キム・チョヨプ『この世界からは出ていくけれど』早川書房

방금 떠나온 세계,2021(カン・バンファ、ユン・ジュン訳)

装画:カシワイ
装幀:早川書房デザイン室

 キム・チョヨプ3作目の翻訳書(連名では他にノンフィクション『サイボーグになる』や、アンソロジイ『最後のライオニ』などもある)。今年の初めに翻訳されたのが長編『地球の果ての温室で』だったので、短編集としては2冊目になる。

 最後のライオニ(2020)こちらを参照
 マリのダンス(2019)視覚的な刺激が断片化し像を結ばない異常を持つモーグ、その一人である少女がダンスを習いたいという。機材を使えば「見る」ことができるのだ。
 ローラ(2019)自分の体に余分なものがあると感じたり、あるいは何かが足りないと感じる身体不一致を訴える人々が現れる。ローラは後者だった。
 ブレスシャドー(2019)プレスシャドーでは呼気に含まれる匂いの粒子で会話をする。しかし、蘇生したプロトタイプの人類には相容れない方法だった。
 古の協約(2020)遠い昔に植民された惑星ベラータに、遠く地球からの探査船が到着する。だが、親しくなった乗組員は、古くから続く風習に干渉しようとする。
 認知空間(2019)共同体には認知空間と呼ばれる巨大な記憶施設がある。人々は自身の知覚と一体のものと見做している。ただ、身体的な制限から利用できない者もいた。
 キャビン方程式(2020)天才物理学者だった姉から、妹宛に奇妙な依頼が届く。おかしな噂がささやかれるデパート屋上の観覧車に乗れというのだ。

 SF専門誌今日のSFに載った「認知空間」以外はすべて文芸誌/一般向け掲載作だが、何れもSF小説になっている。視覚が別のものに変わり、体に不一致を感じ、匂いが言葉になる。さらに踏み込んで環境と寿命や、認知の拡張の意味、時間感覚の伸張までが語られる。ふつうの人(多数派)と感覚が異なる少数派または個人との、相互理解(その可能性)を描いた作品が多い。当然のことながら、これらは現代の身体的な障害や性自認に伴う差別にも関係するだろう。

 ただ、本書で描かれるのは単純な弱者と強者の関係ではない。場合によっては覚醒者と無自覚な守旧派のように逆転するし、治療や説得ができないことから思わぬ結果につながる。そういう意味で、現代の社会テーマが背景に透ける第1短編集よりも、さらに普遍化され重みを増した作品集といえる。

ケン・リュウ、藤井太洋ほか『七月七日』東京創元社

일곱 번째 달 일곱 번째 밤,2021(小西直子、古沢嘉通訳)

装画:日下明
装幀:長崎稜(next door design)

 今月には旧暦の七夕(8月22日)がくるので紹介する。本書の原典は、韓国Alma社で企画出版された韓国語のアンソロジイである。済州島の伝承を元にした韓国SF作家の7作品に、中国系作家2作品(どちらも原著は英語)と藤井太洋(日本語)をゲストとして加えたものだ。

 ではなぜ済州島なのか、なぜ中国や日本が関係するのか、そもそもなぜ七夕なのか。まず、済州島は12世紀まで独立国だった関係で、韓国本土と異なる独自の文化や伝承がある。海を介して大陸と近い関係で、中国文化の影響も大きかった。その点は、独立王国だった奄美や沖縄(琉球)などとも共通する。また、日本には織姫彦星の一般的な七夕伝説のほかに七夕の本地物語というものがあるが、これは済州島の伝承との関連が指摘されている。国際アンソロジイとした根拠はその辺りにもあるだろう。

 ケン・リュウ「七月七日」幼い妹に七夕のお話をしたあと、主人公はアメリカに留学する友と夜の街に出る。すると、カササギの群れが現れて2人を空へと導くのだ。
 レジーナ・カンユー・ワン(王侃瑜)「年の物語」眠りについてから久しい時間が流れたあと、怪物「年」は少年に召喚されて目覚めるが、街は見知らぬものとなっていた。
 ホン・ジウン「九十九の野獣が死んだら」銀河港のターミナルに野獣狩りのハンターがやってくる。老人と鋼鉄頭のコンビで、獲物を臭覚センサーを使って追跡するのだ。
 ナム・ユハ「巨人少女」済州島の高校生5人が宇宙船に拉致され、一見何事もなく戻ってくる。しかし、その体には異変が生じていた。急激に巨大化していくのだ。
 ナム・セオ「徐福が去った宇宙で」コレル星系の辺境で採鉱をしているコンビは、見知らぬ巨大な宇宙船と遭遇する。それは、チナイ星系から不老草を求めて飛来したという。
 藤井太洋「海を流れる川の先」サツ国の暴虐な兵が大軍で押し寄せてくる。しかし、備えを知らせようとする伝令舟に、サツ国の僧と称する男が同乗してくる。 
 クァク・ジェシク「……やっちまった!」済州島で開催される学会のあと、学会を主宰する先輩と共に島の最高峰漢拏山に登頂した主人公は不思議な体験をする。
 イ・ヨンイン「不毛の故郷」生命の豊かな惑星で、異星人は孤島の耽羅地区に保養地をもうけていたが、予想より早くそこに人間が到来した。
 ユン・ヨギョン「ソーシャル巫堂指数」ネット時代に対応するために、市民はICチップをインプラントされている。しかし、巫堂指数が高すぎる人間は異常者扱いされる。
 イ・ギョンヒ「紅真国大別相伝」翼を持って生まれたものは殺される。しかし神の造った子供は羽を密かに切り落とされ、生き残ることになる。

 明記はされていないが、ケン・リュウ以外は書下ろしか、本書が初出の作品だろう(日本初紹介作家も多数)。各作品には元となる伝承や歴史がある。七夕(中国)、架空の新年行事(中国)、九十九の谷の野獣伝説、巨人のおばあさんハルマンの伝説、徐福伝説、薩摩による琉球討伐(日本)、白鹿譚と山房山誕生の伝説、シャーマン神話、媽媽神(大別相)に関する伝説などなどだ。注記のないものはすべて済州島の伝承・伝説になる。

 ただし、それぞれの物語はずっと自由で、宇宙ものの「九十九の野獣が死んだら」「徐福が去った宇宙で」「不毛の故郷」、怪獣ものめいた「巨人少女」や、今風の近未来「ソーシャル巫堂指数」、主人公の孤独を軽妙に描く「……やっちまった!」など、ユーモアと哀感を込めて書かれたものが多い。巻末の「紅真国大別相伝」はファンタジーなのだが現代的な寓意が込められている。

キム・イファン/パク・エジン/パク・ハル/イ・ソヨン/チョン・ミョンソプ『蒸気駆動の男:朝鮮王朝スチームパンク年代記』早川書房

汽機人都老 기기인 도로,2021(吉良佳奈江訳)

カバーデザイン:川名潤

 もし、14世紀末からの李氏朝鮮の時代に蒸気機関がもたらされていたらどうなるか。本書はそれを共通設定として、5人の作家が短編を書き下ろしたアンソロジーである。大上段に構えた改変歴史ものではなく、登場人物にフォーカスするシェアードワールド(スチームパンク朝鮮年代記に基づく競作)的な要素を強く感じる内容だ。

 チョン・ミョンソプ「蒸気の獄」1544年、王(中宗)が亡くなり廟号を巡って宮廷内の保守派と改革派が対立する。改革派は蒸気の利用拡大を提唱する派閥だったが、25年前の蒸気の獄で粛清されたのだ。記録を記す史官の主人公は、その真相を探ろうとする。
 パク・エジン「君子の道」1537年、下級官吏の奴婢の子だった語り手は、宮廷の権臣が失脚するのに伴い運命が大きく変転する。しかし機工の腕を磨き、伝説の都老(トロ)と出会うことで驚くべき発明を成し遂げる。
 キム・イファン「朴氏夫人伝」1644年、主人公は伝奇叟(物語の語り売り)である。伝承を語るのが仕事で、創作したオリジナルの話をしてもあまり受けない。ある日都老と出会い、山中の鍛冶場に赴くよう勧められる。
 パク・ハル「魘魅蠱毒」1760年頃、獄死した呪術師は、蟲毒を隠し持っていたらしい。その流れ者の道士には子どもがいて、全く口をきかなかったが何かを伝えようとしているのだった。
 イ・ソヨン「知申事の蒸気」1799年、李祘(イ・サン)に仕える有能な部下、洪国栄(ホン・クギョン)は蒸気で動く汽機人である。記憶を持たない状態で発見され、現王と共に教育されたのだ。
 スチームパンク朝鮮年代表:1392年から1875年に至る仮想歴史年表。

 朝鮮王朝(李氏朝鮮)は1392年に高麗王朝に代わって成立、大韓帝国を経て大日本帝国に併合される1910年まで500年余り続いた朝鮮半島の統一王朝である。韓流歴史ドラマでもお馴染みながら、全貌までは知られていないだろう。その歴史では、守旧派改革派による内部抗争、中国の明や清王朝との軋轢、日本の秀吉による侵略、19世紀には欧米露日との駆け引きなど、さまざまな局面があった。本書の場合、最初期から都老と呼ばれる蒸気駆動の人間が見え隠れする。

 とはいえ、本書で描かれる世界は、従前からある西欧的/ヴィクトリア朝的なスチームパンクと全く異なっている。朝鮮王朝の史実を巧みに置き換え、背景に溶け込ませる手法をとる。複雑な宮廷内権力闘争を蒸気派と反蒸気派という視点で明確化し、暴力が横行する(人権のない)奴婢が解放の手段に蒸気機構を用い、あるいは汽機人=非人間に政治の冷徹さを重ねるなど、着眼点が一味違うのである。

 なお、このスチームパンク朝鮮年代記には、他にパク・エジンによる長編『명월비선가』(2022)もあるようだ。

キム・ボヨン『どれほど似ているか』河出書房新社

얼마나 닮았는가,2020(斎藤真理子訳)

装幀:青い装幀室
装画:Seyoung Kwon

 著者はチャン・ガンミョンと同じ1975年生まれの、韓国を代表するSF作家のひとりである。評者が3年前に『わたしたちが光の速さで進めないなら』を紹介した際に、

ジェンダーや人種・社会階層・民族差別、貧富の差、LGBTなどのマイノリティーへの共感など、社会問題が関わっている。アレゴリーというより、もっと直截的にメッセージを届ける道具としてSFが使われている

と書いたのだが、そういう韓国SFの原点となった作家が本書のキム・ボヨンなのだ。

 ママには超能力がある(2012):あなたは「超能力がない人なんて、この世にいない」と返してくる。わたしはあなたの実母ではないけれど、ふたりの話はかみ合わない。
 0と1の間(2009):タイムマシンなんてありえない。でも、受験戦争に明け暮れる子供の母親は、0と1の間の量子状態からタイムマシンを作ったと称する女と出会う。
 赤ずきんのお嬢さん(2017):スーパーに入ってきたお客を見て誰もが驚愕する。それだけではない。買い物を済ませ街を歩いても、タクシーに乗っても人だかりができる。
 静かな時代(2016):ふつうなら立候補もできなかった人物が大統領に当選する。マインドネットが要因だった。世論を誘導してきた認知言語学者は、その経緯を振り返る。
 ニエンの来る日(2018):家族に会うために、主人公はニエンが現れ騒々しい駅に赴いた。ここから出る列車は、堯舜時代の科学魔術師が創ったのだ。
 この世でいちばん速い人(2015):超人〈稲妻〉は、圧縮された時間の中で自在に動くことができる。現場で人命救助すると〈英雄〉になるが〈悪党〉とは紙一重だ。
 鍾路のログズギャラリー(2018):〈稲妻〉がテロ犯として悪党認定される。超人は社会的に差別を受ける。主人公は能力が分かっていない〈未定〉なのだった。
 歩く、止まる、戻っていく(2020):家族があちらこちらのタイル(時間)に散在する。時間は流れるものではない、広がるものなのだ。
 どれほど似ているか(2017)
:土星の衛星タイタンに救助に向かう宇宙船で、緊急用の人間型義体が覚醒する。しかし、目的としていた重要情報が欠落していた。
 同じ重さ(2012):農業日記に挟まれた主人公の独白。自分はあたり前なのか、そうではないのか。

 「ニエンの来る日」は、中国WEBジンでケン・リュウ「宇宙の春」と同じ号に載った、春節を扱った作品。「この世で一番速い人」「鍾路のログズギャラリー」はDCのフラッシュをイメージする、ちょっと哀しいヒーローもの。他の作品は、血のつながらない親と子、過酷な受験戦争、男女の格差、繰り返される政変と選挙、さらにはアスペルゲンガーと、最初に引用した「直截的にメッセージを届ける道具」を反映している。メッセージは強引ではないので、抵抗感なく腑に落ちる。

 冒頭で明らかになるのだが、表題作の中編「どれほど似ているか」はAIの一人称小説である。しかし、この「どれほど」は「どれほど(AIは人間と)似ているか」という意味ではないのだ。AIは肉体を得たことで、論理的ではない意識が目覚める。宇宙船内では救助の進め方について意見が分かれている。一部の乗組員は肉体を得たAIを拒否、船長とも対立する。いったい何を恐れているのか。やがて、AIと人間の間よりも、もっと深い谷が明らかになる。

キム・チョヨプ『地球の果ての温室で』早川書房

지구 끝의 온실,2021(カン・バンファ訳)

装画:カシワイ
装幀:早川書房デザイン室

 キム・チョヨプの初長編である。最初の短編集『わたしたちが光の速さで進めないなら』は、2年前に翻訳されている。本書は、ちょうどコロナによるパンデミックのさなか、ロックダウンされたソウルの作家用レジデンス(小説家のためのアーティスト・イン・レジデンス)で書かれたものという。

 既存秩序を崩壊させたダストの災禍が収束して半世紀が過ぎた。22世紀、主人公はダスト生態研究センターに勤める研究者だった。そこでは、生物絶滅を招いたダストの研究と、災禍で失われた花卉や作物の復活などを試みている。そんな中、廃墟となっている地域で、ツル植物モスバナの異常繁茂が問題となる。災禍直後に発生したモスバナには、主人公の子供時代を呼び覚ます思い出があった。

 どこからともなく世界に広がったダストは、動植物を問わず大半の生き物にとっては毒物だった。一部の選ばれた者だけがドームに逃れる。一方ダスト耐性を持つ人々は、ドーム外で限られた資源を奪い合って放浪する。独自のコロニーで生活する小集団もいた。やがてダストを分解するディスアセンブラが開発される。しかし、ダストの減少には隠れていた大きな秘密があった。

 物語では、ダストが蔓延する混迷期と、混乱後60年を経た復興期という2つの時代が描かれる。さまざまな登場人物たちが出てくる。復興期の主人公と研究所の先輩たち、混迷期のマレーシアにあったコロニーに住む姉妹、同じく閉ざされた温室で研究に没頭するサイボーグ学者とロボット整備の技術者。それぞれの関係は物語の展開につれ、しだいに明らかになっていく。世界を救ったのは国家でもなく、名のある科学者でもない。主人公は、苦難を経た先人たち(その何れもが女性であるのは、ジェンダー的な課題を暗喩する)の生き方に思いをはせるのだ。

ペ・ミョンフン『タワー』河出書房新社

타워,2009/2020(斎藤真理子訳)

装幀:森敬太(合同会社 飛ぶ教室)
作品:elements「STACK AND BIND, your thoughts unwind」
撮影:ただ(ゆかい)

 1978年生まれの韓国SF作家ペ・ミョンフンの代表作。2009年に書かれ、長らく絶版状態だったが2020年に全面改訂版が出た。本書はその最新版を底本としている。674階建て(高さは2キロを超え、各フロアも数百メートル幅)の超高層ビルであり国家でもある「ビーンスターク」(「ジャックと豆の木」に出てくる天に届く豆の木)を舞台とした連作短編集である。

 東方の三博士――犬入りバージョン:タワーは階層社会である。縦方向は輸送力の限られるエレベータしか移動手段がないからだ。そこでの権力構造を明らかにするため、研究所の3人の博士がある方法で社会実験を行う。
 自然礼賛:作家Kは政治批判をやめ、自然礼賛ばかりを主張するようになる。だが、作家はタワーの外に出たことがない。あるとき、遠隔ロボット付きのリゾートという奇妙な贈り物をもらう。
 タクラマカン配達事故:ビーンスタークの市民になるため、民間警備(軍事)会社のパイロットとなった元恋人が砂漠で行方不明になる。政府は関与を否定し捜索に乗り気ではない。どうすれば広大な砂漠で墜落機を見つけ出せるのか。
 エレベーター機動演習:交通公務員は、あり得ない想定の演習で無理難題の解決に苦しんでいた。エレベータを制御して、いかに短時間で軍隊を目的地に展開するかを訓練するのだ。しかし、演習中に爆弾テロ事件が発生したことで事態は大きく変わってしまう。
 広場の阿弥陀仏:タワーの騎馬隊に入隊した義兄は、なぜか象の担当にされてしまう。象を使ってデモ隊の鎮圧に乗り出すのだという。騙されているんじゃないの、と義妹は心配するが。
 シャリーアにかなうもの:情報局は不穏な情報を察知する。テロ組織がタワーを狙ってICBMを打ち込もうとしているらしい。ビーンスタークはその組織に対し死傷者を伴う攻撃を仕掛けてきたから、報復される危険性はあった。
付録
 作家Kの「熊神の午後」より:「自然礼賛」に出てくる作家Kが書いた作中作。温暖化する氷原に棲む白熊の困惑を描く。
 カフェ・ビーンス・トーキング:タワーでは口コミが大衆を誘導する。水平派の動向を探るため、520階のカフェに潜入した研究員の話。
 内面表出演技にたけた俳優Pのいかれたインタビュー:人間のタレントより多く稼ぐ犬の俳優が、その成功の秘訣を語るインタビュー記事。

 タワーがどこにあるのかは書かれていない。50万人の人口があり、厳格な入管と軍隊組織の警備室を備えた事実上の都市国家である。現代社会のデフォルメでもあり、直截的な政治批判はあまり感じないが、もちろん無関係ではない。

 今はだいぶ廃れたとはいえ、東アジアに旧来からある贈答文化は、良くいえばコミュニケーションツール悪くいえば賄賂=収賄の温床である(「東方の三博士」)。タワーは法の支配で成り立つが、法を厳密に適用すれば誰でも検挙されうる。執行は恣意的なのだ(「自然礼賛」)。タワー社会にはエレベータを支配する垂直派と、各階の水平方向を支配する水平派がいる。垂直派はインフラを持っていて強力だが人数的には少数だ。そこに対立の芽が生じる(「エレベーター機動演習」「カフェ・ビーンス・トーキング」)。こういう、文化や社会(政治的な)パワーゲームに対する批評も大きなファクターとして入っている。政治への関心が薄い日本では見当たらないタイプのSFだろう。風刺/諧謔/アイロニーのバランスが良く、重すぎず軽すぎず軽快に読めて楽しめる。

チャン・ガンミョン『極めて私的な超能力』早川書房

지극히 사적인 초능력,2019(吉良佳奈江訳)

カバーイラスト:植田りょうたろう
カバーデザイン:川名潤

 『韓国が嫌いで』(2015)などの邦訳があるチャン・ガンミョンの、これは初SF短編集である(この書名は初版時のもの、改訂版では『アラスカのアイヒマン』になっている)。著者は1975年生まれ、2011年に単行本デビューし、これまでに多くの文学賞を受賞した注目の作家だ。SFはデビュー前から幅広く読んでいたようで、ベーシックなSFに対するオマージュと、先端サイエンスのトレンドに対する感性とを兼ね備えた親しみやすい内容である。

 定時に服用してください:薬を飲むことで生じる特別な感情、それは個人的な倫理を損ねてしまう問題だった。
 アラスカのアイヒマン:アラスカに設けられたユダヤ人自治区では、アウシュビッツの責任者アイヒマンが裁かれ〈体験機械〉にかけることが決められる。
 極めて私的な超能力:彼女には予知能力があった。未来が見えるというより、何となく分かるのだという。
 あなたは灼熱の星に:宇宙開発がスポンサー付きの民営に代わった時代、金星の探査を舞台にしたリアリティショーで新企画がはじまる。
 センサス・コムニス:政治家が群がるほどの人気がある世論調査会社には、その根拠となるデータの収集方法に秘密があった。
 アスタチン:木星・土星圏を統治する独裁者アスタチンは、死後に自分と同じ遺伝子を持つ人間を複数復活させ、殺し合いに生き残ったものを次期総統とするようルールを定めた。
 女神を愛するということ:恋人がほんものの神だとしたら、別れを切り出して無事に済むのだろうか。
 アルゴル:宇宙開発史上最悪の事故は3か所同時に起こった。原因となったのは3人のアルゴルたちである。
 あなた、その川を渡らないで:森の中に男と女が住んでいた。男は毎夜悲しい夢を見るのだが。
 データの時代の愛(サラン):映画館で出会った女と5歳年下の男はお互い惹かれ合うが、データ上決して関係が長続きしないと告げられる。

 「アラスカのアイヒマン」は実在したアラスカのユダヤ自治区計画と、記憶の移植が刑罰たり得るかを組み合わせた、ある意味とてもイーガン的な物語である。中編級の長さがあるが、観念的なテーマの追求に大半を費やしている。「あなたは灼熱の星に」では脳と体の認知問題、「アスタチン」は対照的にスーパーパワーを備えた超能力者同士のバトルもの。「センサス・コムニス」は著者の新聞記者時代の体験に、東浩紀『一般意志2.0』を批判的に採り入れている。

 このあたりは著者自身による作品解題に詳しい。伴名練じゃなくてハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン』、『テンペスト』、前述のユダヤ人自治区を舞台にした『ユダヤ警官同盟』や、『バトル・ロワイヤル』『不死販売株式会社』から『虎よ、虎よ!』など幅広い海外作品からの影響も理解できるだろう。

 既訳の韓国SFの諸作は、どちらかといえば現代文学に寄っているように思われる。その傾向は日本の若手作家でも同様だ。本書でも(特に短い作品に)その要素はあるのだが、よりSF的なアイデアに物語を寄せている点をかえって新鮮に感じる。「データ時代の愛(サラン)」は冷酷なデータに警告されながらも、愛という激しい感情に翻弄される主人公が人間的で印象深い。

キム・チョヨプ、デュナ、チョン・ソヨン、キム・イファン、ペ・ミョンフン、イ・ジョンサン『最後のライオニ 韓国パンデミックSF小説集』河出書房新社

팬데믹: 여섯 개의 세계、2020(斎藤真理子、清水博之、古川綾子役)

装幀:川名潤

 昨年末に翻訳が出た韓国のパンデミックSFアンソロジイである。6作家の書下ろし6作品を収める。日本でも昨年『ポストコロナのSF』が出ているが、同趣旨の内容で必ずしも現実のコロナ禍そのものとは関係しないところも同様である。

 キム・チョヨプ「最後のライオニ」遠い惑星系を巡る宇宙居住区に古い機械たちが生き残っていた。訪れた主人公は機械のリーダーからお前はライオニの再来だと告げられる。
 デュナ「死んだ鯨から来た人々」昼の世界と夜の世界の狭間にある海で、遊弋する巨大な生き物に乗って少数の人々が暮らしていた。
 チョン・ソヨン「ミジョンの未定の箱」主人公は人影の見えないソウルから徒歩で南に向かう。その途上、廃墟となった建物で奇妙な立方体の箱を手に入れる。
 キム・イファン「あの箱」効果的なワクチンができず外出禁止が続く社会では、抗体のあるポランティアの活動によりなんとか生活が維持されていた。
 ペ・ミョンフン「チャカタパの熱望で」歴史学科では隔離研修というものが行われる。外部と遮断された研修室の中で論文を書かなくてはいけないのだ。
 イ・ジョンサン「虫の竜巻」温暖化が進み毎年虫の群れが新たな病を運んでくる世界で、主人公は同居してみようと思う人と知り合う。

 韓国ではSFがプロパーとして成り立つのが遅かった事情があり、本書でも作家は20代後半(キム・チョヨプ)から40代前半(キム・イファンら)と平均年齢は日本に比べれば若い。そのためなのか、閉じ込められた世界=閉塞感からの脱出をテーマとした作品が多いようだ。

 本書は3部構成で作られている。第1章「黙示録」では遠い未来の異星が舞台となり、第2章「感染症」では感染ただ中の社会が描かれ、第3章「ニューノーマル」は病が日常化した時代の物語が、それぞれ2作品ずつ置かれている。

 機械が宇宙ステーションで人間の再来を待ちわびる「最後のライオニ」、箱が幸福だった過去を象徴する「ミジョンの未定の箱」は、それぞれ出口がない袋小路である。その一方、「あの箱」や「虫の竜巻」では、孤独だった主人公がパートナーを見つける、ささやかだが希望のある明日が示唆される。コンパクトで読みやすく共感の持てるアンソロジイといえるだろう。

チョン・ソンラン『千個の青』早川書房

천 개의 파랑,2020(カン・バンファ訳)

装画:坂内拓
装幀:早川書房デザイン室

 第4回韓国科学文学賞(公募形式)で大賞を受賞した作品である。この賞は新人に贈られるもので、オンライン小説サイトから長編『崩れた橋』を2019年に出版したばかりのチョン(천=天)・ソンランにも資格があった。第2回の同賞では、キム・チョヨプが中編「館内紛失」(『わたしたちが光の速さで進めないなら』収録)で受賞している。

 チョン(정=鄭)・セラン『声をあげます』、チョン(정=鄭)・ソヨン『となりのヨンヒさん』とこれまで短編集の紹介が多かった韓国SFだが、本書は長編である。(カタカナだとすべてチョンさんになるので、ハングル、漢字でも表記した)。

 2035年、競馬は人間の騎手ではなくロボットが馬に乗る。人間よりも軽く作られたロボットは、競馬に最適化され、馬はずっと速いスピードで走ることができるのだ。だが、一台のロボットには誤ったチップが搭載されていた。本来認識しない空の青さに気を取られ、レースの途中で落馬事故を起こしてしまう。

 物語には複数の登場人物が出てくる。主人公は進路選択を控えた高校生。車椅子を使う姉がいる。母親はシングルマザー、競馬場近くの飲食店で2人を育てた。姉は生き物としての馬が好きで、競馬場の厩舎に入り浸っている。そこで、主人公と共に廃棄寸前のロボットを見つける。主人公にはロボット技術に関する才能があるが、学校に馴染めず友人もいない。厩舎の管理人と交渉して、スクラップとなるロボットを買い取る。しかし、修理するためには高価な専用部品を入手する必要がある。なけなしのバイト代はロボット本体だけで消えた。どうしたらいいのか。

 本書ではさまざまな人が登場する。かつて俳優だった母、費用さえ払えば人工的な下肢が手に入る姉、進学校で裕福な家との格差に絶望する主人公、なぜか力を合わせたいと申し出る級友。一方、トゥディと呼ばれる馬がいる。走ることだけを目的に作られた競走馬だが、それでも走っているときが一番幸せだ。そして、人のありさまと馬の求めるものを客観的に見つめる、狂言回しの役割をロボットが務める。ロボットにも、ほのかな幸福感を感じる瞬間がある。それは、青い空を見るときだった。

 著者は賞への応募作品を、最初はスペースオペラで書いたという(途中までできていた)。しかし、自分自身と物語との距離(本当らしくない)に悩みいったん破棄された。もっと自分の心情に近いものに改めたものが本書だ。各章ごとに登場人物を変え(三人称ではあるが一人称寄りの)視点を多角化する手法により、各人物の生きざまが浮かび上がる構成になっている。

 これまで紹介された韓国SFは短いものが多く、キャラクタの個性に踏み込んだ作品としてはやや物足りなかった。ちょっとアニメ的な主人公と級友の関係、過去を悔いながらも懸命な母と姉妹との関係、状況に流される大人たちと主人公たち。本書の人々は複雑に関係し合っており、多彩で飽きさせない。

チョン・セラン『声をあげます』亜紀書房

목소리를 드릴게요,2020(齋藤真理子訳)

装丁・装画:鈴木千佳子

 すでに何冊も翻訳がある、人気作家チョン・セラン初のSF短編集。本書は韓国のSF専門出版社アザクから昨年出たばかりの作品集で、中短編8作を集めたもの。著者は1984年生まれなので、年代的には郝景芳(ハオ・ジンファン『人之彼岸』)チョン・ソヨン(『となりのヨンヒさん』)に近い。

 ミッシング・フィンガーとジャンピング・ガールの大冒険(2015)好きになった人の指だけが、過去にタイムスリップしてしまう。2人は指探しの旅に出る。
 十一分の一(2017)11人いた大学サークルの変人たちの中で1人だけ気に入った人がいた。以来会うことはなかったのだが、あるとき全員が集まる同窓会の招待状が届く。
 リセット(2017-19)長さ200メートルに及ぶ巨大ミミズが至るところに出現し世界は壊滅する。残された人々は、過去を捨てて生活を再建しようとする。
 地球ランド革命記(2011)異星の観光客に不評な地球とは別に、地球ランドと呼ばれる観光施設が作られる。しかし、展示物は本物とはいいがたい紛いものばかり。
 小さな空色の錠剤(2016)もともとアルツハイマーの治療薬として開発された青い錠剤は、思いもよらない使われ方をするようになる。
 声をあげます(2010)無意識に人に危害を与える特殊能力者がいる。そういった人々は収容所に収監され、能力を失わない限り外に出ることができない。
 七時間め(2018)現代史の授業では、直近の大絶滅が起こった原因を集中して学ばなければならなかった。
 メダリストのゾンビ時代(2010)地球規模で起こった人類のゾンビ化。たまたま生き残ったアーチェリーのメダリストである主人公は、屋上からゾンビをひたすら射る。

 指だけがタイムスリップしたり、変人だらけのサークルがあったり、巨大ミミズが文明を崩壊させ、嘘っぽい地球ランドや、新薬が変えた奇妙な社会や、やむを得ないとはいえ自由を奪われる呪われた者たちや、ゾンビのただ中のメダリストが描かれる。リアルというより奇想寄り、ハードさよりもユーモアに寄せている。とても深刻な状況なのだが、ふんわりと包み込まれるように書かれていて、小さな救いを感じさせる。

 著者は「七時間め」「リセット」などで、人類のいまの文明の方向性に疑問を呈し、「声をあげます」では多数のために1人を犠牲にする是非を独創的な設定で考察する。気象変動やコロナ禍は、人類を(いまのところ)滅ぼしてはいないけれど「生まれて以来ずっと生きてきた世界が揺らいでいる」と感じることが多くなった。著者は「そのときに手にする文学がSFだと思う」と述べている。問題の解決は遠くても、視点を変えることで、希望のひとかけらを見いだすことができると信じているからだろう。