られ、日本でも根強い人気の作家である。長編『マーティン・ドレスラーの夢』(1996)は97年のピュリッツアー賞を受賞しているが、その前後の時期に書かれた短編が収録されている。10編は文芸誌掲載作(発表年不詳が多いが、大半は90年代の作品)、2編は書下ろしである。

 「ナイフ投げ師」(1997):ナイフ投げの名手が、ただ1回の公演で見せた不安を誘う芸の顛末
 「ある訪問」(1997):長年音信が途絶えていた友人から紹介された新妻の姿とは
 「夜の姉妹団」(1994):真夜中に姿を消す少女たち、その目的は何なのか
 「出口」:謹厳な夫を持つ人妻との浮気は考えられない結末を迎える
 「空飛ぶ絨毯」:少年は空飛ぶ絨毯に乗って家の周りを飛び、やがて空のかなたを目指す
 「新自動人形劇場」:からくり仕掛けの自動人形劇場が産業となった街、そこに現れた天才が作ったもの
 「月の光」:眠れなくなった少年が彷徨い出た夜、まるで昼間のように遊ぶ少女たちと出会う
 「協会の夢」(1993):古い百貨店が買収され、新しい驚異の内装に生まれ変わる
 「気球飛行、一八七〇年」(1997):プロイセン軍に包囲されたパリから脱出した熱気球の旅
 「パラダイス・パーク」:20世紀初頭に火事で消失した遊園地は、究極にまで趣向が凝らされていた
 「カスパー・ハウザーは語る」:鎖につながれ、言葉も知らなかった少年が語る自身の成長の物語
 「私たちの町の地下室の下」:町の地下に広がる迷宮的な世界とは

 人形たちの詳細な造り(「新自動人形劇場」)、百貨店の構造(「協会の夢」)、悪魔的な遊園地の描写(「パラダイス・パーク」)などがミルハウザーの代表的な世界といえる。これらには、いわゆる“お話”部分がほとんどない。ただ執拗に世界描写(人形、百貨店、遊園地)が行われるのみである。その構造は他の作品でも同様で、真夜中の蠱惑的な光景(「月の光」、「夜の姉妹団」)や、空からの景色(「空飛ぶ絨毯」、「気球飛行…」)などは、風景描写そのものが物語なのだ。特に派手な表現もない語りの中で、知らぬ間に仮想世界へ呑み込まれていく独特の感覚が面白い。

bullet 著者インタビュー(BOMB誌2003年)
 

2008/12/29

 2007年に出版された日本作家のSFだけから選ばれた年刊傑作選である。と、あえて断るのも、日本のSFだけを対象とした年刊傑作選は、はるか昔に出た筒井康隆選『日本SFベスト集成』(1975〜76)のみだったからだ。これも、1971年から75年を対象に5冊出たものの、年に1冊づつ出たわけではない。過去に成功例がほとんどない中、しかも月刊のSF専門誌が1つしかない現状で、果たして年刊傑作選が維持できるのか。結果は本書のラインアップの通り、文庫アンソロジーや文芸誌に拡散したSFを渉猟すれば可能なのである。

 小川一水「グラスハートが割れないように」*1:急速に流行り出したグラスハートは主人公を変貌させる
 山本弘「七パーセントのテンムー」*2:恋人がI因子を欠落させていると分かったとき
 田中哲弥「羊山羊」*2:羊山羊という奇病に罹った若い妻は部長の家に上りこみ、家庭を大混乱に陥れる
 北國浩二「靄の中」*1:人類に憑依する異星人を駆除する男たち
 円城塔「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」*3:曾祖父が字送りをせず打ち込んだ物語
 中原昌也「声に出して読みたい名前」*3:読み上げられた名前から連想するさまざまな人々の意味とは
 岸本佐知子「ダース考 着ぐるみフォビア」*3 :ダース・ベイダーはあの姿のまま眠るのか(エッセイ)
 恩田陸「忠告」*3:愛犬が書いた手紙を受け取った主人の行動
 堀晃「開封」*4:一人だけの宇宙船のドアをノックするものとは
 かんべむさし「それは確かです」*4:疲れ果てた主人公がたどり着いたパーティの意味
 萩尾望都「バースディ・ケーキ」*1:火星から来た友人は珍しいケーキを贈ってくれたが(マンガ)
 福永信「いくさ 公転 星座から見た地球」*3:ABCDという記号で表される登場人物たちの日常行動
 八杉将司「うつろなテレポーター」*1:量子コンピュータ内で生きる仮想人格たちがコピーされたとき
 平谷美樹「自己相似荘」*4:六甲山中に建てられた自己相似構造の家に潜む怨霊とは
 林譲治「大使の孤独」*2:意思疎通が困難な異星人とのコミュニケーション実験は思わぬ殺人事件を生む
 伊藤計劃「The Indifference Engine」*2:アフリカで戦士として育てられた少年を回生する試みの顛末
 *1:SF Japan(4編)、*2:SFマガジン(4編)、*3:文芸誌他(5編)、*4:異形コレクション(3編)

 翻訳で年刊傑作選といえば、ジュディス・メリル編、ウォルハイム&カー編のものが我国では有名だろう。このうち後者(1965〜68年版、1977〜80に翻訳)は、表紙に小さくワールズ・ベストと書かれているだけで、年刊傑作選と大きく謳われたわけではない。しかし、メリルはそのものずばり『年刊SF傑作選』(1960〜67年版、翻訳1967〜76)という表題で、最新SFを紹介するという趣旨だった。同書ではニュー・ウェーヴを含む斬新な作品(マンガを含む)が旧来のSFと交じり合っており、読み手の常識を覆す驚きがあった。英米SFが紹介され始めたのが1960年、7年を経て、ようやく“SFの今”に追いついたと感じ取れたのである。本書があえて“年刊傑作選”を強調するのは、当時の衝撃/熱気に対するオマージュの意味もある。40年前の過去の情熱に対するリスペクト/オマージュと、2007年(円城塔伊藤計劃のデビュー、最相葉月の評伝など各種星新一コラボ企画が主要な話題)が有機的にリンクするかがポイントともいえる。実はそこが、本書の魅力であると同時に弱点(無理な結びつき)とも思えるのであるが。

bullet ハリスン&オールディス編『ベストSF1』評者のレビュー
bullet NOVAQのエッセイ『1972年』(浅倉久志)
bullet NOVAQのエッセイ『1975年』(大森望)