立原透耶編『宇宙の果ての本屋 現代中華SF傑作選』新紀元社

装画:鈴木康士
装丁:鈴木久美

 『時のきざはし』に続き、3年ぶりに出た立原透耶編による日本オリジナルの傑作選第2弾、今回は15作家の作品を収録する。前作と重複する作家も8名いるが、初紹介を含む新たな作家が約半分を占める。英米圏でも活動する王侃瑜や、短編集『時間の王』『三体X 観想之宙』などで既によく知られている宝樹の短編も読める。

 顧適(1985生)生命のための詩と遠方(2019)タンカーから流出した石油が消滅する。それは20年前に主人公が関わったプラスチック生物と関係するようだった。
 何夕*(1971)小雨 (1994)自然から受ける感性を3Dイメージングで表現する主人公は、一人の女性から強い印象を受けるが。
 韓松*(1965)仏性(2015)ロボットが無常を感じ輪廻からの解脱を求めた。ならばロボットもまた衆生の心を持っているのか。
 宝樹(1980)円環少女(2017)少女はパパと二人で暮らしている。ママは早くに亡くなり墓もある。ただ、少女はときどき覚えのない体験を思い出すのだ。
 陸秋槎*(1988)杞憂(2019)杞国の渠は兵法の大家だったが、諸国を巡り歩くうちにその兵書の内容はことごとく覆されてしまう。
 陳楸帆*(1981)女神のG(2009)身体的な問題で性的な喜びを感じないミスGは、脳への刺激を試みる実験的な方法で劇的な変化を遂げる。
 王晋康*(1948)水星播種(2016)実業家の主人公に叔母からの遺産の話が持ち上がる。それは未知のケイ素系生物にまつわるものだった。
 王侃瑜(1990)消防士(2016)山林火災が頻発する未来、消防用のヒューマノイドロボットが心療内科を受診する。そのタイプは人間の意識を搭載しているのだ。
 程婧波(1983)猫嫌いの小松さん(2019)チェンマイにある外国人向けの別荘地に、元エンジニアの小松さんが住んでいる。なぜか猫を嫌っているらしい。
 梁清散*(1982)夜明け前の鳥(2019)清朝末期、お忍びで出た革新派の皇帝を城内に戻す必要が生じる。不在が明らかになると改革の障害となるからだ。
 万象峰年(?)時の点灯人(2018)時間剥離が発生し、提灯守が持つ時間発生器の周辺だけでしか時間は流れなくなる。だが、発生器が永遠に動くわけではない。
 譚楷(1943)死神の口づけ(1980)バレエ団のプリマを待つ男、化学工場の工場長と何年も前に別れ今は母となった娘、その運命は重大な事故から暗転する。
 趙海虹(1977)一九二三年の物語(2004)100年前の上海、革命に奔走する男装の女は、水夢機を作ろうとする科学者の研究室で奇妙な歌を聴く。
 昼温*(1995)人生を盗んだ少女(2019)苦学を経て有名私学の特待生となった主人公に友人ができる。しかし、その友人の夢は実現不可能に思われた。
 江波*(1978)宇宙の果ての本屋(2015)誰も本を読まなくなった遠未来、億冊を超える規模を誇る最後の本屋は、滅びゆく地球を捨てて宇宙の果てへと旅を続ける。
*:『時のきざはし』収録作家

 「生命のための詩と遠方」ではプラスチック汚染問題を、(「天駆せよ法勝寺」に先行する)仏教SF「仏性」はAIに意識は芽生えるかを投げかける。さらに、ティプトリー「接続された女」的な「女神のG」、ハル・クレメント(あるいは春暮康一)やロバート・L・フォワードを思わせるクラシックな「水星播種」、実話を基にしたパンデミックSF「死神の口づけ」、現代の問題を内包する「消防士」と「人生を盗んだ少女」、スチームパンクともいえる「杞憂」、革命前夜を外国側ではなく国内視点から描く「夜明け前の鳥」「一九二三年の物語」、エモーショナルさが際立つ「小雨」「円環少女」「猫嫌いな小松さん」(表題は猫好きだった小松左京へのオマージュ)「時の点灯人」と多彩だ。「(前作より)SF色が強いものを多めに」という編纂趣旨もあって、より多様に楽しめるだろう。

 巻末の「宇宙の果ての本屋」は、宇宙のすべての知識を集めた本屋(なぜか図書館ではなく本屋なのだ)を描く。知識のデッドコピー、無条件なインプットだけでは、いずれ情報は劣化摩耗してしまう。読むだけではなくアウトプットがなければ進歩はない。学び考えることこそが新しい知恵を生むのだと締めくくられる。

劉慈欣『超新星紀元』早川書房

超新星纪元,2003(大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳)

装画:富安健一郎
装幀:早川書房デザイン室

 20年前、ベストセラー作家となる前の劉慈欣が最初に出版した長編が本書である。『三体0』より《三体》との関連性は薄く(さすがに『三体マイナス1』とも書けず)翻訳では後回しにされてしまったが、それでも作品の発想は著者らしい。初稿は1989年なので、原点はさらに14年もさかのぼる(2003年版は第5稿のようだ)。

 地球から8光年の距離に、質量が太陽の67倍にも及ぶ「死星」があった。本来なら夜空に存在感を見せつけたはずの明るい星だったが、星間物質の雲に遮られ、つかの間のヘリウム・フラッシュによる光以外知られることはなかった。しかし、5億年に及ぶ星の生涯は爆発により突然終わりを告げる。強大な死のエネルギーを伴う光は8光年を超え、夜空にマイナス27等級の輝きを放った。

 超新星爆発から1か月ほど過ぎた9月、卒業したばかりの小学生が各地から集められ、15日間にわたる野外ゲームが開催される。それは国家の合従連衡をシミュレーションするもので、新国家の指導者を見定める試験でもあった。大人たちが退場し、当時12歳以下の子どもたちに権限を委譲するというのだ。降り注いだエネルギー粒子により大人たちの染色体は修復不能、もはや命は1年余りしか残されていなかった。

 世界は子どもだけのものとなる。しかし、大人の秩序から解き放たれた子ども世界は、異様な変容をみせる。なんとか秩序を保とうとする慣性時代、欲望を隠そうとしないキャンディタウン時代を過ぎると、やがて南極を舞台とする超新星戦争と呼ばれる狂乱が。

 本文中でも言及されるように、ゴールディング『蠅の王』(1954)を思わせる。確かに子どもたちだけによる「国家」が描かれる点はよく似ている。ここでゴールディングは、人間=大人の中に潜む蛮性を子どもで象徴しようとした。対して劉慈欣は、子どもの倫理観は大人とは全く異なるものとする。すべては遊びであり、命さえも遊びの代償なのだ。大人のカリカチュアではないのである。そういう意味から考えると、命を課した残虐なゲームすらためらわない本書の子どもたちこそ、三体文明の異星人に近いのかもしれない(つまり『三体マイナス1』?)。

ケン・リュウ、藤井太洋ほか『七月七日』東京創元社

일곱 번째 달 일곱 번째 밤,2021(小西直子、古沢嘉通訳)

装画:日下明
装幀:長崎稜(next door design)

 今月には旧暦の七夕(8月22日)がくるので紹介する。本書の原典は、韓国Alma社で企画出版された韓国語のアンソロジイである。済州島の伝承を元にした韓国SF作家の7作品に、中国系作家2作品(どちらも原著は英語)と藤井太洋(日本語)をゲストとして加えたものだ。

 ではなぜ済州島なのか、なぜ中国や日本が関係するのか、そもそもなぜ七夕なのか。まず、済州島は12世紀まで独立国だった関係で、韓国本土と異なる独自の文化や伝承がある。海を介して大陸と近い関係で、中国文化の影響も大きかった。その点は、独立王国だった奄美や沖縄(琉球)などとも共通する。また、日本には織姫彦星の一般的な七夕伝説のほかに七夕の本地物語というものがあるが、これは済州島の伝承との関連が指摘されている。国際アンソロジイとした根拠はその辺りにもあるだろう。

 ケン・リュウ「七月七日」幼い妹に七夕のお話をしたあと、主人公はアメリカに留学する友と夜の街に出る。すると、カササギの群れが現れて2人を空へと導くのだ。
 レジーナ・カンユー・ワン(王侃瑜)「年の物語」眠りについてから久しい時間が流れたあと、怪物「年」は少年に召喚されて目覚めるが、街は見知らぬものとなっていた。
 ホン・ジウン「九十九の野獣が死んだら」銀河港のターミナルに野獣狩りのハンターがやってくる。老人と鋼鉄頭のコンビで、獲物を臭覚センサーを使って追跡するのだ。
 ナム・ユハ「巨人少女」済州島の高校生5人が宇宙船に拉致され、一見何事もなく戻ってくる。しかし、その体には異変が生じていた。急激に巨大化していくのだ。
 ナム・セオ「徐福が去った宇宙で」コレル星系の辺境で採鉱をしているコンビは、見知らぬ巨大な宇宙船と遭遇する。それは、チナイ星系から不老草を求めて飛来したという。
 藤井太洋「海を流れる川の先」サツ国の暴虐な兵が大軍で押し寄せてくる。しかし、備えを知らせようとする伝令舟に、サツ国の僧と称する男が同乗してくる。 
 クァク・ジェシク「……やっちまった!」済州島で開催される学会のあと、学会を主宰する先輩と共に島の最高峰漢拏山に登頂した主人公は不思議な体験をする。
 イ・ヨンイン「不毛の故郷」生命の豊かな惑星で、異星人は孤島の耽羅地区に保養地をもうけていたが、予想より早くそこに人間が到来した。
 ユン・ヨギョン「ソーシャル巫堂指数」ネット時代に対応するために、市民はICチップをインプラントされている。しかし、巫堂指数が高すぎる人間は異常者扱いされる。
 イ・ギョンヒ「紅真国大別相伝」翼を持って生まれたものは殺される。しかし神の造った子供は羽を密かに切り落とされ、生き残ることになる。

 明記はされていないが、ケン・リュウ以外は書下ろしか、本書が初出の作品だろう(日本初紹介作家も多数)。各作品には元となる伝承や歴史がある。七夕(中国)、架空の新年行事(中国)、九十九の谷の野獣伝説、巨人のおばあさんハルマンの伝説、徐福伝説、薩摩による琉球討伐(日本)、白鹿譚と山房山誕生の伝説、シャーマン神話、媽媽神(大別相)に関する伝説などなどだ。注記のないものはすべて済州島の伝承・伝説になる。

 ただし、それぞれの物語はずっと自由で、宇宙ものの「九十九の野獣が死んだら」「徐福が去った宇宙で」「不毛の故郷」、怪獣ものめいた「巨人少女」や、今風の近未来「ソーシャル巫堂指数」、主人公の孤独を軽妙に描く「……やっちまった!」など、ユーモアと哀感を込めて書かれたものが多い。巻末の「紅真国大別相伝」はファンタジーなのだが現代的な寓意が込められている。

シーラン・ジェイ・ジャオ『鋼鉄紅女』早川書房

Iron Widow,2021(中原尚哉訳)

カバーイラスト:鈴木康士
カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 著者は中国生まれのカナダ人作家、コロナ絡みで職を失い本書を書いた。そのデビュー作がいきなりベストセラー、同時に始めたユーチューバーも登録者数53万人を集める。たまたまではなく、何らかのカリスマがあるのだろう。著者近影が牛のコスプレ(岩井志麻子を思わせる)なのは友人との約束の結果、また霊蛹機はアニメ「ダーリン・イン・ザ・フランキス」から着想を得たものという。

 華夏(ホワシア)国は、渾沌(フンドゥン)と呼ばれる機械生物による侵攻にさらされている。対する人類側も、霊蛹機(れいようき)と呼ばれる巨大戦闘機械(九尾狐+朱雀+白虎+玄武)を主力に擁して対抗する。機械のパイロットは男女一組だった。英雄となる男と、妾女(しょうじょ)と呼ばれる使い捨ての女、機械はその「気」(生気)をエネルギーにして動くのだ。

 まず主人公は英雄をしのぐパワーを有し、武則天と呼ばれるようになる。他にも独狐伽羅、馬秀英ら中国の歴史上の皇女たちの名前が出てくる。李世民、諸葛孔明、安禄山、朱元璋などなど、秦から明、清時代まで、背景も立場も異なる歴史上の人物名が順不同で登場する。もちろん著者も、史実とは関係がないと断っている。

 日本でもそうだが、中国はハイテクから安保まで何かにつけ注目される。それに伴って、中国もののフィクションも、英語では耳慣れない中国語の固有名詞、日本なら見慣れない漢語の多用(翻訳者の工夫もある)による異化効果で読者を引き付ける。

 巨大機械=ロボットは3段階の形態に変身する。そこにダリフラ風男女一組のパイロットが搭乗するのだが、男が女の気力を吸い取るという死の格差がある。ジェンダーに絡む、今風のテーマが重ねられているのだ。華夏世界自体にも、抜きがたい男女差別がある。その障害は、誰をも凌駕する主人公のスーパーパワーと、やはり今風の悩みを持つ友人たちの協力によって打破される。とはいえ、渾沌の正体、この世界の秘密などは明らかにならない。2024年刊行予定の続編に続くようだ(おそらく出版社との3部作契約があるのだろう)。

陸 秋槎『ガーンズバック変換』早川書房

Gernsback Transform and Other Stories,2023(阿井幸作、稲村文吾、大久保洋子訳)

装画:掃除朋具
装幀:早川書房デザイン室

 1988年北京市で生まれ、現在日本の金沢市に在住する中国人ミステリ作家 陸秋槎(りくしゅうさ、ルー・チュウチャ)による初のSF短編集である。日本オリジナルで編まれ、書下ろしや初翻訳を含む8作品を収めたもの。

 サンクチュアリ(書下ろし)著名なファンタジー作家がスランプに陥り、急遽シリーズもののゴーストライターとなったわたしは、作家が書けなくなった本当の理由を知る。
 物語の歌い手(書下ろし)中世のフランス。修道院で病に倒れ地元に戻った貴族の娘は、城で詩を披露する中身のない吟遊詩人たちに飽き足らず、自ら吟遊詩人の扮装に身をやつし街々を旅して歩く。
 三つの演奏会用練習曲(2021*)ノルウェーで続く迂言詩(ケニンガル)、シャーラダー(カシミール)を揺るがした『麗姫百頌(カニヤーシャタカ)』、アルテイア島で毎日謳われる神歌、以上3つの物語。
 開かれた世界から有限宇宙へ(2023)スマホゲームのシナリオライターが、社運を賭けた新プロジェクトのカリスマプロデューサーから、ゲーム内の矛盾する設定に合理的な意味付けをするよう要望される。安易な答えは絶対に許されないのだ。
 インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ(2021)インド魔術のネタにインディアン・ロープというものがある。蛇が直立してロープになるトリックなのだが、さまざまな文献によって蛇の実在が示唆される(『異常論文』)
 ハインリヒ・バナールの文学的肖像(2020)20世紀初頭のオーストリア、ホーフマンスタールと同時代の作家にバナールがいた。凡庸で冗長な劇作家だったがナチスの台頭とともに頭角を現し、やがてあるSF映画の脚本により破滅に追い込まれる。
 ガーンズバック変換(2022*)未成年者がスマホやPC画面を見ることを禁じた香川県。高校生の主人公は、ガーンズバックV型の遮断型眼鏡をかけている。大阪の友人を頼って、無効化されたレプリカ眼鏡を入手しようとするのだが。
 色のない緑(2019)親友が亡くなる。グラマースクール時代に知り合った3人の中の1人だ。彼女は計算言語学者で、700ページに及ぶ論文を完成させたばかりだった。しかし、その論文は学会から却下されていた。
*:初訳

 ミステリ作家が書いたSF短編集というと、西澤保彦『マリオネット・エンジン』貴志祐介『罪人の選択』、著者あとがきにも出てくる法月綸太郎『ノックス・マシン』などが思い浮かぶ。どの作家もSFファンだった過去を持つが、(アイデアの処理法に)トラディショナルなSFの手法を用いるか、手慣れたミステリの手法を援用するかで出来上がりの雰囲気は異なる。貴志祐介は前者(長編になるが熊谷達也『孤立宇宙』もそうだろう)、西澤保彦と法月綸太郎は後者になる。特に『ノックス・マシン』はミステリ作家が書いたSFの究極の姿といえる。

 それでは、陸秋槎はどうなのか。「サンクチュアリ」「開かれた世界から有限宇宙へ」「色のない緑」は、それぞれ謎(書けない理由、ゲーム世界の設定、友人の死)が提示され解決されるので、SFのアイデアをミステリ的に処理したと言えなくもない。ところが、どれも事件解決! 的なカタストロフはなく、諦観を込めた終わり方なのだ。さらに、「物語の歌い手」「三つの演奏会用練習曲」は自在な物語だけがあるという短編で、エキゾチックな登場人物の人生の切片のように読めるし、「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」「ハインリヒ・バナールの文学的肖像」は異常論文というより、本物らしさを増した架空評論だろう。

 表題作「ガーンズバック変換」はラノベに近い青春ドラマだ。どんな制約下でも生きていこうとする、主人公の思いに読みどころがある。過去にとらわれず、現在を自由に取り込める若さも清々しい。結局のところ、その自由さが陸秋槎と既存のSFミステリとの違いと思われる。ミステリ作家の経験の上に書かれたSFには、大なり小なり過去のSF体験=古い記憶やミステリのスキルが映り込む。著者の場合(まだ)そういう縛りは生まれておらず、ミステリ・SF・文学のどこでもあり/どこでもない作品となっているのが面白い。

劉慈欣『三体0 球状閃電』早川書房

球状闪电,2004(大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳)

装画:富安健一郎
装幀:早川書房デザイン室

 2000年に初稿が書かれ、2004年に初めて雑誌掲載された著者の第2長編。2006年から連載が始まる《三体》の前なので、本来ならシリーズに含まれない単独長編である。しかし、登場人物の1人が後の主役ということもあり(著者の了解を得て)日本独自に『三体0(ゼロ)』を冠することになったようだ。

 14歳の誕生日に球電により両親を失った主人公は、憑かれたようにその奇妙な現象の物理的な解明に没頭する。球電研究を進める中、やがて軍の新概念兵器開発センターで女性少佐と知り合うようになる。自身の運命を左右するその人物は、率直さとは裏腹に、目的のために手段を選ばない無謀さを併せ持っていた。

 この物語の背景には戦争の影がある(1995‐96年にあった台湾海峡危機がイメージされている)。対アメリカの戦争に球電が検討されるのだ。障壁を自在に透過し、目標物(人体や集積回路)だけに作用する性質は兵器に向いている。ただし、さまざまな制約条件があり、シミュレーション小説(架空戦記)に出てくるようなスーパー兵器として扱われるわけではない。この制約が、物語に(後の《三体》でエスカレーションする)予測不可能な筋書きをもたらしている。

 《三体》と比べると、本書の場合は物語が立ち上がるまでがやや長い。前半では、マイナーな基礎科学研究を行う科学者の苦悩や、球電の性質に関するさまざまな(科学的技術的)実験が占めるからだ。キーマン丁儀(ディン・イー)が登場するのは物語の半ば近く、この飲んだくれ天才科学者(マッドサイエンティスト)が加わってからお話は急展開する。ついに明らかになる球電の正体にも驚かされる。

李開腹・陳楸帆『AI 2041:人工知能が変える20年後の未来』文藝春秋

AI 2041:Ten Visions for Our Future,2021(中原尚哉訳)

装丁:関口聖司 、(C)shunli Zhao/gettyimages

 この表紙でこの帯なので、ほとんどの人はよくあるAI解説書、一般向けノンフィクションの類とみなすだろう。ところが、本書は『荒潮』を書いた陳楸帆の書下ろし中短編集でもあるのだ。中原尚哉という、SFに精通した翻訳者を充てたところも注目点。どの作品も今から20年後(原著は2021年刊)の2041年、AIが浸透した社会の中で、世界のさまざまな人々が生き方を模索する物語である。

 未来1:恋占い(インド)AI恋占いに熱心な主人公は、母親が家族情報を全提供する深層学習型保険に加入したことを知る。助言サービスは有益と思えたが。
 未来2:仮面の神(ナイジェリア)才能ある若手映像作家に、センサーをかいくぐるフェイク動画を作成するよう依頼が来る。その真の目的は何なのか。
 未来3:金雀と銀雀(韓国)養育院で育つ双子の兄弟は性格が全く違っていた。パートナーとなるAIも別々だ。二人は裕福な家とトランスジェンダーの家庭の養子となる。
 未来4:コンタクトレス・ラブ(中国)何度も繰り返すCOVID禍のトラウマで、主人公は部屋に引きこもってしまう。しかし、ブラジルに住む恋人はリアルの面会を求める。
 未来5:アイドル召喚(日本)アイドル一筋だった主人公に、そのアイドル絡みのプロジェクトから誘いがかかる。それはXRを使ったある種の謎解きだった。
 未来6:ゴーストドライバー(スリランカ)VRレースのチャンピオンだった少年は、精巧に作られたシミュレータでのゲームにスカウトされる。
 未来7:人類抹殺計画(アイスランドから世界各地)莫大なリソースを喰う量子コンピュータを使ったクラッキングが発生、それは世界を巻き込む騒乱の引き金だった。
 未来8:大転職時代(アメリカ)あらゆる仕事がAIに置き換えられていく中、転職支援サービスに勤める主人公は、信じられない成功率を約束するライバル会社と対峙する。
 未来9:幸福島(カタール)個人の嗜好をAIがすべて実現してくれる夢の島は、集められたエリートたちの満足にはなぜか結びつかない。
 未来10:豊穣の夢(オーストラリア)かつて名をはせた海洋生物学者も、今では保養施設に住む偏屈な老人に過ぎない。主人公は看護師として働く中、お互いの過去を知る。

 多数のAI関連用語が平明に説明されている。深層学習、ビッグデータ、コンピュータビジョン、ディープフェイク、GAN、GPT-3、AGI、アルファフォールド、VR/AR/MR、BCI、自動運転、トロッコ問題、量子コンピュータ、ビットコイン、AIで失われる仕事、ベーシックインカム、GDPR、信頼実行環境、シンギュラリティなどなど。

 最後の作品は、すべての国民を賄うだけの電力と食料が満たされた社会を描く。旧来の貨幣経済は意味を失い、新たな価値への転換を余儀なくされる。そこでは人々が生きていくうえで、何を目的にすべきかが問いかけられるのだ。

 惹句に「SFプロトタイピング(SFをプロトタイプにしてイノベーションを生み出すこと)の最高傑作」とあるが、本書はむしろ逆で、誤解の蔓延したAIの正しい意味を、読みやすいSFの形で物語化したものといえるだろう。

 専門家がノンフィクション内に置く物語は、(便宜上小説のスタイルをとっているだけなので)書割的で共感できないものが多い。一方、プロの作家だけで書くと、今度は自由すぎる作品になりがちだ(それはそれで面白くはあるのだが)。その点、本書は編著者と作家が綿密にコミュニケーションを取り、かつ作家もテクノロジーに精通しているため齟齬はほとんど見られない。お題があらかじめ定められた大喜利的な作品ではあるものの、どれも読みごたえ十分な小説になっている。

 本書はAIに関し(考えられうる)テーマを網羅している。その技術的な利点と限界、社会的な影響力と課題についても明記されている。プライバシー侵害や全体主義の恐怖を煽るものでもない代わりに、バラ色の未来にも多くの制約があることが分かる。ここで重要なのは、過度に悲観的になったり未来の可能性を摘むのではなく、難題を克服しながらいかにより良い明日へと繋げるかだ。SF作家が好むディストピア/アンチユートピアは避け、あえてポジティブな未来を描いたと陳楸帆もまえがきで述べている。

 本書の技術解説部分(各作品の末尾に置かれている)は李開腹により英語で書かれた。小説部分は、もともと陳楸帆により中国語で書かれ、翻訳チームで英訳されたものだ。日本語訳もその英訳版に依る。

劉慈欣『流浪地球』/『老神介護』KADOKAWA

The Wondering Earth,2013(大森望、古市雅子訳)

装丁:須田杏菜
装画:Amir Zand

 2013年に出た劉慈欣の海外読者向け自選傑作選を、中国語の原典(複数の短編集に分かれている)から翻訳した作品集で、もともとの1冊本を2分割し並べ替えたものだ。2冊併せて600ページに及び、11編の中編級作品が並ぶ。短いものが多かった作品集『円』とはその点が異なる。

流浪地球
 流浪地球(2000)太陽に異変の兆候が観測される。ヘリウムフラッシュを起こし、地球を焼き尽くす恐れがあるのだ。そこで人類は惑星丸ごとの太陽系脱出を決意する。
 ミクロ紀元(1999)相対論的時間経過により膨大な年月が経過した未来、最後の恒星間探査機が還ってくる。しかし帰還した地球は荒廃し、誰もいないように思われた。
 呑食者(2002)呑食者が来る! 資源を何もかもむさぼり尽くす巨大宇宙船が地球にやってくる。警告を受けた人類はある秘策に打って出るが。(「詩雲」の前日譚)
 呪い5.0(2009)個人的な怨恨から始まったコンピュータ・ウイルス「呪い」は、あるときそのパラメータを書き換えられ、恐るべき存在ヘと変貌する。
 中国太陽(2001)中国寒村の貧農だった主人公は、出稼ぎ先の都会で知り合ったある男との縁で、静止軌道に浮かぶ「中国太陽」で働くようになる。
 山(2005)突如現われた月サイズの異星船の重力で、海面は9100メートルも持ち上がる。チョモランマで友を失った主人公は、海山の頂を目指して単独登頂を試みるが。

老神介護
 老神介護(2004)空を埋め尽くす巨大宇宙船から降りてきたのは、人そっくりの老人大集団だった。しかも、彼らは自分たちが人類にとって「神」だと自称するのだ。
 扶養人類(2005)殺し屋が請け負った仕事は何とも奇妙だった。ターゲットは、極貧の浮浪者なのだ。それには「神」に続けてやってくる「兄」たちが関係していた。
 白亜紀往事(2004)白亜紀に文明化した恐竜たちは、その文明を支えるために、蟻たちとの共存が欠かせなかった。しかし、2つの文明は深刻な対立に至る。
 彼女の眼を連れて(1999)宇宙勤務が明け、地上休暇を取るときは他人の「眼」を連れていく。経費を節約するためだ。だが、今回の「眼」の持ち主はどこか変わっていた。
 地球大砲(2003)不治の病を治療するため長い人工冬眠から目覚めた主人公は、環境の激変に驚く。しかも、自分までが理不尽なリンチに晒される。一体何が起こったのか。

 前半の標題作「流浪地球」は、中国初のブロックバスター映画「流転の地球」の原作である(ただし、小説と映画は筋書きが大きく違う)。「白亜紀往事」「呑食者」(「詩雲」)、「彼女の眼を連れて」「地球大砲」「山」、「老神介護」「扶養人類」と設定を共通化した作品が多い。とはいえ、単純な続編やシリーズものではない。ユーモラスな「老神介護」とハードボイルドな「扶養人類」のように、作風をがらりと変えて読者を飽きさせない。登場する敵にも一工夫あって、たとえば呑食者は(人類からみて)最凶の天敵ではあるが、どこか憎めない弱さも併せ持つ。

 「中国太陽」は田舎の無学な農夫が、ついに宇宙(鏡面)農夫となる出世物語だが、(社会的な地位や財産など)ゼロからでもチャンスは掴めるという、本来の意味での中国の夢(チャイナ・ドリーム)ものといえる。「地球大砲」や「山」の主人公も、絶望に沈むのではなく同様の希望を抱いている。劉慈欣の魅力は、設定やアイデアの壮大さばかりではなく、その大きさに負けない未来への展望にあると再認識できる。

宝樹『三体X 観想之宙』早川書房

三体X 观想之宙,2011(大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳)

装画:吉安健一郎
装幀:早川書房デザイン室

 執筆当時はファンだった著者による、(劉慈欣公認)公式《三体》スピンオフ外伝。オリジナルの第3部『死神永生』(本書巻末にも要約がある)で明らかにされなかったさまざまな謎と、さらにスケールアップした宇宙の秘密が描き出される。

 第1部では、デスラインが広がりそこに程心らが飲み込まれたあと、プラネット・ブルーで生きる雲天明が、艾AAに三体文明に囚われた間に自分が行った裏切りを語るところからはじまる。三体人が人類にもたらした欺瞞の背後に自分がいたというのだ。さらに光明の〈霊〉との接触が語られる。第2部では雲天明が〈霊〉からの命を受け、捜索者として次元を縮退させる潜伏者の探索に乗り出す。最初に訪れたのは時の外にある小宇宙#647だった。

 もともとファン・フィクションなので、原典に準拠しながらも、そこで明らかにされなかった事件の背景や、その後日譚が書かれている。偶然めいたできごとが実は必然だったと知らされ、登場人物たちの運命が新たに描き直されるわけだ。

 しかし、本書の場合、その先のボスキャラ=統治者(マスター)が登場するのが面白い。〈霊〉と聞くと宗教的スピリチュアル系かと思ってしまうが、『幼年期の終わり』とか『スターメイカー』風のSF的な知性の上位概念なのである。

 ボスキャラの存在はオリジナルでも匂わされてはいた。本書を読めば(一つの解釈ながら)より明瞭になるだろう。全編を通じて物語というより説明に終始する感はあるものの、読み手を退屈させない手腕は、著者がデビュー前から備える確かな才能をうかがわせる。

 とはいえ「コーダ以後」の章はこの物語のスケールに反して、一転、ふつうの2次創作になってしまう。ファン・フィクションの必要条件なのかも知れないが、このあたりは善し悪しだろう。

武甜静・橋本輝幸・大恵和実編『走る赤』中央公論新社

装画:西村ツチカ、装幀:岡本歌織(next door design)

 中国の未来事務管理局(SFに関するエージェント活動や出版企画、イベントなどを運営する民間会社。SF専門の会社は世界的にも珍しい)の武甜静(ウー・テンジン)と、日本の橋本輝幸、大恵和実らが作品選定に協力して出た中国女性SF作家のアンソロジイ(つまり底本のないオリジナル作品集)である。作家、翻訳者(掲載順:立原透耶/山河多々/大恵和実/浅田雅美/大久保洋子/櫻庭ゆみ子/上原かおり)、イラストレータなど、ほとんどは女性が担当している。

 夏笳(1984)「独り旅」(2009)老人一人の宇宙船が、荒涼とした惑星に降り立つ。そこは、これまで旅してきた無数の惑星と同じ通過点に過ぎないと思えた。
 靚霊(1992)「珞珈」(2019)事故で実験用ブラックホールが不安定化、鎮めるには人間一人分の質量が必要だった。それを聞いた研究所の用務員は、とっさにブラックホールの境界に飛び込むが。
 非淆(1988)「木魅」(2021?)並行世界の江戸末期、漆黒の宇宙船が来航、宇宙人の異形の姿は木魅(こだま)と呼ばれるようになる。
 程婧波(ー)「夢喰い貘少年の夏」(2016)三重県の温泉旅館に、東京の大学に進学した少年が戻ってくる。少年はなぜか大きなリュックを背負っていた。
 蘇莞雯(1989)「走る赤」(2018)少女はオンラインゲームの中で作業員として働いていた。ところが、システムのバグにより、時間制限のある紅いお年玉くじと誤認識されてしまう。
 顧適(1985)「メビウス時空」(2016)事故で下半身不随となった主人公は、脳にチップを埋込み自身の代わりに動く副体を使うようになる。
 noc(1989)「遥か彼方」(2017)仮想世界の中に住む住人との出会い、世界の色の中に溶け込み、変身について話をし、白鳥座X-1へと意識が伝送されるなど、4つの掌編からなる物語。
 郝景芳(1984)「祖母の家の夏」(2007)引退した科学者である祖母の家は、見た目と中味が違う奇妙な家だった。そこでは画期的な発明が行われようとしていた。
 昼温(ー)「完璧な破れ」(2020)言語によって思想が左右されるのなら、新たな人工言語を創ることで、社会的な問題を解決することができるのではないか。
 糖匪(ー)「無定西行記」(2018)熱力学第二法則が逆転した世界、北京からペテルブルクまでの道路建設を夢見る主人公たちの物語。
 双翅目(1987)「ヤマネコ学派」(2019)ガリレオも加盟していた(三毛猫と猛獣との中間である)ヤマネコ学派は連綿と続いて、21世紀の現在でもその影響力を科学界に及ぼしている。
 王侃瑜(1990)「語膜」(2019)失われゆく少数派の母語を守るため、国語教師だった母は語膜と呼ばれる自動翻訳のプロジェクトに関わる。ただ、息子である少年には母の行動は理解できない。
 蘇民(1991)「ポスト意識時代」(2019)カウセリングに訪れた男は、自分の言葉が何ものかにコントロールされているのだと主張する。相手構わず喋るのを抑えることができないという。
 慕明(1988)「世界に彩りを」(2019)誰もが眼球に網膜調整レンズを入れて、視覚を拡張している未来、主人公だけは母親の希望で長い間手術が許されない。
 *:著者の生年と作品発表年を括弧内に記載

 郝景芳ら一部の作家を除けば、本書収録の作家は大半が30代で初紹介の新鋭である。なるべく多様に選ばれた関係もあり、アンソロジー全体でのテーマは特にはないが、傾向の似た作品2~3編ごとにハッシュタグ(#宇宙#ノスタルジー、など)が付けられていて、おおまかな内容把握ができるように工夫されている。

 冒頭の「独り旅」は滅びゆく世界と自分とを重ねた叙情的なお話、「珞珈」は小林泰三の「海を見る人」を思わせるブラックホールの時間遅延を扱った作品。「木魅」、「夢喰い貘少年の夏」はアニメの影響を感じる和風ファンタジイ、表題作「走る赤」や「メビウス時空」はある種のメタバースものといえる。他でもユーモラスな「祖母の家の夏」、ネット小説的でミニマムなイメージが連鎖する「遥か彼方」、逆転する時間「無定西行記」、架空の秘密結社が出てくる「ヤマネコ学派」と実に多彩。

 面白いのは「完璧な破れ」や「語膜」「ポスト意識時代」など、読後感が重い作品がすべて言語に関する物語である点だ。哲学的な考察と登場人物の心の揺れが違和感なく結びついている。これらにはテッド・チャンの(おそらく著者自身も認識する)影響がある。「世界に彩りを」は視覚をテーマに現代的な切り口を加えた心に残る作品である。