チャールズ・L・ハーネス『パラドックス・メン』(竹書房)
The Paradox Men,1953(中村融訳)
コラージュアート:Q-TA、カバーデザイン:坂野公一(welle design)
近年出た翻訳SFの中で『危険なヴィジョン』を凌ぐ「幻」の一作となると、本書ぐらいしかない。スケールの大きなSFに対する評言として、時に耳にする「ワイドスクリーン・バロック」はブライアン・オールディスが、本書を紹介する際に作った造語なのである。
いつになく力の入った版元のプロモーションにも、オールディスの言葉が引用されている「プロットは精妙で、たいてい途方もない。登場人物は名前が短く、寿命も短い。可能なことと同じくらい易々と不可能なことをやってのける。それらはバロックの辞書的な定義にしたがう。つまり、すばらしい文体よりはむしろ大胆で生き生きとした文体をそなえ、風変わりで、ときにはやり過ぎなところまで爛熟する。ワイドスクリーンを好み、宇宙旅行と、できれば時間旅行を小道具としてそなえており、舞台として、すくなくとも太陽系ひとつくらいは丸ごと使う」(1964年の復刊序文に寄せられたもの)。
22世紀、地球は女王を戴くアメリカ帝国と東方連邦という覇権国家に支配されている。帝国内では宰相が権力を握り、政治は寡占化され腐敗している。反逆者グループ〈盗賊〉は彼らから金品を奪い奴隷解放資金としていたが、その一員である主人公はなぜか自身の記憶や過去が不明瞭なのだった。彼は保安大臣率いる帝国警察や、怪しげな心理学者に追われ、月基地や太陽表面のステーションへと逃走していく。
訳者の意向で先入観なしに読むべしとあって、あとがきにも内容についての言及がほとんどない(本書が、英米でどう評価されてきたのかの経緯が主体)。とはいえ、全く情報なしでは途中で話が追えなくなりそうなので、簡単に人物をまとめておくと、記憶の不確かな主人公の〈盗賊〉アモールが主人公、それに行方不明の大科学者ミュールの元妻で現宰相夫人ケイリス、悪徳宰相ゴーント、拷問を厭わない心理学者シェイ、残虐な保安大臣ターモンド、なぜかサーカス芸人から怪しい預言者となったマインドなどなどが出てきて、アモールが隠す秘密をめぐって争い合う。さらに超光速飛行する宇宙船、負時間による逆転、加速化/加集中を使った超能力、トインビー学派に非アリストテレスも登場する。
初めて発表された1953年当時、本書はヴォクトの亜流にすぎないとあまり評価されなかった。破天荒な筋書からそう見られたのだろう。非A(アリストテレス)の思想や、(アーノルド・J)トインビーの歴史観(日本でも60−70年代に持て囃された)などもおそらく当時の流行なのだ。ただ、生硬な文章は内容にあっているし、破天荒だがでたらめではない。やり過ぎは、読み手の意表を突くだろう。著者がどこまで意図的だったかは分からないが、崩れそうで崩れない、ぎりぎりで成り立つ絶妙さはある。
ハーネスの翻訳書は、この他に旧サンリオ文庫から出た『ウルフヘッド』(1978)しかない。これは一時休筆していた著者が満を持した冒険SFながら、残念なことに破天荒さがすっかり失せてしまっていた。分かりやすい話となると、類作が他にも多数書かれている。それだけに、本書は奇跡的な作品なのだ。現在でも、SF的仕掛けがエスカレーションする『三体』が一般読者層にあれだけ受容されるのだから、こういう先が読めない原初的SFも(マニア以外に)受ける可能性がある。
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