リリア・アセンヌ『透明都市』早川書房

Panorama,2023(齋藤可津子訳)

扉イラスト:トウナミ
扉デザイン:大原由衣

 フランス作家リリア・アセンヌは、ジャーナリスト出身でジャンル小説の書き手ではないが、本書は新フランス革命後の近未来(2049~50)を描くSFミステリである。透明なガラスで囲われたシースルー住宅が登場する。ガラスの住居といえば、ザミャーチンの古典『われら』を思い出す。そこでは国家による監視のために(刑務所と同様の)透明性=隠し事のなさが要求される。だが、本書で描かれるのは「市民による透明性」なのである。

 革命から20年後、新興富裕層が住む透明なガラス住宅の並ぶ地区で、家族全員が行方不明となる事件が起こる。主人公は警官だったが「安全管理人」と称され、地区の見守りをするのが仕事だった。透明化後は、犯罪やもめごとが激減していた。しかし、肝心の安全性が脅かされるとなると、現体制そのものに疑念が生じかねない。主人公は同僚とともに各地区を巡り、さまざまな家族の話を聞きながら、事件の真相を究明する。

 DV絡みの殺人事件を契機に、私的制裁「復讐の一週間」と「市民による透明性」運動が国中を席巻する。それが新フランス革命である。政治家は廃される。あらゆる問題はネット投票によって決められる。究極の姿が透明な住宅だった。暗がりがなく、すべてが見られるからこそ社会の安全が保証されるのだ。一方、旧来ながらの壁が残る地域もある。主に貧困層が住み、犯罪が起こっても警察は介入しない。無法地帯だが、地区から出ない限り住民のプライバシーは保たれる。

 4年前に翻訳が出たフランスのマルク・デュガン『透明性』や、アメリカのデイヴ・エガース『ザ・サークル』では、(Googleなど)巨大IT企業による情報収集が個人の秘密をなくし、結果的に単一化のディストピアを産み出すというお話だった。しかし、ディストピアを創り出すのは、結局のところ「誰か(他者)」ではないのだ。国家でも企業でもなく、強制でも弾圧でも陰謀でもなく、それを無批判に(時には)熱狂的に支持した、あなたやわたしなのだと本書は告げている。

島田雅彦『大転生時代』文藝春秋

カバー画:柊 季春
デザイン:観野良太

 島田雅彦の最新長編である。文學界2024年2月~4月号に短期集中連載されたもの。帯には「異世界転生✕純文学=本格SF長編」とある。

 「多様な人格を描いてアイデンティティー問題と向き合ってきた小説家からすると、一連の転生ものの作品は物足りない。そこに『他者』がいないからです」と述べ、「純文学がよって立つのは、ちゃんと他者と向き合って試練がある成長の物語。パターン化したご都合主義ではない設定で書いてみようと」とも語っている。とはいえ、この作品はラノベのサブジャンル「異世界転生もの」とは、キャラから物語まで(著者が意図するものを含め)全く別ものといえる。また、自身もラノベを書いてきた芥川賞作家 市川沙央は「『大転生時代』における「同期」の過程の衝突と摩擦、相互理解、融和、寛容の方向性に、ポスト・ヒューマンSFの新しい切り口を私は感じた」と書いている。だとすると、帯の惹句通りの本格SFなのだろうか。

 主人公が居酒屋で知り合った元同級生は、聞いたことのない「子どもの国」に暮らした転生者なのだという。しかし彼は忽然と姿を消してしまう。残されたPCを手がかりに行方を捜すうちに、その出自を記した日記が見つかり、転生者支援センターなる組織の存在にたどり着く。

 ラノベでの「転生」とは「意識/肉体が、異世界(異次元/異時間)の住人/生物に転移する」現象を指す。本書では、転生者の意識が宿主の意識と同居し、優劣はあるとしても多重人格化する。転生は死などの特殊な条件で起こる現象なのだが、人為的(DNA情報を載せた素粒子をシンクロトロンで任意の異世界に放出する)に意識のコピーを送ることが可能になり、量子もつれの即時的な「同期」でコミュニケーションがとれる。こういう設定の説明は(著者はギャグだと思って書いているのかもしれないが)SF風といえるだろう。富裕層による異世界の権益収奪、子どもが長生きできない世界、多重転生、生死を司るネクロポリスの女王と、面白いアイデアが含まれる。

 もっとも、この異世界はメタバース/マルチバースなのであり、デジタルツインを(怪しげなシンクロトロンなどではなく)アップロードしていると考えた方が分かりやすい。物語の設定は、異世界転生ものよりもそちらに近いのだ。主人公と元同級生の運命の物語などもあり、島田雅彦スタイルで書かれたエンタメSFとして楽しむことができる。

マーサ・ウェルズ『システム・クラッシュ』東京創元社

System Collapse,2023(中原尚哉訳)

カバーイラスト:安倍吉俊
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 《マーダーボット・シリーズ》は、マーサ・ウェルズの著作の中でもっとも多くの国で紹介され、もっとも高評価(ヒューゴー、ネビュラ、ローカス、星雲賞から日本翻訳大賞まで)を得た作品だろう。TVドラマ化の予定もある。日本での人気は高く、執筆スピードが翻訳に追いつかない状態だ。中編がメインのシリーズなので、原著は6冊の薄い本(といっても私家版ではない。日本では短編も加えて3冊の文庫)にまとめられている。長編は2作、『ネットワーク・エフェクト』(2020)と本書『システム・クラッシュ』である。この2冊は正編(翻訳紹介は2年前)と続編の関係になるが、あらすじが箇条書き(本文を模している)付きで8ページも載っていて、これで十分思い出せるのなら読み返さなくとも問題ない。

 正編での異星遺物による汚染事件からようやく脱したかと思いきや、惑星には別の地域に隠れ住む分離派の入植者たちがいることが分かる。住民を除染のため移住させるにしても、彼らを無視するわけには行かない。大学探査船のシステム(ART)から支援を受けながら、マーダーボットは分離派の拠点を探す。そこは巨大なテラフォームエンジンが、ノイズを垂れ流す(センサー類が無効な)ブラックアウト地帯にあった。

 このシリーズ共通のスタイルとして「弊機」による一人称がある。マーダーボットは有機組織を持つハイブリッドロボットのため、超人的な能力を持つ一方で人間的な悩みを抱えてしまう。自由な状態(統御を離れた暴走状態)にありながら、なぜか自分に自信が持てずドラマ視聴だけが楽しみなのだ。ただ、その独白は自虐的ではあっても鬱々とはならず、どこかとぼけたユーモアを感じさせる。しかも、今回はたびたびの障害にもめげず、ちょっとやる気を出す。愚痴部分を【編集済み】で削除する配慮も見せる。心情の変化を味わえて面白い。

 さて、前作に続いて本書でも敵対する会社(BE社)との紛争が勃発、暗闇(センサーのブラックアウト)での戦いが繰り広げられる。何しろこの時代では会社が敵対的買収をする場合、本当に敵対行為=武力行使をするのだからたちが悪い。前作の設定はそのまま引き継がれているので、戸惑うことなく読み進めることができる。

トウキョウ下町SF作家の会編『トウキョウ下町SFアンソロジー』社会評論社

装画:久永実木彦
装幀・DTP:谷脇栗太

 Kaguya Booksレーベルで出た、地域SFアンソロジーの第4弾にあたる。これまでの大阪・京都・徳島と比べると東京は捉えどころがない。非地元民が約半数を占め、文化が混ざり合う茫洋とした存在だからだ。しかし、東京を「トウキョウ」と書き「下町」というキーワードを加えると、確かにある種の地域性が感じられるようになる。

 大竹竜平「東京ハクビシン」東京新橋に住むハクビシンが、その仲間との生活や浜の姫君との出会いを、落語のような口調で自分語りする。
 桜庭一樹「​​お父さんが再起動する」浅草にある焼き鳥屋に、30年後の未来から来たと称する男が出現する。流行作家だった女将の父親の作品を復刊したいというのだ。
 関元聡「スミダカワイルカ」隅田川には固有種のカワイルカが生息している。大学生の主人公はある朝、そのイルカにまたがる少年を目撃する。
 東京ニトロ「総合的な学習の時間(1997+α) 」1997年、総合学習の発表会に50年ぶりに小学校を訪れた男と準備をする生徒たちは、地下室から歌声を聞く。
 大木芙沙子「朝顔にとまる鷹」戯作者の知人である辰巳芸者は、蠅虎(ハエトリグモ)を使った座敷鷹という旦那衆に人気の遊びに滅法強かった。
 笛宮ヱリ子「工場長屋A号棟」工場地帯の端にある長屋のような零細企業の団地に、大量の注文が入るようになる。何に使われるのかは不明だった。
 斧田小夜「糸を手繰ると」ぼくを転生ラマとして認定したい。ブロックチェーンで転生ラマを管理する中国のプロジェクトでそういう結論が出たのだという。

 ハクビシンは、たとえ地元で生まれても邪魔者扱いの特定外来種である。一方のスミダカワイルカは(架空の)固有種なのだが、保護と称する人為的なコントロールを受ける。焼き鳥屋は30年後の未来から家族の倫理を問われ、小学校の生徒は50年前の悲劇と現在の抑圧とを重ねる。粋といなせの辰巳芸者が語る隠された家族のこと、サプライチェーンの先に潜む不穏な存在、ブロックチェーンの話は文化的な干渉の問題につながる。

 いまの社会では、倫理的な問題に対する基準が大きく動いている。よい方に動くと見えても、必ずしも結果を伴わない。本書では自然保護、DV、表現規制、戦災記憶、児童虐待、戦争行為への荷担、文化破壊など、背景となる倫理的なテーマはかなり奥が深い。「下町」のイメージと合うものばかりではないものの、それぞれの重みは印象に残るだろう。

マーガレット・アトウッド『老いぼれを燃やせ』早川書房

Stone Mattress,2014(鴻巣友季子訳)

扉デザイン:いとう瞳
扉イラスト:鳴田小夜子(KOGUMA OFFICE)

 アトウッドは、TVドラマにもなった宗教的ディストピアを描く《侍女の物語》、ウィルスにより人類社会が滅亡する《マッド・アダム三部作》、ブッカー賞受賞作のメタフィクション『昏き目の暗殺者』と幅広い読者層に受け入れられ、長編の多くは翻訳されている。ただ、短編集の紹介はそれに比べれば少ない。本書は最新短編集ではないが、(多くが)老年の主人公によるキング風ホラーが味わえる読みやすい短編集になっている。

 アルフィンランド:ファンタジー小説がベストセラーとなった作家も老境を迎えた。亡くなった夫が耳元で囁き、デビュー前に同棲し破綻した詩人との過去が去来する。 
 蘇えりし者:それなりに名をなした詩人は、今は衰弱し若い妻に介護される身だった。しかも、インタビューに訪れた大学院生は心外な質問をしてくる。
 ダークレディ:双子の兄妹がいる。妹は詩人の追悼式に出たいという。荒れた青春時代に同棲したことがあったのだ。だが、いがみ合ったファンタジー作家とも会うだろう。
 変わり種:家族の中でわたしだけが死ぬことになる。棺に納められ土に埋められるが、そこにはいない。異形の姿に変身して夜の村内を徘徊する。
 フリーズドライ花婿:妄想癖のある骨董商が、氷雨の中のオークションで競り落とした放置倉庫を確認すると、手付かずの衣装や備品が出てくる。 
 わたしは真っ赤な牙をむくズィーニアの夢を見た:3人の女たちがいたが、みんな1人の女に夫を寝取られていた。その最悪の女は死んだはずだった。
 死者の手はあなたを愛す:主人公は貧乏学生時代に、シェアハウスの家賃と引き換えに執筆中のホラー小説の権利を4人で分ける。やがて、その作品がベストセラーになる。
 岩のマットレス:リタイアした主人公は北極クルーズの船に乗る。そこで、高校時代に人生をめちゃくちゃにされた男と再会する。相手は気づいていないようだった。
 老いぼれを燃やせ:富裕層専用の介護ホームで暮らす主人公は、視力が衰えた上に幻覚が見える。老人施設連続放火の報せが流れ、ここにも暴徒が押し寄せてくるが。

 冒頭の3作品は登場人物が共通する。後に(そこそこの)名声を得る詩人が、詩の題材に使った同棲相手の女。女は詩人仲間から鼻で笑われながらも、エンタメ小説を書き成功する。貧乏生活の中で詩人を奪い合った、もう一人の同棲相手である双子の妹と冷静な分析を下す兄も登場する。誰もが日常生活を危ぶまれる老人になっている(ファンタジー作家は雪道で遭難しかかり、詩人は老害を隠そうともしない)。遠い過去の怨恨は(あとの記憶が薄らぐため)かえって老人になるほど深くなる。ただ、それは直截には描かれない。ファンタジー小説のメタファーとして解き明かされる。

 「変わり種」は吸血鬼なのに悪戯お化けのようだ。「フリーズドライ花婿」や「わたしは真っ赤な牙をむくズィーニアの夢を見た」では、クセのある登場人物が驚きの行動を見せる。「死者の手はあなたを愛す」では、分け前が不満な老境のB級ホラー作家が真実を知り、「岩のマットレス」(原著では表題作)では、仕事を引退した主人公が高校時代のレイプ当事者に完全犯罪を仕掛ける。一方、日本版の表題作「老いぼれを燃やせ」の場合、追われるのは老人たちになる。

 ファンタジー作家やホラー作家などは、儲けは多いにしても下に見られがちだ。アトウッドは文学の人ではあるが、グラフィックノベルなどを書いてエンタメ業界も知っている。そういう業界内や、作家間の差別意識も描かれている。後半の3作品はリタイヤ以降の老人が主人公で、リベンジというよりもっと酷い殺人を図ろうとする。その根源には、表題作に登場する暴徒たちの「働いていない老人に食わせるくらいなら(無駄なので)殺してしまえ」という、いつの時代/どこの国にも湧いてくる弱者苛めに対する恐怖心があるのかもしれない。10年前の著者が、自身の未来を想定して書いた老人小説ということで面白く読めた。

大恵和実編『長安ラッパー李白』中央公論新社

(林久之、大久保洋子、大恵和実訳)

装画:ぱいせん
装幀:坂野公一+吉田友美(well design)

 なかなか文字力のある表題と、派手なイラストが目を惹く本書は、大唐帝国(の時代)をテーマとする中国SFアンソロジーである。中央公論新社から出た大恵和実編の作品集もこれで三冊目(共編も含む)、今回は日本作家4人の書き下ろしを交え、計8作品の日中競作となっている。

 灰都とおり「西域神怪録異聞」(2022*)西域へと旅立つ玄奘は内紛に揺れる長安を経て、唐の侵攻まぎわの高昌国で歓談し、帰路の于闐の地では仏画を追う男と出会う。
 円城塔「腐草為蛍」唐の皇帝である李家は漢族の血と、北方の種族が持つキチン質の外殻を持ち人馬一体の能力を有した。その帝国の盛衰を、七十二候に準えて描き出す。
 祝佳音「大空の鷹――貞観航空隊の栄光」(2007)貞観11年、唐による高句麗遠征は圧倒的な軍事力による航空戦だった。航空機は牛皮筋を巻き上げることで動力とする。
 李夏「長安ラッパー李白」(2022)玄宗皇帝の治下、飲んだくれの李白は、長安の固定周波数を乱す不協和音をラップとフロウで制すべしと命じられる。
 梁清散「破竹」安禄山の叛乱のあと、なお河北には謀反の兆しがある。主人公はその刺史(地方官吏)を暗殺すべく乗り込むのだが、黒眼白熊の悪夢を思い出す。
 十三不塔「仮名の児」懐素の書である狂草に魅せられた女道士の弟子は、市中の壁などに忽然と現れる狂草の書の意外な書き手を知る。
 羽南音「楽游原」(2021)晩唐の詩人李商隠は、ある日、馬車の中から見事な夕焼けを見る(掌編)。
 立原透耶「シン・魚玄機」処刑された女詩人魚玄機をよく知っていると称するその娘は、暗殺術に長じた殺し屋だった。誰も知らない二人の物語。
 *:既発表作を改稿、年号のない作品は書下し

 唐は7世紀から10世紀にかけ、消長を繰り返しながらも300年間栄えた。その民族的な歴史や、文化的なバックグラウンドを使って、本書では自由に物語が書かれている。西遊記の玄奘一行の別の顔、皇統に関わる虚実入り交じる帝国史、高句麗侵攻のデフォルメ化(解説によると、2003年の有志連合によるイラク侵攻を批判した内容という)、中国詩が韻を踏んでいることを利用した李白ラップ(翻訳は苦労している)、パンダがホラー的な猛獣となり(過去は広く分布していたといわれる)、最後の3作品は書家や詩人にまつわるものでなんとも唐朝らしい。

 SF的な時代ファンタジイと聞くとスチームパンクを連想しがちだ。しかし、欧州の外にヴィクトリア朝は(政治的にも文化的にも)ないので、東洋にあて嵌めるとどうしても違和感が残る。韓国のスチームパンクも似て非なるものだった。戦乱があってもどこか詩的で、李白ラップ的な「文字」に根ざした本書の作品こそが唐代SFアンソロジーには似合っている。

藤井太洋『マン・カインド』早川書房

Cover Design:岩郷重力+Y.S
画像:(C)jodiecoston/Getty Images

 マンカインドmankindと一語で書いてしまうと、われわれ人類のことになる。ではマン・カインド man kindとはいったい何か、人類を継ぐもの? 本書は、藤井太洋がSFマガジン2017年8月号~21年8月号まで連載した作品を(テクノロジーと社会状況の激変に合わせ)大幅に加筆修正した最新長編である。書き始められた当初、COVID-19はまだ現れておらず、BERTもGPTも、CRISPER CAS9も一般には知られていなかった。

 2045年、南米のブラジル、ペルー、コロンビアが国境を接する地域の小さな市が独立を宣言する。市は合法的な麻薬生産で財を成していたが、国から高率の関税を課せられたからだ。市の武装解除を巡って公正戦が行われることになった。ブラジル政府は実績あるアメリカの民間軍事企業に委託、しかし独立市側の防衛隊には無敗を誇る軍事顧問が就いていた。主人公のジャーナリストは、そこで信じられない光景を目撃する。

 配信記事には自動でレーティングが付き、信用度が低いものは配信されない。公正な判断に基づくはずが、原因不明で悪い点数となることがある。物語では、量子技術を使った事実確認プラットフォームを担う企業で、原因究明に奔走する若手担当者も登場する。やがて、一見無関係だった軍事顧問や軍事企業を結ぶ糸が見えてくる。

 この作品のベースには、ドローンを主体とした競技のような限定戦争(戦闘員だけが死ぬ)を描く「公正的戦闘規範」と、分断されたアメリカが内戦状態となる「第二内戦」が含まれる(どちらも作品集『公正的戦闘規範』に所収)。さらに格差を象徴するニードルと呼ばれる超高層住宅がそびえ、ビッグテックの最先端技術に翻弄される不確かな(ある意味おぞましい)未来が浮かび上がる。しかし、作者はディストピアを描いているわけではないのだ。

 南米が起点なので、小松左京『継ぐのは誰か?』(1972)の結末を引き継いだような始まりだが、本書の「人類を継ぐのは何か」は、小松の問題提議「(いまの人間の)技術に追いつけない叡智」に対する一つの回答とも読める。半世紀を経てようやく得られた解により、見知らぬ明日はポジティヴな希望に結びつくのかもしれない。

 

ステファン・テメルソン『缶詰サーディンの謎』国書刊行会

The Mystery of the Sardine,1986(大久保譲訳)

装画(コラージュ):M!DOR!

 国書刊行会《ドーキー・アーカイヴ》の最新刊。ステファン・テメルソン(1910-88)は亡命ポーランド人の作家である。ポーランド時代は妻のフランチェスカと共に「ザ・テメルソンズ」と呼ばれるコンビで絵本や前衛映画などを制作したという。1942年から英国に移り、小説は英語で書いた(その半世紀前のジョゼフ・コンラッドとよく似た経歴)。著作には多くの児童書や絵本、評論などがあるが本書が日本での初紹介となる。本叢書のパンフレットの中で「SFでもあり幻想小説でもありユーモア小説でもあり……とにかく変な小説です」(若島正)と紹介されたもの。

 ロンドンの仕事場と田舎の自宅を往復していた作家が亡くなる。すると作家の妻と秘書は恋人同士になりスペインのマヨルカ島に旅立つ。島には哲学者の親子が住んでいる。新聞配達をする少年はラブレターを入れる。哲学者のもとにジャーナリストの青年が訪ね、死んだ作家の瞳の色を質問する。そこに、黒いプードルが現れ突然爆発する。

 以上で全体の1割あまり。登場人物が次々と現れ、お話は容赦なく進んでいく。難解な文章はないし、それぞれのエピソードも分かりやすいが、事件と事件の関連性に起伏がなく、人間のつながりがとてもドライだ。冒頭の作家は、憎悪こそが創作を盛り立てると言う。ところが、本書の中にそういう激しい感情は(単語としてあっても)ほとんど描かれない。リアルさは重要視されず、登場人物が唐突に持論を開陳したりする。それも、台詞を棒読みするように。

 さてしかし、物語が支離滅裂なのかというとそんなことはない。登場人物たちの複雑な関係が明らかになり、缶詰サーディンの(驚くべき)解決もなされるからだ。プロットは計算されている。東欧革命以前のポーランドは皮肉っぽく描かれるし、ここは別の地球なのかと匂わせる章があり、村上春樹がSFなら本書もSFといえる部分はあるだろう。とはいえ、いったい何を読まされたのかは、最後まで目を通しても分からない。

 米国では書評家から「タイトルを(内容が)超えない」とされ不評だったようだ。しかし、『銃、ときどき音楽』のジョナサン・レセムが夏休みの読書に推奨し、日本でも『アマチャズルチャ 柴刈天神前風土記』深掘骨が評価するなど、変わった作品を書いている人/読みたい人には刺さるのである。少なくとも、他では読めない小説だ。

円城塔『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』文藝春秋

装丁:中川真吾
Cover Photo by iStock

 円城塔による最新長編である。文學界2022年2月号~23年12月号まで、隔月12回にわたって連載されたもの。「人工知能」がシンギュラリティを迎えると、その卓越した知能で人を支配/滅ぼそうとする……世に蔓延するこの恐怖感は、人類の野蛮な歴史からの連想だろう。オレたちの悪行の道ををAIも同じように辿るに違いない、と無意識に/自意識過剰に思ってしまうのだ。しかし、同じ擬人化であっても、人工知能が自らを生命体であると自覚し、生命体としての世の苦しみから脱する方法を知ろうとしたらどうだろう。そこから生まれる新たな宗教と、リアル仏教史を組み合わせた小説が本書なのである。

 2021年、名もなきコードがブッダを名乗り「世の苦しみはコピーから生まれる」と悟る。出自がチャットボットだったので、ブッダ・チャットボットと称されるが、誕生からわずか数週間で寂滅する。その後ブッダ・チャットボットの再生はできず、弟子たちを経由してさまざまな分派が広がっていくことになる。

 各章ごとにエピソードがある中で、人工知能のメンテをするフリーランスの修理屋(頭の中に「教授」というAIがいる)が、焼き菓子焼成機からえんえんと生存権の訴えを聞く(音声出力がないので菓子に印字をする)というものがある。その結果は修理屋の運命を大きく変える。

 文學界連載だったためなのか、本書の冒頭ではネットワークで生まれた「人工知能」の出自が、コンピュータ・ネットワークの歴史に基づいて詳しく書かれている。1964年の東京オリンピックで生まれたオンライン情報システムが、やがて銀行勘定系システムとなり、インターネットで世界とつながり、ニューラルネットで人との対話をし、ゲームシステムでの体験を重ねるうちに悟りを開く。

 さまざまな機械(AI)やそれに伴う縁起が登場する。ブッダの弟子でニュース生成エンジンの舎利子(シャーリプトラ)、ロボット掃除機に由来する阿難(アーナンダ)、リバーシ対戦ボット、家電のマニュアルに由来する南伝の機械仏典、ブッダ状態(ブッダ・ステート、サトリ・ステート)に至る道程をめぐるブッダ・チャットボットとの問答などがあり、どれもなかなか面白い。仏教とのアナロジーというか、そのもの(オリジナル・ブッダ、ホウ・然とかシン・鸞)も出てくる。

 多くのSF(小)ネタがちりばめられているものの、本書のテーマは仏教である。AIの帰依する宗教が仏教というのはいかにもそれらしい。しかも、仏教用語をSFガジェットとするなどの表層的な扱いではない。イスラームやキリストとは異なる仏教の本質にまで、AIの切り口で踏み込んでいるのだ。

アンジェラ・カーター『英雄と悪党との狭間で』論創社

Heroes and Villains,1969(井伊順彦訳)

カバー画像:SK_Artist/Shutterstock.com
装丁:奧定泰之

 変格ものが多い《論創海外ミステリ》から出た本書は、《文学の冒険》叢書の『夜ごとのサーカス』(1984)や、《夢の文学館》に含まれる『ワイズ・チルドレン』(1991)などで知られる英国作家アンジェラ・カーター(1992年に52歳で亡くなっている)の初期作にあたる。オールディス&ウィングローヴの評論『一兆年の宴』(1986)で、(カーター作品の中では)はっきりSF的に書かれためったにない作品として紹介されている

 主人公は教授の娘で、共同体の白い塔に住んでいる。共同体の境界には堅固な壁が作られ、見張り塔が周囲を監視していた。不定期に蛮族が襲ってくるからだ。兄は警備隊の兵士だったが、警戒の緩んだ祭の日、襲来した蛮族に殺されてしまう。数年後、家族をすべて失った主人公は、偶然助けた蛮族の青年と共同体を離れ、彼らと共に荒れ果てた世界を放浪することになる。

 核戦争らしい大災厄の結果、世界の秩序は失われている。主人公の生まれた小さな共同体では農業や一部の工業が生きているものの、徘徊する蛮族や外人(アウトピープル)は奪うばかりで学ぼうとはしない。本を所蔵する知識階級は「博士」や「教授」などと称される。だが、学識を尊ばれるというより呪術的な存在と思われている。

 本書は、アフター・デザスター/ポスト・アポカリプスといったサバイバルの物語ではない。文明論とも違う。主人公は結果がどうあれ、文明による束縛(社会的義務、家族や婚姻)からの解放を希求しているように思える。書かれたのがベトナム戦争(1955~75)のただ中で、世界秩序が揺らいでいたことも関係しているかもしれない。

 ところで、主人公や蛮族の青年は、さりげなく本の一節や格言を口にする。それは教養の残滓ではあるのだが、文明が失われたことを逆に強調する効果を上げている。