【国内篇】(刊行日順:2009年11月-10年10月)
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東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社) 本書は、題名通り“量子的に離散化された家族の物語”である。後ろめたい過去を持つ売れない作家/テロの首謀者である主人公、実在の娘/物語の中で書かれた娘、最愛の妻/冷え切った関係の妻、テロ思想の信奉者だった愛人、それらが複雑な並行世界との関係で描かれていく。しかし、この物語は(本来の多世界解釈のように複数に)発散せず1つに収束していく。作者が、本書を極めて私的な家族愛の物語として終幕させた意図についても、考えてみる必要があるだろう… |
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北野勇作『どろんころんど』(福音館書店) どろんこの世界とは、文字通り泥沼そのもの、泥濘がどこまでも続く世界である。そこでは人に似せて作られたヒトデナシたちが、人間の世界を模倣した町を作ろうとしている。地下鉄のようなものや、デパートのようなもの、都会のようなものが、一見それらしく作られている。しかし、裏側に回ってみると、どれもが全く異質のシミュラクラ/ニセモノだ。同じように、カメロイドとセルロイドの主人公たちも、ここでは意味のない存在である。そして、最後に明らかにされる人類の運命は、大変不気味なものといえる。ユーモラスに描かれた著者の作品だが、どれにも慄然とする恐怖が巧妙に織り込まれている… |
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藤真千歳『スワロウテイル人工少女販売処』(早川書房) 『スワロウステイル…』は複雑な設定になっている。隔離された島、自警団(自治警察)、日本本土から派遣された治安部隊、人工妖精を管理する治安組織が絡み合い、妖精(有機アンドロイド)の造形師、できそこないの妖精と、殺人鬼となった妖精が登場して、お互いの意味を確かめ合う展開になる。気になるのは、ここで述べられている内容である。確かに設定内では正しいのだが、共感するにはあまりに作られすぎているように感じる… |
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上田早夕里『華竜の宮』(早川書房) わずか500年後の未来なのだが、そこには異形の人類が生存している。クジラのように巨大化した魚舟・獣舟、手足のない植物のような人類、しかし、一方で現存の人類は21世紀の政治体制を半ば引き摺ったまま存続している。そういう矛盾を、本書はいくつかの仕掛けで読者に説明している。まずプロローグで、激変する地球環境を最新地球科学理論を敷衍する形で提示する。次に、人類の変化を遺伝子改変技術で説明し、最後に政治体制や技術レベルの沈滞については、資源が著しく制約される未来の状況から納得させようとする。何れも本格SFの多くが踏襲する“説明責任”を果たしていて、背景にある世界構築の緻密さを十分感じさせるものだ… |
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大森望編『ゼロ年代日本SFベスト集成』(東京創元社) 良く似た表題のアンソロジイ『ゼロ年代SF傑作選』が、年初に出ている。しかし同じ“ゼロ年代”でも、本書の視点はあくまでも“ゼロ年代に書かれた作品”であり、この年代にデビューした作家のみが対象ではない。結果として、本書は21世紀初頭のSFトレンド(仮想空間と現実との相似性、ロボットやクローンと“本物”との相似性、並行宇宙に対する様々なヴァリエーション等)を反映しながら、小説的にも落ち着いた雰囲気のものが多くなった。S編では、設定のスケールで「魚舟・獣舟」、稠密さで「ラギッド・ガール」が優れ、F編では描写が濃厚な「冬至草」、他にない抒情性で「逃げゆく物語の話」が印象に残る… |
【コメント】(上記は順不同、刊行順)
SF隆盛の証拠なのか、大森望のアンソロジイが再録/オリジナル/翻訳を含め、10月までに8冊も出ている。その中から『日本SFベスト集成』を代表に選定。また著者の最初のSF長編となる『クォンタム…』、設定が壮大な『どろんころんど』『スワロウテイル…』『華竜の宮』を選んでいる。評論では明治から説き起こした長山靖生『日本SF精神史』、30年来の集大成、鏡明のエッセイ『二十世紀から出てきたところだけれども、なんだか似たような気分』が注目。
【海外篇】(刊行日順:2009年11月-10年10月)
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マックス・ブルックス『WORLD WAR Z』(文芸春秋) ゾンビにより世界が崩壊する過程は、キーパーソンへのインタビューというドキュメンタリ形式で、世界各地を転々としながら、重層的に描写されている(作者が、資料を丁寧に調査した形跡が認められる)。パニックそのものは最小限しか描かず、崩壊後の社会の再建までが書かれている。そういう意味から、パニック/ホラー小説ではない、アフター・ホロコーストもの(最終戦争後の世界)の要件は整っているだろう。ただし、本書では、世界の様子が並列に置かれただけだ。普遍性のある文明論が見えるまでには至らない。本当の意味でのデザスターノベルにはやや物足りない印象である… |
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ヴィクトル・ペレーヴィン『宇宙飛行士オモン・ラー』(群像社) J・G・バラードの短編に「死亡した宇宙飛行士」(1968)というのがあり、それは廃墟となった宇宙基地と、死亡した宇宙飛行士を乗せたまま軌道を回る宇宙船を描いた作品だった。バラードは心の中に存在する内宇宙とハードウェアを伴う外宇宙を、そのような形で皮肉に対比して見せたのだ。ペレーヴィンは、同じようなスタンスで本書を書いている。ソビエト時代に隠された悲劇があったとしても、本書のような事実ではないだろう。しかし、ペレーヴィンは、人々の内面としてはこうなのだったと主張している。ほとんどギャグのような設定なのに描写はあくまで淡々としており、抑圧された諦観とでもいえる独特の印象を残す… |
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チャイナ・ミエヴィル『ジェイクをさがして』(早川書房)
もともとSFを意識していないミエヴィルの作品だが、本書を読めばその全貌がより明確になる。長編や、異形化したロンドンを舞台にした作品だけを読むと、著者の志向は、よりディープなファンタジーではないかと感じる。けれども、多くの作品は日常の隙間に潜む“魔性=気味の悪いもの”を描いているので、ずっとホラーに近い。その中で、大味な欧米ホラーと比較して、著者のきめ細かな描写力は際立って見える。この雰囲気に一番近いのは諸星大二郎の漫画ではないか… |
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ジョー・ウォルトン《ファージング三部作》(東京創元社) 英米文化といっても、日本人の多くは単純なハリウッド文化を知っているだけだ。英国のような、多くの矛盾を抱えた階級社会の深層は分かっていない。本書は、改変歴史ものであると同時に、差別の色濃い英国社会を描き出している。1巻目はユダヤ人と結婚した貴族の娘、2巻目は名家からスピンアウトした女優、3巻目はエリザベス女王謁見まで果たした庶民階級の娘が、それぞれの視点で社会について語っている。ここでのポイントは、階級やユダヤ蔑視を公然と口にする登場人物が、日常生活では普通の人間という違和感だろう。ヒトラーでさえ怪物ではない。その当たり前の人間がファシズムを肯定し、強制収容所を作るのである。物語はI巻、II巻と緊密度を上げて、ただIII巻目は予定調和的に終わる。カタルシスを得られる一方、ややバランスの悪さを感じさせる結末だ… |
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大森望編『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』(早川書房) 本書の場合、時間物の“オールラウンド”を目指した(重層的な)構成がなされている。チャン/プリースト/ワトスン&クアリア/ショウまでは、時間に翻弄される人間のありさまを描き(時間の無謬性、凍結した時間、逆転する時間、遅延・蓄積する時間)、エフィンジャー/シルヴァーバーグ/スタージョン/マッスンまでは、時間の持つ特異性を際立たせ(史実と異なる過去、お互い矛盾した未来、孤立した時間、時間流の不均一性)、一転、後半は書誌的な時間物の原点を探る、パイパー/ルポフ(同じ人生を生きなおすリプレイもの、時間ループものの最初の作品)を挟み、さらに複雑化したスチャリトクル/ワトスン/バズビイ(集団時間ループ、人類史そのものがループ、シャッフルされた時間)と続く。比較的シンプルなものから、複雑なものへと展開していく並びになっていて、やはり最初から順番に読むのが正解だろう… |
【コメント】(上記は順不同、刊行順)
翻訳でもアンソロジイが多数出たが、時間物で粒のそろった『ここがウィネトカ…』を選んでいる。宇宙ものなら『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』になる。ゾンビ物の変格『WORLD WAR Z』、宇宙物の変格『オモン・ラー』、ミエヴィルのホラー、歴史改変ミステリ《ファージング三部作》と今年は変格ものを選定。その他、フェリクス・J・パルマ『時の地図』も時間物の変格だ。