大恵和実編『移動迷宮 中国史SF短篇集』中央公論社

移動迷宮,2021(大恵和実編訳,上原かおり訳,大久保洋子訳,立原透耶訳,林久之訳)

装幀:水戸部功

 耳慣れないサブジャンル「中国史SF」の日本オリジナル作品集である。これは、一般的な歴史改変SF(あるいは並行世界もの/時間もの)のうち、近代から春秋戦国時代(紀元前)の中国史を舞台とした作品群を指すようだ。旧来の歴史SFではタイムパトロールのような絶対的な存在が主体だったが、本書では歴史そのものがテーマになっている。

 飛氘「孔子、泰山に登る」(2009)春秋戦国時代(前五世紀ごろ)、孔子たち一行は旅の途中で兵に包囲され難渋していたが、そこに機械鳥に乗った救出者が現われる。
 馬伯庸「南方に嘉蘇あり」(2013)後漢の末(一世紀ごろ)、アフリカから嘉蘇=コーヒーが伝来する。高価な薬だった嘉蘇は、やがて大衆にも広がり、さまざまな故事成語や詩編を生み出す。
 程婧波「陥落の前に」(2009)随の終わりから唐の時代(七世紀ごろ)、荒廃した洛陽に住む幽霊使いと弟子の少女との物語。宮崎駿の影響を受けたとされる。
 飛氘「移動迷宮 The Maze Runner」(2015)清の乾隆帝の時代(一八世紀ごろ)、英国から訪れた貿易使節団は、北京円明園に設けられた迷路の中で出口を見失う。
 梁清散「広寒生のあるいは短き一生」(2016)現代の在野研究家が、清朝末期(二〇世紀初め)に月を舞台にした小説を書く無名の作家を発見する。いったい何ものなのか。文献調査は、時に足跡を見失いながら続く。
 宝樹「時の祝福(完全版)」(2020)1920年の大晦日、主人公は英国帰りの友人と再会する。友人はウェルズの邸宅に隠されていたタイムマシンを持ち帰ってきたという。彼らはある目的で過去を改変しようとするが。
 韓松「一九三八年上海の記憶」(2005)1938年日中戦下の上海では、人生を巻き戻せるレコードが流行していた。戦争が続く一方、次々と人々が消滅していくのだ。
 夏笳「永夏の夢」(2008)時間を自由に跳躍できる主人公と、永遠に生き続けられる永生者がランダムな時間軸の中(新石器時代から地球消滅まで)で出会い、別れる。

 改変歴史物といえるのは「孔子、泰山に登る」「南方に嘉蘇あり」「広寒生のあるいは短き一生」の3作で、大胆に歴史に手を入れた「孔子、泰山に登る」と、史実かと思わせる後者2作に別れる。一方の「陥落の前に」は幻想色が濃くなり、それに寓意を加えたものが「移動迷宮」だろう。「時の祝福」はタイムパラドクスを皮肉っぽく描き、「一九三八年上海の記憶」はこの著者らしい奇妙な味を際立たせる。「永夏の夢」は、ジャンパー(タイムリーパー)の孤独を感じさせる現代的な雰囲気のSFといえる。

 近代以降を舞台とする作品だと、現在までの期間で生じうる差異となるので「改変」の度合いはあまり大きく取れない。ピンポイントに絞られる。その点、本書の前半作品のように一千年以上前となると、フィクションの投入がより自由になる。大法螺のスケールが増大するのである。後半の3作品は、むしろ時間SFの秀作として楽しめるだろう。