ラヴィ・ティドハー『ロボットの夢の都市』東京創元社

NEOM,2022(茂木健訳)

装画:緒賀岳志
装幀:岩郷重力+W.I

 原題のネオム=NEOMとは、サウジアラビア北西部の砂漠で建設途上にある実験都市の名称だ。高さ500メートルのビルが一直線に170キロも続くなど、誇大妄想的なヴィジョンからネットでも話題になった。今後どうなるかはともかく、単なるペーパープランではなく、もう着手されているというのがミソ。本書では、夢の都市ネオムが完成してからさらに数百年後が舞台である。

 老母を養うためエッセンシャルワークに就く女は、パートタイムで花を売っているとき、一本のバラを買う古びたロボットと出会う。遠い宇宙から帰ってきたというロボットは、かつては恐ろしい戦争兵器だった。家族を失った少年は、掘り出したレアものの遺物を売ろうとしている。そのため、交易する隊商団=キャラバンと合流しネオムに向かう。

 人語を話すジャッカル、墜落した宇宙船、さまざまな由来を持つロボットたち。物語は架空の固有名詞を無数にちりばめて読者を幻惑する。説明抜きで、エキゾチック感のあるターム(実在するアラブの風俗、ロボトニック、ナル・スーツ、バッパーズ、テラー・アーティスト、ノード、シドロフ・エンブリオメック、アザーズ、UXOなどなど)が連なる。

 帯に「どこか懐かしい」とあるが、AIではなく人間的なロボットもの、かつコードウェイナー・スミスの《人類補完機構》を思わせるスタイルだからだろう。作者もあとがきで、大きな影響を受けたと記している。スミスの未来史は予見的でもないし、そもそも全く科学的ではない。予想外の驚きがあって、既存のリアルとどこも似ていない。本書もまたおとぎ話のような未来世界を、短いエピソードと印象に残るキャラにより紡ぎ出している。

 この設定は、もともとは短編による連作だった独自の未来史《コンティニュイティー・ユニバース》に基づいている。今のところ、Central Station (2016)と本書だけが長編のようだ。短編群はほぼ未訳ながら、巻末に20ページにも及ぶ用語集が載っているのでとりあえず雰囲気はうかがえる。しかし、注釈に構わず謎のまま読んだ方がむしろ楽しめるかもしれない。

 著者はイスラエル生まれで現在英国に在住している。本国から離れ英語で執筆しているが、作品の中でユダヤは常に意識されている。本書に登場する、ユダヤ・パレスチナ連邦(イスラエル、パレスチナ自治区とヨルダンを含む)にも、平和共存の意図があるのだろう。昨今の状況ではそれが「力による現状変更」以外で実現する可能性は遠のいた。けれど、ユダヤとパレスチナが共存可能な未来だけは、夢物語で終わらせてはいけない。

早川書房編集部・編『世界SF作家会議』早川書房

装画:森泉岳士
装幀:早川書房デザイン室

 フジテレビの地上波番組(ただし東京ローカル)で放映された全3回の「世界SF作家会議」(2020年7月/2021年1月/同2月)をまとめたもの。全員が(たとえスタジオに居ても)リモート参加で、6分割画面という今風のスタイル。カットシーンを補完した拡張バージョンは現在でもYouTube版が視聴できるが、本書は文字にする段階でさらに手を加えた決定版である。担当ディレクター黒木彰一がSFファンだったために実現した企画だという。海外の作家も参加したので(陳楸帆が同時通訳参加、劉慈欣/ケン・リュウ/キム・チョヨプらはビデオ参加)、世界SF作家会議でも大げさではないといえる内容になった。

【第1回】コロナパンデミックをどうとらえたか/パンデミックと小説/アフターコロナの第三次世界大戦(冲方丁)アフターコロナのトロッコ問題(小川哲)アフターコロナのセックス(藤井太洋)アフターコロナは・・・・・・ない(新井素子)/劉慈欣のメッセージ。

【第2回】パンデミックから一年・・・・・・SF作家たちはどう見たか?/人類はチーズケーキで滅亡する(小川哲)人類は宇宙からの災難で滅亡する(劉慈欣)人類はポスト人類で滅亡する(ケン・リュウ)人類は愛で滅亡する(高山羽根子、藤井太洋)人類は目に見えないもので滅亡する(キム・チョヨプ)人類は滅亡しない(新井素子)/地球滅亡の日に食べるなら、ご飯か麺か。

【第3回】SF作家が考えるコロナ禍の現状/100年後の企業帝国と惑星開拓(冲方丁)100年後の和諧(ハーモニー)(陳楸帆)100年後はサイボーグたちの世界(キム・チョヨプ)100年後は人間が変化する(劉慈欣)100年後は分からない(樋口恭介)100年後は予測不可能(ケン・リュウ)100年後はあまり変わっていない(新井素子)/地球脱出時に連れていくなら犬か猫か。

 司会者のいとうせいこうは作家兼タレント、大森望がコメンテーター的な役割、それ以外は全員が作家である。6人で進行するのは、SF大会のパネルとしても多い方だろう。深夜帯とはいえ、非専門的な地上波TV番組として成り立つのかどうか見る前は疑っていた。評者はYouTube版で視聴したが、ネタ的な話題に偏らず(テーマはネタ的だが)、SF作家らしいキーワードを交えた分かりやすい流れで作られていた。さらに本書になると、キーワードに読み物としての重みが加わる印象だ。SF作家は予言者かと問われると誰でも違うと答えるだろうが、あらゆる可能性を(ありえないことまで含めて)考えてみるのがSF作家だという見方はできる。ハードな明日を冷めた視点で語る冲方丁、あくまで希望を失わない陳楸帆、何も変わらないとうそぶく新井素子が対照的で面白い。

橋本輝幸編『2010年代海外SF傑作選』早川書房

カバーデザイン:川名潤

 11月に出た『2000年代海外SF傑作選』に続く、橋本輝幸編の翻訳SFアンソロジイである。このくらいの時期になると、ケン・リュウやピーター・トライアスなど新刊でも入手容易な作家が多くなる。11作品を収める。

 ピーター・トライアス:火炎病(2019)*兄は周りが青い炎に包まれるという病に犯される。主人公は、治療の手がかりを探すうちに、感覚操作並列SOPというARエンジンの存在を知る。
 郝景芳:乾坤と亜力(2017)*社会全般を統括するAI乾坤(チェンクン)は、ある日、三歳半の子ども亜力(ヤーリー)から学ぶように命令される。亜力の言動は理解不能のものばかりだった。
 アナリー・ニューイッツ:ロボットとカラスがイーストセントルイスを救った話(2018)*全米の医療が崩壊したアメリカで、ドローン型ロボットと一羽のカラスが協力することを学ぶ。
 ピーター・ワッツ:内臓感覚(2018)*グーグルのデリバリーに暴行を働くというもめ事を起こした男は、パラメータ化の専門家と名乗る女の非公式訪問を受ける。
 サム・J.ミラー:プログラム可能物質の時代における飢餓の未来(2017)*ソフトウェアで自在に変化する、形状記憶ポリマーが爆発的に普及する。しかし、ハッキングのために恐ろしい事態が生じるようになる。
 チャールズ・ユウ:OPEN(2012)ある日突然、部屋の中央に”door”という文字が出現する。僕は彼女と話し合わねば、と思う。
 ケン・リュウ:良い狩りを(2012)清朝末期、香港の近辺に住む妖狐と妖怪退治師だった親子は、魔法が消えていく時代の中で、姿を変えながら生き抜いていこうとする。
 陳楸帆:果てしない別れ(2011)**主人公は脳内出血で倒れ、かろうじて意思の伝達こそ可能なものの全身麻痺のままとなる。ところがそんな主人公に、思わぬ仕事が依頼される。
 チャイナ・ミエヴィル:“ ”(2016)* “ ”とは〈無〉を構成要素とする獣である。現実の事物の反対側にある負の存在は、新たな学問を生み出すことになる。
 カリン・ティドベック:ジャガンナート(2012)いつなのか分からない未来、異形の生き物マザーの中に生まれた主人公は、やがて成長し生涯の役割を与えられる。
 テッド・チャン:ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル(2010)仮想空間に生きる人工生物ディジエントは、独自のゲノム・エンジンを使って知能を持つ生き物としてふるまう。
 *:初訳、**:新訳

 7作品は初紹介、または入手困難な本の新訳。ピーター・トライアス郝景芳アナリー・ニューイッツピーター・ワッツらは、まさに今のテクノロジーであるAIや、ネットで構成されたGAFA的な世界を切り取った小品だろう。サム・J・ミラーは登場人物が現代的、チャールズ・ユウチャイナ・ミエヴィルは円城塔風(文字のような純粋に抽象的な存在を生き物のように扱う)である。カリン・ティドベックは酉島伝法『皆勤の徒』(英訳版)を高評価したヴァンダミアのアンソロジイから採られたが、本作もそういう流れを汲む作品。陳楸帆も後半はよく似た雰囲気だ。ケン・リュウは『紙の動物園』収録のスチーム・パンク作品、テッド・チャンはデジタル生命の意味を考察する力作で、比較的最近(約1年前)出た『息吹』収録の中編だが、テーマ的にも欠かせないということであえて収録されたようだ。

 2010年代は終わったばかりの近過去なので、客観的な評価を下すのは難しいが、本書の中にそのエッセンスは見える。ネットがその存在感を広げ、AIは偏在化(あらゆるところに分散化)し、無形(ソフト)が有形(ハード)を凌駕する社会だ。また、国家に替わって企業が情報=人間を支配する。男女の定型的な役割は否定され、人に似たものは人間とは限らない。本書の多様な視点から、そういう社会的な変化が顕わに見えてくる。

 2020年はパンデミックで明け暮れ、さまざまなものが終わりまたは加速されたが、これらは2010年代(2010-19)より後に物語の形を成すものだろう。

橋本輝幸編『2000年代海外SF傑作選』早川書房

カバーデザイン:岩郷重力+M.U

 評論や最新海外SFの紹介で知られる新鋭、橋本輝幸による初のアンソロジイである(『2010年代ー』が続刊)。編者は英語だけでなく中国語も読めるので、本書には劉慈欣の作品も含まれている。しばらく途切れていたが、小川隆+山岸真編『八〇年代SF傑作選』(1992)や山岸真編『九〇年代SF傑作選』(2002)に続く、10年区切りの年代別海外SFアンソロジイの一環でもある。

 エレン・クレイジャズ:ミセス・ゼノンのパラドックス(2007)二人の女がカフェで語り合う。その内容には矛盾が混じり一貫性もないように見えて……。
 ハンヌ・ライアニエミ:懐かしき主人の声(2008)違法クローン作成容疑で南極の霊廟都市に収められたご主人を奪取しようと、飼い犬と猫が活躍する。
 ダリル・グレゴリイ:第二人称現在形(2005)ドラッグ・ゼンの中毒で「死んだ」少女の体には「別人」であるわたしがいる。両親は少女が蘇ったと喜ぶのだが。
 劉慈欣:地火(2000)古い炭鉱の町出身の主人公は、炭鉱をガス田に変貌させるプロジェクトのリーダーとなった。だが、大胆な実験の結果は予想を裏切る結果を招く。
 コリイ・ドクトロウ:シスアドが世界を支配するとき(2006)夜中にサーバーダウンの急報を受けてデータセンターに駆けつけた主人公は、そこに他のサーバーのシスアド(システム管理者)たちが詰めかけているのを知る。世界的な異変なのだった。
 チャールズ・ストロス:コールダー・ウォー(2000)冷戦下の時代、ソ連で密かに進むコンチェイ計画に動きが見られた。それがもし無制御で動き出せば世界は滅ぶ。
 N.K.ジェミシン:可能性はゼロじゃない(2009)なぜかニューヨークだけで、大当たりが偏在して起こっている。良いことだけじゃなく悪いことも。
 グレッグ・イーガン:暗黒整数(2007)数学的な公理が異なる宇宙が、この宇宙と重なって存在している。そこでは抽象的な数学の証明が他の宇宙への攻撃になるのだ。
 アレステア・レナルズ:ジーマ・ブルー(2005)惑星規模の芸術家が最後の作品を発表するという。主人公は単独インタビューに成功し、芸術家の秘密を知る。

 ニューウェーヴやサイバーパンク相当の大きなムーヴメントは、ゼロ年代には起こらなかった。すれ違う会話をしゃれた文体で魅せる「ミセス・ゼノンのパラドックス」や、電脳クローンを動物もので書いた「懐かしき主人の声」、21世紀のヴァーミリオン・サンズ「ジーマ・ブルー」は、複合化されたアイデアをいかに料理するかというテクニカルな面白さがある。一方、社会的には9.11事件(2001年)が起こり、世界同時テロの時代が訪れた。ニューヨークが舞台の「可能性はゼロじゃない」には、そういう得体の知れない不安感がバックにある。また、ネット社会の台頭が「シスアドが世界を支配するとき」の奇妙なアフター・ホロコーストもの、「暗黒整数」(「ルミナス」の続編)の情報戦争に姿を見せる。「コールダー・ウォー」も面白いが、これはもはや普遍的テーマなのでこの傑作選でなくてもよいと思う。

 本書の中では「地火」が異色だろう。1970年代の炭鉱が舞台で、書かれた1990年代末の中国は、2020年比10分の1の経済力しかない貧しい時代だ。日本で同等の(経済10分の1)時期は1950年代後半なのだから、他の欧米SFとは時間経過のスピードが異なる。科学技術がもたらす危険性や、未来に対する希望などに独特の思いが感じられる。(英米SFではなく)海外SFと称する限り、今後はこういう英米外の別の文化、別の時間軸にあるSFを取り入れていく必要があるだろう。

シェルドン・テイエルバウム&エマヌエル・ロテム編『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』竹書房

Zion`s Fiction:A Treasury of Israeli Speculative Literature,2018(中村融他訳)

デザイン:坂野公一(welle design)

 日本人にとって、ほぼ未知の国といえるイスラエルで書かれたSFの傑作選。ユダヤ系アメリカ人なら、SF関係でも著名人が多数いる。序文を書いたシルヴァーバーグをはじめ、アイザック・アシモフ、アルフレッド・ベスター、ハーラン・エリスン、ロバート・シェクリイらがそうだし、ヒューゴー賞で知られるアメリカSFの創始者ヒューゴー・ガーンズバックもユダヤ系だ。

 それなら、戦後に建てられた新興国イスラエルはどうだろう。中東の紛争地にある強権軍事国家で、男女共に兵役があり、隠れた核保有国らしいなど、非文化的なイメージしか伝わってこない。しかし、それは一面に過ぎるのだ。本書はアメリカで出版された英訳版の傑作選である(国語であるヘブライ語が多いが、ロシア移民の多くが使うロシア語、海外での英語発表作を含む)。ケン・リュウが中国SFを英訳して紹介したスタイルと同じといえる。

ラヴィ・ティドハー(1976-)「オレンジ畑の香り」(2011)かつてオレンジ畑だった宇宙港の見える旧市街で、主人公は中国移民だった父親や先祖の記憶を反芻する。
ガイル・ハエヴェン(1959-)「スロー族」(1999)成長が遅いことを特徴とするスロー族の保護区が廃止されることになった。その研究をテーマとしてきた主人公はうろたえる。
ケレン・ランズマン「アレキサンドリアを焼く」(2015)出現した異形の施設を、主人公たちはエイリアンの侵略とみなし破壊しようとしている。しかし姿をみせたのは人間で、ここは時間を超えた図書館なのだという。
ガイ・ハソン(1971-)「完璧な娘」(2005)アカデミーに新入生が入学する。厳しいカリキュラムがあり、6人のうち卒業まで残れるのは1人のみ。ここには、他人の心が読める生徒だけが集められるのだ。
ナヴァ・セメル(1954-2017)「星々の狩人」(2009)地上から星々の輝く夜空が失われる。主人公は夜が真っ暗になった後の世代で、かつての宇宙の写真を見て想像するだけだ。
ニル・ヤニヴ「信心者たち」(2007)神が出現したあと、戒律に反した人々は苛烈な罰を受けるようになった。主人公はそこから逃れ出ようあがき、不信心者たちと画策する。
エヤル・テレル(1968-)「可能性世界」(2003)ある作家が占い師のところにやってくる。自分が忌避した戦争にもし従軍していたら、どうなったかを占ってもらおうというのだ。
ロテム・バルヒン「鏡」(2007)友人の猫が死ぬ。どちらといえない事故の責任をなじる友人が煩わしく、主人公はもう一人の自分と入れ替わる。
モルデハイ・サソン(1953-2012)「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」(1984)エルサレムの古い保存地区を、知能化したネズミたちが占拠する。やがて、ネズミは主人公の祖母の家に現われ、ロボットを巻き込んで争いが始まる。
サヴィヨン・リーブレヒト(1948-)「夜の似合う場所」(2002)破滅が訪れてほとんどの人々は死んでしまう。局地的なものではなく、救助される兆しはない。親子でも夫婦でもない何人かは、辛うじて生活を維持していた。
エレナ・ゴメル「エルサレムの死神」(2017)主人公は奇妙な男と付き合うようになる。中東の熱気にさらされていない、体の冷たさが魅力だった。やがて男は自分の正体を明かすが。
ペサハ(パヴェル)・エマヌエル(1944-)「白いカーテン」(2007)妻を亡くした主人公が、一人の友人を訪ねる。友人は分岐した世界を継合する術をもっているからだ。
ヤエル・フルマン(1973-)「男の夢」(2006)男が誰かを夢に見ると、夢見られた女は強制的に部屋に引き寄せられる。たとえ起きて仕事中、運転中であったとしても。
グル・ショムロン「二分早く」(2003)立体ジグソーパズルを組み上げる世界パズル選手権に、少年たち3人組が挑戦する。しかし梱包されたパズルの箱は、ルールより二分早く届いてしまう。
ニタイ・ペレツ(1974-)「ろくでもない秋」(2005)サッカーの試合を見ていた主人公は、恋人から急に別れ話を切り出され動揺する。そのまま出勤もせず、銃砲店で拳銃を入手する。
シモン・アダフ(1972-)「立ち去らなくては」(2008)父親を亡くした母と、その子ども姉弟が叔母の家に住むことになった。そこには男の名前が書かれた箱がたくさんあり、さまざまなものが詰まっている。

 編者による詳細な「イスラエルSFの歴史について」によると、イスラエルにおけるSFは、戦争に明け暮れた1970年代以前(第4次中東戦争が終わるまで)には、翻訳を含めてほとんど存在しなかった。社会的風潮として、存在が許されなかったのだ。

 しかし、70年代半ばから翻訳SFが大量に紹介されはじめ、初のSF雑誌ファンタジア2000(1978-84)が誕生し、90年代にはファンダムが生まれた。イスラエルの人口は、2020年発表値でも900万人ほどしかない。読者が少なくマイナーな環境では、固定ファンの存在は大きな助けになる。収録作の発表年を見ても分かるが、作品の大半は21世紀になってから書かれたものだ。ヘブライ語のオリジナルSFの書き手が現われるには、それだけの時間が必要だったのである(SF先進国のソビエト/ロシア系移民作家は、ロシア語で書いた)。

 現在のイスラエルは、軍事・民生にかかわらずハイテク国家だ。過去から欧米メーカの開発拠点や研究所があったし、今では自前のベンチャー企業が増えてきた。中国でもそうだが、科学技術の広がりとSFの一般化とは相性が良い。加えて、イスラエルの背景には、ホロコーストの巨大な影がある。既に実体験者は減っているものの、その復活を予見・警戒する(宗教的なものを含む)ディストピアもの、黙示録的な終末もの、歴史改変ものを受け入れる素地があるという。本書の中短編でストレートにテーマが見えるものは少ないが、「夜の似合う場所」やテッド・チャン的な「信心者たち」などに特有の雰囲気がうかがえる。一方、「エルサレムの死神」「ろくでもない秋」「立ち去らなくては」は現代的なアーバンファンタジーであり、背景を知らなくても楽しめるだろう。

ユーン・ハ・リー『ナインフォックスの覚醒』東京創元社

Ninefox Gambit,2016(赤尾秀子訳)

カバーイラスト:加藤直之
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 著者のユーン・ハ・リーは1979年生まれの韓国系アメリカ作家。高校までは韓国と米国を行き来しながら生活し、コーネル大学で数学、スタンフォード大学では中等(中学・高校)数学教育で修士の学位を得ている。SF作家としてのデビューは1999年、以降これまでに70作以上の短編と本書を含む4冊の長編などを発表してきた。本書は《六連合》シリーズの第1作目であり、ローカス賞第1長編部門賞を受賞している。

 遠い未来の宇宙に六つの属から成る〈六連合〉に支配された星間国家があった。そこでは 数学的に設計された〈暦法〉が定められ、物理法則をも超越する高度なエキゾチック技術が働くのだ。主人公は数学に秀でた兵士だったが、異端勢力により奪われた都市要塞・尖針砦の奪還を命じられる。しかも、過去に反逆者として裁かれた将官の意識だけを伴い、艦隊群を統べる司令官に就くことになるのだ。

 エキゾチック技術は科学というより魔法的な技術で、そういう意味では本書はハードSFではない。ミリタリーSF+ファンタジイといった趣がある。一介の士官が急に司令官になるギャップと、心に宿った反逆者/英雄でもある元大将との駆け引きが本書の面白さだろう。

 著者はトランスジェンダーの作家であり、韓国とアメリカ両者の文化で生活してきた。本書では性別に関する描写はほとんど存在せず、東洋(韓国の文化)が異星の文明とシームレスに混じり合っている。オリエンタリズムや、ジェンダーの差異をことさら強調するつもりはないようだ。

 数学を専門に学んだ著者ではあるが、本書が数学SFなのかというとそうではない。数学は暦法を表現するレトリックのような扱いで、かつてのルディ・ラッカーや麦原遼ほども用語は出てこず、難解さを心配する必要もないだろう。ところで、表題のナインフォックスとは九尾のキツネのこと。元大将の出身属を表す紋章である。