2006/4/2

Amazon『脳髄工場』(角川書店)

小林泰三『脳髄工場』(角川書店)


カバーイラスト:森山由海、カバーデザイン:森川結紀乃


 著者の短編集としては、『家に棲むもの』、『目を擦る女』(2003)以来、1年半ぶりになる。

 脳髄工場(書き下ろし):人々の感情を制御する装置「脳髄」が当たり前になった世界
 友達(1998):軟弱な主人公が心の中に生み出した友達
 停留所まで(1999)*:バスの中で話されるさまざまな怪談話
 同窓会(1998)*:同窓会に訪れた意外な人物
 影の国(1997):見知らぬビデオに写っていたカウンセリングの男の正体とは
 声(1999)*:携帯電話にかかってきた未来の自分の声
 C市(2002):陰鬱なC市に設けられた研究所で創り出されたもの
 アルデバランから来た男(2000)*:探偵事務所に、宇宙から来たと称する男が依頼に来る
 綺麗な子(2001):何の不自由もなく暮らす女の子と家族の団欒
 写真(1998)*:写真に写った霊の姿
 タルトはいかが?(2000):恋人との生活を姉に知らせる弟の手紙
  *三洋電機社内報掲載

 収録作品の多くは、前作とほぼ同じ時期にかかれたものである。書き下ろされた表題作「脳髄工場」は、感情の起伏や脳内バランスを制御するため、ほとんどの人に「人工脳髄」が装着された社会で、“自由意志”の意味を探る作品。その他、少しずつ自分と異なっていくドッペルゲンガー「友達」や、重なった別世界を暗示する「影の国」(「世にも奇妙な物語」でドラマ化)など、現実のほころびを追求した作品がベストだろう。

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bullet 『家に棲むもの』評者のレビュー
bullet 『目を擦る女』評者のレビュー
 

Amazon『地球の静止する日』(東京創元社)

中村融編『地球が静止する日』(東京創元社)
A Matter of Taste and Other Stories,2006 (中村融他訳)

カバーイラスト:松尾たいこ、カバーデザイン:東京創元社装幀室


 今も昔も、SF作家の小説を原作(ノヴェライゼーションではない)とした映画は少なくない。キャンベルクラークランジュランディック(複数)ヴァーリイロングイヤー(解説で挙げられた定番の作家)、最近ならブラッドベリで、たいてい原作よりも映画の方が有名だ。というより、一般的には映画の知名度に応じて原作も注目されるのである。しかし、編者はここで逆転の発想を試みる。「映画も原作もマイナーな作品の中に新発見はないのか?」

 レイ・ブラッドベリ「趣味の問題」(1952):『イット・フロム・アウタースペース』(1953)
 ウォード・ムーア「ロト」(1953):『性本能と原爆戦』(1962)
 シオドア・スタージョン「殺人ブルドーザー」(1944/1959):『殺人ブルドーザー』(1974 TV映画)
 ドナルド・A・ウォルハイム「擬態」(1942):『ミミック』(1997)
 ハリイ・ベイツ「主人との告別」(1940):『地球の静止する日』(1951)
 ロバート・A・ハインライン「月世界征服」/「月世界征服 撮影始末記」(1950):『月世界征服』(1950)
  「ロト」以外の完訳は初(スタージョン、ハインライン、ベイツらの作品紹介だけなら過去に何回かあった)

 映画の詳細はリンク先を参照。『殺人ブルドーザー』、『ミミック』は適切なサイトがなかったので、データベースにリンクした。特に前者は凡作だったためか、真面目にとりあげたところがほとんどない(映像だけなら、検索するといくつも見つかる)。上記の中では、『地球が静止する日』が比較的知られている。とはいえ、半世紀も前の映画なので、名前以上ではないだろう。科学的な正確さに努めた『月世界征服』などは、(現実との違いも大きく)完全に古びてしまった。映像は、SFの場合、小説よりもリアリティが保ちにくいのだ。ということで、本書の作品は映像/小説どちらから見ても、大変にマニアックな内容となっている。定評のある「ロト」以外すべて初訳だが、機械に宿った異世界の生命という古めかしい設定を、リアルな“土木ハードSF”に変貌させたスタージョンの中篇が最大の収穫である。

bullet 『影が行く』評者のレビュー
bullet 『眠れる人の島』評者のレビュー

2006/4/9

Amazon『ロックンロール七部作』(集英社)

古川日出男『ロックンロール七部作』(集英社)


画:五木田智央、ブックデザイン:芥陽子(コズフイッシュ)、フォントディレクター:紺野慎一(凸版印刷株式会社)


 2005年11月に出た本。『ベルカ、吠えないのか?』(2005)で描かれた犬の黙示録が、ロックに置き換えられたものという一般的な評価ではあるが、犬の血筋=遺伝子情報であるし、ロックも無形の“音素配列”=情報なので、見かけ以上に情報科学(?)的な共通項が多い小説かもしれない。 ネット社会では瞬時に情報が伝播する。ロックの時代は、まだそうではなかった。
 本書の七部作とは、七大陸を指す。

 第1部:ヨーロッパ→北アフリカ→ビアフラ→ナミビア(アフリカでアレンジされたロックのリズムが辿った道筋)
 第2部:北米、ルイジアナ→ミシシッピ→メンフィス→シカゴ→カナダ(アリゲータから作られたギターの伝播)
 第3部:ユーラシア、ウラジオストック→モスクワ(戦前、ソビエト時代から続く“味”とロックが出会ったとき)
 第4部:オーストラリア、シドニー→シングルトン→メルボルン(動物たちが嗜好する音楽の道)
 第5部:インド亜大陸、マドラス→デリー→ボンベイ(映画のスクリーンで踊るエルビスの複製たち)
 第6部:南米、アルゼンチン→サンパウロ(タンゴの天才が誓う、父の敵=武闘家に対する復讐劇)
 第7部:南極大陸、シカゴ→南極(愛するものを破壊せざるを得ない男が知ったロック)
 第0部:21世紀から語られる、ロックの世紀20世紀の意味

 お話は当初“音楽”そのもので始まるものの、途中から、“ロック”という生き方へと拡散していく。たとえば、第1部ではヨーロッパ生まれのロックが、遊牧民の子供を経てアフリカの土俗的なリズムに変貌し、一人の傭兵の人生を翻弄する。人の生き様を支配する音楽は、ロックンロールをもってはじめて国籍/人種を超えた。だからこそ、20世紀(特に20世紀後編)はロックンロールの世紀なのだと、作者は主張するのである。

bullet 『ベルカ、吠えないのか?』評者のレビュー

2006/4/16

Amazon『コラプシウム』(早川書房)

ウィル・マッカーシイ『コラプシウム』(早川書房)
The Collapsium,2000(嶋田洋一訳)

Cover Illustration:鷲尾直広、Cover Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。


 昨年処女長編が翻訳された、ウィル・マッカーシイの“太陽系女王国シリーズ”第1巻。
 遠い未来(30世紀?)、人類は自身を複写できる“ファックス”技術で、体の改変や加齢の停止の自由さえ獲得している。太陽系は女王を戴く復古調の王国になる。太陽を巡る、ブラックホール結晶体“コラプシウム”によるリングができれば、移動の自由も得られるはずだった。しかし、リングは度重なる事故により危機を迎える。女王の元配偶者で、孤独を愛する天才科学者(主人公)は、事故の原因を探るうちに、王国を揺るがす大惨事に直面する。
 作者の設定には科学的な裏付けがあり、謎解きにも物理法則が重要な役割を果たす…のだが、それにしても、壮大なアイデアに対して、結末のスケールが小さすぎる。その中途半端さが本書の“ハードSF”(作者自身による数式つきの付録まである)という印象を薄めてしまっている。どうも作者には、ガジェットはあくまで小道具であって、お話の目的ではないという意識があるようだ。とはいえ、ハードさが感じ取れない分、読みやすくなっているのも確かだろう。
 興味があるなら、続編(The Wellstone,2003)のオーディオブック版を著者のホームページからダウンロードできる。ただし、テキスト変換の合成音声なのでとても聞き取りにくい。

bullet 『アグレッサー・シックス』評者のレビュー
 

Amazon『銀の弦』(中央公論新社)

平谷美樹『銀の弦』(中央公論新社)


装幀:松沼教、DTP:平面惑星


 4月25日発売予定(予約は今週半ば頃から可能になる)の平谷美樹最新SF長編である。著者は、昨年末に『歌詠川物語』(つり人社)というフライフィッシング(毛鉤釣り)をテーマにした小説を書いている(歌詠川は、岩手北部にあるという架空の川)。本書でもそのフライフィッシングから物語は始まる。
 主人公は東京の新聞記者。フライフィッシングのため休暇で訪れた岩手の渓流で、岩から突き出した手首を見つける。まるで岩と融合したように見える手は、釣の同行者のものとそっくりだった。しかし、本人は生存している。やがて、もう一人の主人公の存在が明らかになる。もう一人とは何者か、死を呼ぶ不吉なドッペルゲンガーなのか。
 物語の重要な要素として、日本の伝統的な文様“麻の葉模様”が登場する。この模様は無限の繰り返しで、さまざまな見え方をする。見る立場で異なるという連想から、現実世界と重なり合うもう一つの世界を象徴するものだ。しかし、物語は単純な怪奇譚に終わらない。離散的な時間線を貫く“弦宇宙”(ひも宇宙)の理論が登場する。すると、にわかに世界の存在は不確かになり、この世界と重なり合う別の(よく似た)世界が入り混じりあい始めるのである。
 ホラーと思って読むと、物語の最終部分(奇怪な宇宙論へと展開する)は相当難解だろう。著者は心臓病で入院し、死を実感するようになったという。その結果なのか、本書で描き出される結末=主人公/宇宙の命運には、不滅のもの/無限のものに対する深い思索が感じ取れる。

bullet 『黄金の門』評者のレビュー
bullet 『ノルンの永い夢』Jコレクション特集のレビュー

2006/4/23

Amazon『やみなべの陰謀』(早川書房)

田中哲弥『やみなべの陰謀』(早川書房)


カバーイラスト:笹井一個、カバーデザイン:ハヤカワ・デザイン


 1999年に電撃文庫で出た作品の加筆修正版。ライトノベル系SF作家の作品を、ハヤカワJAでアダルト向けSFとして再評価しようという動きの一環である。田中哲弥については、そのギャグの執拗さもだが、むしろ幻想の質感が筒井康隆を思わせるため、早くから注目されていた。ただ、大森望の解説にもあるように、デビュー13年目にして著作は5冊、異形コレクション等に短編を発表してはいるものの、最新単行本が本書(7年前)という寡作な作家でもある。
 5つの独立した短編から成るオムニバス長編。自宅で一人で住む大学生の主人公のもとに、ある日突然アロハシャツを着た大男から千両箱が届けられる(「千両箱とアロハシャツ」)→主人公に付きまとうトランペット吹きのデブの友人は、なぜか金回りが良い(「ラプソディー・イン・ブルー」)→江戸時代、藩主のお手許金疑惑から窮地に立たされる主人公と、大男の侍(「秘剣神隠し」)→大阪人が日本を支配し、お笑いで抑圧する社会(「マイ・ブルー・ヘヴン」)→時間を越えた侍と千両箱の謎がすべて明らかになる(「千両は続くよどこまでも」)。
 直線型のタイム・パラドクス(時間線は1本しかなく、過去の改変=未来の変化となる)ものは、単純な作品が大半だ。その点、本書はばらばらなエピソードが続くため、収斂させるのが大変だったろう。田中哲弥の場合、1つのテーマに見えても、思わぬ多様性を発揮できるところにポイントがあるようだ。

bullet 著者の公式サイト
 

Amazon『忘れないと誓ったぼくがいた』(新潮社)

平山瑞穂『忘れないと誓ったぼくがいた』(新潮社)


写真:HITAKA KUSAKABE/aiwest/amana/CORBIS、装幀:新潮社装幀室


 2月に出た、2004年(第16回)日本ファンタジーノベル大賞作家の受賞第1作である。今回は、受賞作に比べると明確なテーマが設定されているのが特徴だろう。
 主人公は大学受験を控えた高校生。あまり目立たないけれど、必死の受験勉強に明け暮れる生活を送っている。ところが、ある偶然で知り合った少女(同じ高校生)と付き合いはじめ、彼女の奇妙な運命を知る。同じ学校に在校しているはずなのに、その存在が誰の記憶からも消え去ってしまうのだ。忘れずにすむ方法はないのか。彼は彼女との会話をノートに余さず記録していくが…。
 確かにいたはずなのに、誰も憶えていない。SFの常套的なテーマに、“忘れられる人々”がある。すばらしい業績や才能を上げていても、そういった人々は誰も憶えていないし、そもそも存在した記録自体が残されないのだ。逆の立場から書かれた、例えばリチャード・マシスン「蒸発」(1953)は、記憶の中のできごとが次々と消えうせていく様子が、主人公の記したノートから再現されるという作品である。本書は、消えていく恋人の記録である。普遍的な消滅の恐怖(人は社会的な動物であるため、他人に認知されないと不安に駆られる)よりも、主人公の感傷に視点をおいたラブストーリーになっている。むしろ、ゴーストが恋人になる映画と似ている。SF読者には、やや物足りないかもしれない。

bullet 『ラス・マンチャス通信』評者のレビュー

2006/4/30

Amazon『安徳天皇漂海記』(中央公論新社)

宇月原晴明『安徳天皇漂海記』(中央公論新社)


装幀/本文デザイン:ミルキィ・イソベ、DTP:石田香織


 2月に出た、1999年(第11回)日本ファンタジーノベル大賞作家宇月原晴明の新作長編。2003年の『黎明に叛くもの』以来の作品であり、2年に1作という著者の出版ペースが守られている点に、まず感心する。
 本書は、織田信長―豊臣秀次―松永久秀と続く、戦国3部作からおよそ300年遡った鎌倉時代が舞台。源氏の血を引く時の将軍・源実朝は、執権・北条義時に政治権力を握られ、詩作に耽るだけの無為な生活を送っていた。そこに幻術を操る奇怪な集団が現われる。しかも、彼らは壇ノ浦に沈んだ幼い天皇安徳帝を守り続けていると称する。
 第2部で舞台は一転する。クビライ・カーンの君臨する大元帝国の宮廷で、カーンに帝国内外の奇譚収集を任じられた巡遣使マルコ・ポーロは、滅びた南宋の遺臣に守られた幼い皇帝にまつわる奇妙な話を知ることになる。それによると、遠く日本の帝王が広州の地に漂着したという。
 南宋と元軍の最後の海戦・克Rの戦い(1279)と、壇ノ浦(1185)の類似、宋の最後の幼少帝と安徳帝の類似など、作者お得意の歴史的アクロバットを、マルコ・ポーロと実朝の部下(第1部の語り部)という観点で結び合わせるなど、相変わらずのエスカレーションが楽しい。特に南宋の壮絶な末路は、あまり日本では知られていないだろうし、結末の奇怪さにも驚かされる。

bullet 『信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』評者のレビュー  
bullet 『聚楽 太閤の錬金窟』評者のレビュー
 

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