
装幀:山田英春
装画:Hortus Sanitatis,1491より
《ドーキー・アーカイヴ》の9作目(全10巻)。著者チャールズ・ウィリアムズは、C・S・ルイスやトールキンらのグループ〈インクリングズ〉に関わった重要な作家である。特にルイスの『かの忌わしき砦』や《ナルニア国物語》などに影響を与えたようだ(訳者解説)。しかし、既訳が半世紀前に翻訳された『万霊節の夜』(1945)のみの日本では、これまでほとんど知られてこなかった(『天界の戦い』(1930)が本書とほぼ同時に翻訳されたので、にわかに注目が集まっているのかも)。この作品が叢書に選ばれたのには、訳者40年来(京大幻想文学研究会当時から)の思い入れという理由もある。
ロンドン郊外の田舎町でバスが来るのを待っていた2人の青年は、見世物小屋から一頭の雌ライオンが逃げ出したと聞く。直後、とある邸宅で一人の男が襲われ倒れるのを目撃する。だが、なぜかそのライオンは堂々とした雄なのだった。男に怪我はなかったが、意識は回復せず奇妙な現象が起こるようになる。
舞台は執筆当時(1930年ごろ)の英国。登場人物は、文芸雑誌の青年編集者とその友人、スコラ哲学者アベラールを研究する女学者、蝶の収集に明け暮れるその父親、意識不明になった男は〈イデア〉の実現についての講演会を主催していたらしく、主張を信奉する複数の男女がいる。彼らは、ライオンだけでなく、巨大な蝶、王冠をいただいた蛇、鷲や馬を目撃するようになり、その力はついに世界へと物理的な影響を及ぼすようになる。動物の群れに見えたものは、プラトンの〈イデア〉なのであり〈本源的形相〉で〈力〉なのだった。
ウィリアムズはオカルティズムにも造詣が深く〈黄金の暁〉にも所属していたことがある。ただ、本書がオカルトの啓蒙書なのかと言えばそんなことはなく、実際刊行された当時は「神学的スリラー」「形而上学的ショッカー」などと称されていたらしい。スリラーにショッカーなのだから、あくまでもエンタメなのである。とはいえ、本書の中で登場人物たちはキリスト教神学やギリシャ哲学を交えた(予備知識は必要ないものの)衒学的な会話を繰り広げるので、我々がイメージするエンタメ小説とはかなり印象が異なる。
超自然的な〈力〉といっても、形而下的なクトゥルーなどとは対照的な存在なので、叢書《ドーキー・アーカイヴ》における特異な奇想性によく似合った作品といえる。
- 『缶詰サーディンの謎』評者のレビュー