韓松は1965年生まれの中国作家。劉慈欣・王晋康・何夕と並ぶ“中国SF四天王”の一人である。といっても、長編が翻訳されたのはこれまで劉慈欣ただ一人にとどまっていた。本書は《医院(病院)》三部作の初巻になる。英語からの重訳だが、初期の英訳ドラフトに著者(英語を解する)が大幅に加筆したバージョンで、本国で出た中国語版とも異なるもの。英訳者マイケル・ベリーは、「病院」とは中国政治体制の暗喩と解釈している。とはいえ、本書を読んでもそういう政治的なイデオロギーは(なくはないが)あまり強く感じられない。もっとどろどろとした、得体の知れない迷宮が描かれている。
主人公は作詞作曲を副業とする公務員である。C市への出張も作曲関係の仕事だった。ところが、ミネラルウォーターを飲んだあと猛烈な腹痛に襲われ、ホテルの女性従業員に伴われ巨大な中央病院へと運び込まれる。待合ホールは壮大なだった。押し寄せる患者や物売りが混じり合い混沌としていた。そこから続く長い待機と診断、さらに長い検査予約、驚きの採血やレントゲン撮影、また次の検査予約と診断が出ないまま治療は果てしがなくなる。2人の従業員は、逃げ出してはいけないとばかりに傍らから離れない。
物語はプロローグ(火星に仏陀を探しに行く探査船のお話。ただし、この巻の本文とはつながらない)があって、病気、治療、追記:手術という3部構成から成っている。舞台の病院は、一つの建物ではなく都市全体が(もしかすると国家自体も)病院であることが分かってくる。病気は常態化され「健康であることは病んでいることであり、病んでいることは健康であること」なのだ。そこには多くの最新鋭の医療機器、医者と看護師、さまざまな病状の(何万人もの)患者たちがいる。
主人公の周囲の患者には、遺伝子改変措置を受けていたり、ネットと結合されていたり、百ものセンサーを移植しているものがいる。若い女性患者は「医者はどんなふうに死ぬのか」を求め、院内の建物を主人公とともに彷徨う。医療革命を唱え患者を意に介さないマッドサイエンティスト医師、患者を救うことこそ究極の目的と唱えるリーダー医師もいる。あらゆる科学が医療を支える《医療の時代》と称されるが、患者の中にはそんな病院支配から逃れようとする集団も現れる。
さて、本書はカフカなのかレムなのか、ディックのような病的強迫観念に憑かれた作品なのか。官僚組織を描く以上(融通が利かず賄賂がはびこる)不条理さは共通するものの、韓松が社会批判を主体に書いているとは思えない。この迷宮世界の中にあるのは、遺伝子工学などの生命科学や情報社会に対する哲学的、生命倫理的な問題定義といえる。著者は大病院特有(中国の場合町医者が少なく、病院に行かざるを得ない)の、大量の患者が延々待たされたあげく納得のいかない診断で済まされる現実を見て、この問題定義の舞台にふさわしいと考えたのではないか。入院経験の(まだ)あまりない評者には、いささか分かり難いところではあるが。
- 『宇宙の果ての本屋 現代中華SF傑作選』評者のレビュー