劉 慈欣『三体』(早川書房)
三体,2008(大森望・光吉さくら・ワン・チャイ訳、立原透耶監修)
装画:富安健一郎、装幀:早川書房デザイン室
三部作累計2100万部という破格のSF小説である。アジア初のヒューゴー賞受賞作品でもある。出版は7月4日とまだあと2週間以上あるが、プロモーションのための先行プルーフ版(ゲラ仮製本)が出回っており、評者は再校ゲラ版(未製本)を読んだ。大森望が翻訳スタッフに入っているのに、本書は英語版ではなく中国語版を底本としている。中国の場合、海外向けに自国で翻訳を用意することがある(北京の外文出版社が出した『中国SF作品集』などがある)。しかし、そのままでは(特にSFでは)リーダビリティーに難がある。半世紀前ならともかく、海外SFがふつうに出回る日本では苦しいだろう。そこで、大森望により原語、原語からの翻訳、ケン・リュウ版英訳の突き合わせで翻訳文章を大幅に改め、かつ立原透耶のチェックを入れたものが本書だ。
1967年、文化大革命に揺れる北京で著名な物理学者が殺され、若い科学者だったその娘も大興安嶺山脈の開墾部隊に下放。そこには閉ざされたレーダー基地があり、経歴を見込まれた娘は職員として採用された。しかし、基地には隠された目的があった。40数年後、ナノテクの専門家である研究者(主人公)は、科学者が謎の死を遂げる事件の調査に関わる。物理法則に背く、超常的な現象が起っているらしいのだ。しかも、背後にはえたいの知れないグループがうごめき、ゲームらしくないVRゲーム「三体」の存在が浮かび上がってくる。これらはどう結びつくのか。
三体とは、天体力学の三体問題(英語版の標題)のこと。1つ、2つまでなら天体の運動は予測可能だが、三体になると予測不可能になる。これがそもそもの物語を支える大ネタになる。加えて、中国の暗部、文化大革命を生きた女性科学者の数奇な運命が語られる。文革というと、日本人的には中国共産党内の派閥争いのように矮小化して捉えられるが、実際は中国全土を巻き込む大規模な内戦だった。お互い手製の武器を手に戦争をしたのだ。その背景があるため、人類の命運を左右するこの女性の決断に説得力が出てくる。一方、現代パートを占めるVRゲーム世界では、SF的な奇想により「三体」がどのようなものかが明らかになっていく。
既出の感想では、カール・セーガン『コンタクト』、小松左京『果しなき流れの果に』、クラーク『幼年期の終わり』、山田正紀『神狩り』あるいはアシモフ「夜来る」、ホーガン『星を継ぐもの』など、本書を例える歴史的な作品が挙げられている。評者はそれらよりも、山本弘『神は沈黙せず』+ニーヴン&パーネル『神の目の小さな塵』(設定的には逆だが)を連想した。超常現象に対する驚天動地の謎解きや、苛酷な生存競争を生き延びる三体人の文明描写にそういう雰囲気があるからだ。意外だが、本書ではSF的にソフィスティケートされた(悪く言えば上から目線の)「人類」や「文明」が主眼なのではなく、もっと生々しい生死の問題が問いかけられているように思える。
ところで、せっかくプルーフを配り、キャンペーンを盛り上げようとしている割に、現時点ではまだ本書の特設ページもなく版元の紹介もほぼない。アマゾン初めネット書店での内容紹介、作者紹介はかなり寂しい。今月出るSFマガジン2019年8月号での特集はあるようだが、もう少し多面的にアピールすべきだろう。
(発売の7/4時点では、版元HP→版元noteで特設ページが設けられています。即重版でベストセラーに挙がったところを見ると、もともと注目度は十分に高かったのでしょう)。
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