
1969年6月に立風書房の立風SFシリーズ(RIPPU NEO SFという表記もある。1969年から70年にかけて全11冊を刊行)の一環として出た、眉村卓の第4長編である。短編「暗い渦」(1964)でまず基本的な設定を描き、その後雑誌ヤングエース(学習研究社)に「逃げられない」(1968)として原型版を書き、1年後に本書の形で長編版を出した。構想から温めて徐々に磨いてきた作品なのだ。
主人公はプロット作成をする会社員だった。満員の交通機関を避け、相乗りの車を探して通勤しようとした朝、異様な光景を目撃する。道路の真ん中で裸の男女が搦んでいる。しかし女はセクソイド・センターのロボットなのだという。性的に開放された時代だったが、主人公はそういう風潮とは相容れなかった。
舞台は近未来の日本(『EXPO`87』と同様の実現しなかった未来だが、異形の現在とも思える類似点もある)。主人公の勤務先は、自動化された作家とでもいえるサービス会社である。物語をコンピュータが自動生成し、細部は人間が判断して膨らませるのだ。できばえをスコア判定されるため、思った通り書けばよいわけではない。作業はめんどうだが機械的だった。目標もなく生きる主人公は、たまたま連れて行かれたセクソイド・センターで、一台のロボットにのめり込むようになる。
主人公は一流会社や広告代理店に就職するも、なじめずに辞めてしまう。学生時代のライバルには、自分なりの建前に拘りすぎて現実を見ていないとたしなめられたりするし、同窓だった女とはまったく気持ちが合わない。理想主義というより、ストイック過ぎる人物と描かれる。社会は安定しておらず、暴徒化するデモ隊と重装機動隊との騒乱で何人もの死者が出る。こういう過激な社会や主人公の行動は、非現実的な誇張と思えるかもしれない。しかし、不特定の相手を(意味もなく)殺傷するような不満の蓄積は身近にも潜んでいる。他に頼るものがなくロボットに耽溺する主人公は「弱者男性」なのであり、AIパートナーにすがるわれわれとも相似している。本書は、眉村流にデフォルメされたディストピア小説といえるだろう。
- 『EXPO`87』評者のレビュー