2012/5/6
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クライトンが2008年に66歳で亡くなってから、遺作として『パイレーツ
掠奪海域』(2009)が出た前後、4分の1程度の草稿で止まっていた本書の存在も知られていた。未完成なのだから、誰かが書き継がなければならない。そこで、エボラ・ウィルスを描いた迫真のノンフィクション『ホット・ゾーン』でも知られる、ベストセラー作家リチャード・プレストンが本書を完成させることになった。
ケンブリッジにある生物学の大学院に、ハワイのベンチャー企業からリクルートの誘いが来る。画期的な技術で、生物由来の医薬品研究を行うという。企業ではマイクロロボット技術の開発も進んでおり、その技術を使うと、人間のような大型動物もマイクロ化が可能なのだ。しかし、企業の内部抗争に巻き込まれた大学院生たちは、わずか2センチに縮められ、昆虫の宝庫であるハワイの自然植物園に投棄される。そこは、凶悪な捕食者が跋扈する未知の暗黒大陸そのものだった。
クライトンがどういう立ち位置の作家だったかは、SFマガジン2012年6月号に酒井昭伸のエッセイが載っており参考になる。クライトンは政治的な主張(日本企業による支配、環境保護派への反論等)を取り上げても、世評をタイムリーに取り込んだだけで必ずしも一貫しない。その時々の興味を第一に考えるからだ。例えば、本書と同時に新装版が刊行された『アンドロメダ病原体』(1969)は、クライトン名義(複数のペンネームを使い分けていた)の初長編である。ベストセラーかつ映画化(1971)など、著者の人気を一気に高めるきっかけとなった。日本でも『アンドロメダ…』は星雲賞を受賞している(1971)。しかし、クライトンはSFを指向したわけではない。そもそも、特定ジャンルの小説を書くことが無かった。医療サスペンス(TVシリーズ《ER
救命救急室》)、歴史冒険もの(『北人伝説』『大列車強盗』)、企業陰謀もの(『ライジング・サン』『ディスクロージャー』)、地球環境問題(『恐怖の存在』)等々、プロパーに囚われない、ジャンルミックス型のエンタメ小説を書き継いでゆく(今のベストセラー小説では、むしろそれが主流だろう)。SFサイドからは、そんなこともあって、『ジェラシック・パーク』(1990)などSF映画が評判になっても、ベストセラー小説はスルーされたのだ。
さて本書だが、熱帯密林の微小な昆虫世界を、(まさに)ジェラシック・パークのようなスケールで描いた点が面白い(『ガリバー旅行記』の視点)。それに反して人間ドラマはやや類型的過ぎて、クライトン最後の一冊にしては軽い印象だ。やはり映像向きか。
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2012/5/13
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著者は1975年生まれのアメリカ作家。デビュー作は、2003年に小出版社から出したホラーファンタジイ《サザン・ゴシック・シリーズ》の長編から(2005年に改稿されたものが、現在入手可能な正規版のようだ)。ハヤカワ文庫FT(ファンタジイ)で出ているゲイル・ギャリガーと並び称される、新鋭スチームパンクの作家である。本書はPNBA賞や、ローカス賞のSF長編部門を受賞(ちなみに、同年のファンタジイ部門受賞作が『都市と都市』、ヤングアダルト部門が『リヴァイアサン』、ファーストノベル部門が『ねじまき少女』)、映画化まで予定されているSFであり、《ぜんまい仕掛けの世紀・シリーズ》の最初の作品となっている。
1863年、シアトルの発明家が開発した途方もない坑道切削マシン「ボーンシェイカー」が暴走、町の中心部を崩落させ、有毒ガスが噴出するという大事故を引き起こした。そのガスには死者をゾンビ化する効果があり、町の大半は危険地帯と化す。やがて高い壁が築かれ、中心部は隔離される。16年後、一人の少年がそこに潜入しようとする。彼は発明家の息子であり、父親の痕跡を探そうとしていたが。
もともとファンタジイでデビューした著者だが、本書で注目を集め、受賞はしなかったもののヒューゴー/ネビュラ賞の最終候補にもノミネートされている。同じスチーム・パンクでも、ファンタジイ色の濃いギャリガーとは異なり、プリーストは小道具1つ1つについて存在理由を与え、理屈にこだわったのだという。設定も凝っていて、長引く南北戦争(別の歴史を経た19世紀アメリカ)、ロシアの賞金に釣られて開発される蒸気動力のさまざまなメカ、フィリップ・リーヴを思わせる飛行船乗りたち、都市の地下に生息する荒くれ者、息子を追いかけるライフルを抱えた母親(表紙イラスト)と、登場人物も魅力的だ。ただし、伝説となった行方不明の父親との出会い以降、物語は中途半端に収束しており、本書だけでは物足りないのが難点だろう。
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2012/5/20
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ヒューゴー賞(2006)、星雲賞(2009)など5つの賞を受賞した『時間封鎖』(2005)、続編の『無限記憶』(2007)と続く3部作の完結編である。大仕掛けの設定(40億年/1万年の時間、12のかけ離れた世界をつなぐゲートの存在、ネットワーク化された集合知性)と、平凡な登場人物(精神科の医師、警察官、不運な経歴を持つ少年)を組み合わせ、あくまでも静的に物語を進めるという著者らしい作品だ。
人類を40億年も封じ込めた超越的存在“仮定体”。そこに吸収された1人の男が、1万年を経て復活する。仮定体が造ったゲートによって結ばれる〈連環世界〉では、人類は2つの陣営に分かれ争っている。男は浮遊群島から成る都市国家に救出される。彼らはある種の狂信者で、居住者が死に絶えた地球で仮定体との合一を夢見ていた。
この未来の物語とは別に、第2部の地球を舞台としたもう一つのお話が並行して置かれている。それは主人公となる男の、過去の記憶と関係ある物語だ。宇宙的な時間と一個人の時間とには、少なくとも100倍以上のレンジ差がある。それを同一視して書くことはできない。そこで本書は、長大な時間/超越的存在と、日常世界との相対的関係を表現しようとする。仮定体の正体もまた、1つの推測として明らかにされる。宇宙消滅に至る時間の描写は、アンダースン『タウ・ゼロ』(1970)を思わせ、20世紀的な日常の流れを対置させる書き方は、小松左京『果てしなき流れの果てに』(1966)を連想させる。さてしかし、本3部作が成功したのかというと、設定の勝った第1部、人間描写中心の第2部と、両者を混淆させた第3部であり、後になるほどインパクトが薄れていく。同著者では、昨年出た『クロノリス』辺りが、バランスも取れ長さ的にもちょうど良いように思われる。
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2012/5/27
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《ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション》10周年記念作品。同シリーズは、本書も含め、5月までで既に55冊が刊行されている。叢書創刊の2002年10冊は例外として、以降2010年までほぼ年4、5冊の刊行だったが、昨年は2冊とペースを落していた。今回の10周年では、もう一つある《想像力の文学シリーズ》をも包含するような、幅広いラインアップとなるようだ。法条遥は1982年生まれ、第17回日本ホラー大賞の長編賞を『バイロケーション』で受賞し(大賞は『お初の繭』)、本書が著作3冊目となる。
2002年、異変は確定しているはずの事件が起こらなかったことから始まる。その日、10年前の彼女自身が過去からタイムリープして、携帯電話を持ち帰るはずだった。電話は過去に起こった事故から、友人を救出するために使われたのだ。もし電話を持ち帰らなければ、彼女の知っている過去もない。やがて、見知らぬ事実が次々と明らかになっていく。
本書には、主人公が自身の体験を描いた小説『時を翔ける少女』が登場する。ラベンダーの匂いとともに、タイムトラベルする設定は、もちろん筒井康隆『時をかける少女』(初出1965)を意識したものだ。「SFマガジン2012年6月号」のインタビューによると、小説ではなくアニメーションのパロディなのだ。もともとホラー大賞受賞前に書かれ、時間に囚われた運命という意味で、北村薫《時と人》を意識した作品であるという。タイムパラドクス(循環する時の罠)を回避するために、未来人である友人は驚愕の方法を採るが、さまざまな綻び(過去の書き換え=リライト)が生じるようになる。時間物が持つ、ミステリ的/パズル的要素をうまく抽出したユニークな作品だろう。
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