スタニスワフ・レム/スタニスワフ・ベレシ『レムかく語りき』国書刊行会

Tako rzecze Lem,2013(沼野充義監訳、後藤正子/菅原祥/水原槙子訳)

 文芸評論家/ジャーナリストのスタニスワフ・ベレシによる、スタニスワフ・レムとの対話/対談集である(2人は同名だが、スタニスワフは東欧では一般的な男子名)。本書『レムかく語りき』は、1987年に出た第1版(検閲による削除箇所がある)、2002年に出た第2版(前者の完全版+20年後の増補)、及びそれらを底本として修正された2013年の電子版があり、翻訳は最後のバージョンに日本読者向けの序文や、修正/要約が行われた新版である。これまでにドイツ語、ロシア語、ウクライナ語訳が出ているが、なにしろ長大な(2段組で700ページ近い)対話集なので、レム人気のない国では出せないだろう。日本での評価はこれらポーランドの近隣国と同等のものだといえる。

・失われざる時/──幼少期から戦時下の経験、さらに戦後の作家としての独り立ちまで
 幼少期を描いた『高い城』はまったく小説ではない。18歳の1939年、ルヴフでのソ連侵攻を目撃、占領下で医科大学に入学、その2年後にドイツの侵攻があって大学はなくなり修理工としての就業、ユダヤ人をかくまったこともある。「火星からの来訪者」を書く。ソ連の再侵攻がありクラクフへ逃避、蔵書などを失い医学生に復学、『主の変容病院』は執拗な修正を受け、初出版は『金星応答なし』だった。戯曲を書き、『マゼラン雲』を書く。
・蜘蛛の巣のなかで/──科学、文学、自己を紡ぐ
 小説は蜘蛛が巣を張るように書く、書いている時に全貌が見えているわけではない。『金星応答なし』『マゼラン雲』は低評価、『星からの帰還』も平板で嫌い。『宇宙飛行士ピルクス』も評価はしない。『エデン』は普通レベル、『インヴィンシブル』は少々控えめ、良い作品は『電脳の歌』で、『ソラリス』はしっかりしているが的外れの批評も山のようにある。『天の声』は全く悪くない。『GOLEN XIV』はとても気に入っている。『浴槽で発見された手記』の一貫した偏執狂的なヴィジョンは色褪せていない。論証的な本では『技術大全』があり、『偶然の哲学』では構造主義を批判している……。
・ゴーレム/──『GOLEM XIV』、およびレムとGOLEMの類似点について
 この本は他のどの本より苦労している。人間を超える知能が一人語りする話であるためだ。電話網に接続され全会話を傍受する次世代コンピュータも出てくる。「利他的で超越的な知性」と「人格的な存在」であることは両立しなくてもよい。この中で考察された思考実験は、その後の科学技術の進化により裏付けられたものが多い。
・映画への幻滅/──自身の作品の映画化と不満
 『金星応答なし』の映画は最低中の最低だった。タルコフスキーの『ソラリス』は単なる『罪と罰』である。ケルヴィンの家族や「ロシア」を登場させたのが(本書の意図とはまったく異なるから)ひどい。『主の変容病院』は事実に基づかない誇張に満ちている。
・好きも嫌いも/──文学の好み
 本を一冊だけというならラッセルの『西洋哲学史』を選ぶ。ベケットは嫌いだがドフトエフスキーは愛読している。O・ヘンリーは古いが職人技だ。最近の本ならホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』が私の考え方に近い。オーストリア文学には目がない。ボルヘスとは認識の本質についての立場が違う。ポーランド文学には目立つ巨峰はないが、個々には見るべき作品はある。(欧米の)SFはもう何も読めない、認識論的価値もない。ソ連ではストルガツキー、アメリカではディックを評価するがそれぐらいだ。読者の見識が低くなればなるほど、ストーリーの面白さばかりに注意が向けられる……。
・苦情と提案の書/──文壇へのレムの不満
 一冊上げるとするなら、『電脳の歌』には後世まで残ってもらいたい。とはいえ、ポーランド文学への貢献度はゼロだろう。国内評価でも、批評でも正当な位置付けができていない(特に科学的な視点については批評できた者がほとんどいない)。SFとの仲たがい(SFWAとの無益な論争)のてんまつ。ソ連でのたいへんな人気(読者だけでなく科学界でも人気だった)とポーランド国内での(特に公的機関の)冷遇とでは格差が大きい。
・文明の穴のなかで/──全体を見失った現代人
 ヨーロッパや世界の未来はどうなるか。レムの立場はカール・ポパーに近い。世界的な不安定化、西欧のエゴイズムが衰退を招く。遺伝子工学の進展がある。基礎研究を語らない未来学については否定的だ。あらゆることが投票で決まる民主より専門家による文明を支持したい。現代社会における宗教の役割について。「幸福」とは別問題だが、機械化が進み職の代わりに給付を得られるとしたら……。
・世界を解明する/──宇宙と人間の限界の彼方へ
 宇宙の起源、複数の宇宙、人格的創造者(神)は受け入れないが、宇宙の創造を完全なる偶然とするには説明が不足する。自然進化とエルゴード仮説。宇宙で同一の物理条件になるといっても人間中心主義にはならない。進化とは遺伝性プラズマの伝達過程で生じる誤謬の総和である。人類の進化の要因は言語の誕生だった。しかし言語至上主義の哲学には反対する。実験や経験に基づく経験主義こそが重要だ……。
・哲学的思索への情熱/──哲学に関する好みと自らの世界観について
 ヘーゲル、プラトン、さらにサルトルを批判。ショーペンハウアーのペシミズムはレムの世界観と合致する。ハイデガーは言語に土台を築いたが、それは簡単に変動してしまう。フッサールも(体系は違うが)同根である。その言語も含めて確率論のモデル(統計学)で考える。レムの見た当時の世界のありさま、文明や歴史に対する考察。最後は「理性」が重要。
二十年後 現場検証
 人間原理、膜宇宙、インフレーション理論、EPRパラドクス、ダークマター、生物の大絶滅、地球への天体衝突、気候変動、遺伝子組み換え食品、反グローバリゼーション、計算能力だけで人工知能は生まれない、遠隔授業より対面によるボディーランゲージが大事、仮想と現実の見分けのつかなさ、遺伝子解析、避妊と人工中絶の倫理、バイオ的な人工臓器、世界の人口増加。
総括──すなわち、万物は流転する
 自分が何に分類されるかに興味はないが、ポーランドでもいくらか評価はされるようにはなった。自分の創作と現実とを比較すると、カリカチュア風に歪んで現実化したものが多い。(逆説的な)「最良の社会」というのは鈍感で麻痺した社会のことで、その病因にいまでは(2002年)インターネットという依存症が加わっている。
あとがき──この素晴らしき時代
 『対話』や『技術大全』に書かれたことを現在からふりかえる。

 レビューの中で各章の要約を書こうとしたのだが、まともに書こうとするとこの倍の分量でも書き切れず、たとえ書いたとしても不完全なものに終わると分かったので、それぞれ触りだけにとどめている(GOLEMならぬAIを使っても、単なる省略になるだろう)。レムは日本ではあくまで『ソラリス』などを書いた作家であって、哲学や科学評論についてのレムは断片的な翻訳で知るしかなかった。ただ、レムに関しては非小説のウェイトが非常に大きいのだ。本書はベレシによるインタビュー集なのだが、レムの哲学/科学に対する視点をうかがう上で重要な論稿といえる。

 対談/インタビュー形式である以上、話の内容や順序が一貫しないのはよくあることだ。それは編集段階で修正される。しかし、レムの発言は雑談であっても蘊蓄があって、カットし辛いというのも理解できる。結果的に論点が次々と移り、無数の議論を内包した長大な対話が続く。読むのは大変だが、読み手を飽かせない重厚な内容ではあるだろう。

 (少なくとも評者が)全く知らないポーランドの哲学者や科学者、文学者たちへの言及が多い。レムは科学というグローバルな立場を取り、時には辛辣で批判的ではありながら、自身の文化的な背景を忘れてはいないのだ。その一方、レムを全く評価してこなかった自国の科学者や文学者に不満があり、ポーランドが世界的な研究にほとんど貢献してこなかった政策的な失敗を憂いている。そういう文化的な失政は日本とも似ているわけだ。

 なお、SFWA(アメリカSF作家協会)とのもめごとは、(英米SFの情報が多い)日本でもよく知られた事件である。アメリカ側で名誉会員に選んでおいて、過去の批判的な言動(その忖度のなさはともかく)を理由に作家会員がクレームをつけ、あげく除名したのだからアメリカ側の身勝手さは日本から見ても目に余ったが、その際のディックのおかしな発言が話題になった。この対談でも、冷静なレムが怒っていたのがよくわかる。