【国内篇】(刊行日順:2008年11月-09年10月)
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伊藤計劃『ハーモニー』(早川書房) 物語の最後はイーガン的(このアイデア自体は、別の作家も使っている)に終る。著者インタビュー(SFマガジン09年2月号)では、よりサイエンス寄りのイーガンに比べて、社会的インパクトに対する興味が強いことが語られている。本書では、誰もが死なない理想社会と、その矛盾(肉体を改変することによる、極度な均一社会)が明快に描き出されている点が一つのポイントになる。もう一つは、主人公の感情が、そのまま文中にマークアップランゲージとして書き込まれていること(例えば、<anger>怒っている</anger>など)。これは、実は物語(の結末)と密接に関係する重要なもう一つのポイントである。文体実験と、仮想社会の描写という両者を試みた注目作といえる… |
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上田早夕里『魚舟・獣舟』(光文社) 上田早夕里の特徴は、まず第一に描写の緻密さ/論理性にあるだろう。それに伴って、主人公たちは概ね内省的であり、感情が迸ることがない。たとえば、デビュー作『火星ダーク・バラード』で浅薄に描かれていた主人公が、大幅に改稿されて年齢相応の翳を持たされた点を見ても、著者の人物観が良く分かる。「小鳥の墓」では、主人公が殺人者となった根拠が淡々と積み上げられている(ハードボイルドな印象の由来でもある)。その点、直情型の多い最近のSFとは大きく異なっている。緻密さは作品設定と密接に関係するので、SFと親和性が高いといえる… |
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田中哲弥『猿駅/初恋』(早川書房) 本書は、表題作が「猿駅」「初恋」であることでも分かるように、著者独特の幻想性を強調した内容となっている。特に「初恋」は、“グロテスクであるが切ない”という、非常にユニークな作品であり、発表当時大きな反響を呼んだ。田中哲弥は、スラップスティックな《大久保町シリーズ》の人気が高い。そういった点から、筒井康隆の影響を感じることも出来る。しかし、各作品の主人公が持っている気弱さ/後ろめたさのような、ある種背徳的な機微は、おそらくこの著者でしか表現できない感性だろう。中では、長年未完成のまま(一部が)公開されていた「猿はあけぼの」が完成した形で読めるのが嬉しい… |
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大森・日下編『超弦領域 年刊日本SF傑作選』(東京創元社) 今回は長めの作品も多く、より個性が明瞭に感じられる(総ページ数も若干増えた)。中では、法月綸太郎の非常にロジカルなSF、円城塔の数学SFがもっとも先鋭的な印象を与え、小林泰三、藤野可織のホラーSFや堀晃、小川一水、伊藤計劃らのトラディショナルなSFが中核をなしている。しかし、これ以外の境界領域の諸作品が半数を占めたことで、全体に落差が生じ、読み手を飽かせない点を注目すべきだろう… |
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長谷敏司『あなたのための物語』(早川書房) 神秘的な人間の創造性も、実は脳内物質の多寡に過ぎない。グレッグ・イーガンやテッド・チャンが冷厳に述べてきたその事実を、長谷敏司は一冊の長編にまで敷衍している。死が迫った主人公は、禁じられた手法を用いて自身の脳内を書き直そうとする。「あなたのため」小説を書き続ける仮想人格(wanna be=want to be)は、主人公の死に向き合った怯えや諦観を見るうちに、全く新しい反応を返すようになる。著者はライトノベルからスタートし、本書を書き上げるまでに、ほぼ5年を費やしている。アイデアの源泉は既存の作家に由来するが、詳細な伏線や掘り下げた知能に対する言及など、既存作品に対するアドバンテージは十分あるだろう。「あなたのための物語」とは結局なんだったのかを、最後に反芻してみるとさらに深みが増す… |
【コメント】(上記は順不同、刊行順)
早川書房の叢書《想像力の文学》は何れもユニークな作品ばかりだが、著者の別の顔が見える田中哲弥を選択。アンソロジイでは試みが面白い年刊傑作選(2008年版)を選んだ。他では、ネット時代でもなかなか得られない情報を満載した『光瀬龍 SF作家の曳航』(大橋博之編)、『日本幻想作家事典』(東雅夫/石堂藍編)等が注目される。
【海外篇】(刊行日順:2008年11月-09年10月)
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ナンシー・クレス『ベガーズ・イン・スペイン』(早川書房) スペインの物乞い(ベガーズ・イン・スペイン)とは、貧しいスペインにたむろする物乞い一人一人に、(いくら金持ちであっても)施しを与え続けることは出来ない=施しは平等にはできない、という意味になる。遺伝子改変が、親の資力によって自由に行えるようになった未来、子供たちの自由意志/親子の関係、そもそも社会の平等は保たれるのか―という、トラディショナルな問題定義と、90年代からのナノテクによる生命改変テーマを融合した作品になる。親子の確執(親は子供により良い環境を与えようとする、子供は親から解き放たれたい)が、ナノテク時代になり、子供の容姿や知能(果ては、本書のように人を凌駕する能力)まで自在となったらどうなるのか、本書の中で「ベガーズ…」「眠る犬」「想い出に…」「ダンシング…」等で追求されるテーマがそれだ… |
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チャールズ・ストロス『アッチェレランド』(早川書房) 著者はオープンソース・プログラマーでもあるため、本書もまたオープンソースとして公開されている。シンギュラリティとは、人類の知能が不連続に変化する瞬間(特異点)を意味する。それ以降、旧来の文明や社会は大きく変貌し、全く新しい(旧人類には想像もつかない)世界が生まれてくる。提唱者であるヴァーナー・ヴィンジらが想定したイメージは、多分に情報社会を意識したものだったのだが、ストロス自身が現場の人であることから、本書で描かれる展開には、情報用語がガジェット風にちりばめらられている。専門用語をSF用語のように使うことで、エキゾチックな効果を上げているわけだ… |
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若島 正編『モーフィー時計の午前零時』(国書刊行会)
ライバー、カプランの2作品は「将棋ジャーナル」のみ掲載のもの。一般読者には初紹介となる。序文が小川洋子で、帯が羽生善治という豪華版。テーブルゲームにも、さまざまな種類があるが、インド起源のチェスと将棋の深みには比類がない。チェスに憑かれた人種は、たいていが変人だ。しかし、論理的な思考能力ももちろん必要だが、極めて人間的な駆け引きが勝負を分けることもある。そのあたりのヴァリエーションは、本書でもさまざまに描き分けられている。チェスそのものがテーマの小説ではないため、専門用語を知らなくとも十分読める。ちょっとホラー風のライバー、機械に翻弄される人々を書いたウルフ、コントスキーは例のアイデアのチェス版、チェスプレイヤーの悲哀を描くカプラン辺りが優れているだろう… |
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マイケル・シェイボン『ユダヤ警官同盟(上下)』(新潮社) 著者のシェイボンは、代表作や、映画化作品も翻訳されているので、比較的紹介が進んでいる作家だ。しかし、メインストリームでもなく、SFでもミステリでもないという、まさにスリップストリームな作風のため、かえって印象が薄まってしまう傾向があった。本書は、設定を完全に並行世界ものにシフトした結果、ジャンルSFから大きな注目を集めた。自身ユダヤ人である作者は、もともとSFファンでもある。祖国を持たない民族が抱えるさまざまな矛盾を描くのに、アラスカ(アメリカ)のユダヤ自治区というSF的スキームは最適の素材だったのだろう。反面ミステリの謎解きは地味なので、ミステリ賞では最終候補までに止まっている… |
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チャイナ・ミエヴィル『ペルディード・ストリート・ステーション』(早川書房) 科学といっても、この世界の科学は既知のものとは微妙に異なる。動力源はスチーム、錬金術と魔術が交じり合う。科学者の恋人は甲虫の頭を持った半昆虫人。無数の異種族が登場し、それぞれ詳細な描写がされている(だから、これほどの大冊になる)。やがて、成長した幼虫が正体を現すと、都市は大混乱に巻き込まれていく。本書でも、マーヴィン・ピーク『ゴーメンガースト』と、オールディス『マラキア・タペストリ』の影響が見つかるが、同じことがムアコックの代表作『グロリアーナ』にも見られる。現代の英国作家にとって、これらが異世界描写の基本になることは間違いない。本書の場合、幼虫との騒動がメインストーリーとなる関係で、『マラキア…』ほど淡々としておらずリーダビリティも高いといえる… |
【コメント】(上記は順不同、刊行順)
今年は新鋭/中堅作家の長大な作品が目だった。ストロス、シェイボン、ミエヴィルらはSF境界付近にあり、プロパー外からも注目される一冊だろう。『モーフィー時計・・・』はチェスアンソロジイだが、SF作品を多く含む。アンソロジイではこの他に『時の娘』(中村融編)が埋もれた傑作を集めていて注目される。