榎本憲男『エアー3.0』小学館

装丁:高柳雅人
カバー写真:Gregory Adams,Lori Andrews / Moment / getty images

 映画監督でも知られる著者の最新長編。本書は、2015年に書かれた小説デビュー作『エアー2.0』の続編になる。福島原発の作業員だった主人公が、新国立競技場の建設現場で知り合った老人の助言を得て競馬の大穴を的中させる。ところが、それは「エアー」と呼ばれる予測システムを使った結果で人の感情(空気)の数値化が可能なのだという。国家レベルのビッグデータを与えれば、さらに広範囲の予測が可能になるらしい。主人公は賞金を元手に政府との交渉にあたり、福島の帰宅困難地域に経済自由区(特区)を設けるまで影響力を広げていく。ここまでが前作になる。

 自由区は奇跡的な成長を遂げた。まほろばと呼ばれ、自由区内ではカンロという独自のデジタル通貨が流通する。1円が1カンロに換算され、一方通行だが借りても利子を取られない。自由区内の企業にはカンロで投資が行われ、経済圏は外部の企業にまで拡大する。その裏付けには、エアーの運用よる莫大なフィンテック資産が充てられた。まほろばの拠点は海外にも広がる。それも、グローバルサウスやBRICS諸国に。日本政府は予想外の動きを警戒する。

 まほろばの代表となる主人公は、もともと一介の作業員だった。しかし巨額の資金をインフラ事業に投資するうちに、倫理的に目指すべき目標を考えるようになる。優秀な元官僚(副代表)、旧知の通訳やアナウンサーの助けを借りながら独自の理想を極めていくが、既得権者はそれを快く思わない。

 《エアー・シリーズ》は経済をテーマとしたポリティカル・フィクションである。前作では国内政治、本書では国際政治が舞台となる。架空のデジタル通貨による「新しい資本主義」を打ち立て(その裏付けにSF的なエアーを置き)、ドル経済圏に支配された新自由主義体制からの脱却が模索される。さらに、エマニュエル・トッドやアジア的な価値観に基づく主張が加わる。その点をどう評価するかは人それぞれだが、G7の権威が揺らぐ今日を反映した見方といえる。

 この物語の「エアー」は今風のAIよりも、安部公房の「予言機械」に近い存在である。ブラックボックス(AIの知性も同様ではある)で、世界のあらゆる動勢を予見できるけれど、自らの意思は持たない。哲学や数学の権威とする老人も謎めいた存在だ。ハリ・セルダンのように、死してなおメッセージ(メール)を送ってくるのである。環境問題に振った『未来省』と読み比べるのも面白いかもしれない。