日本ファンタジーノベル大賞2020の優秀賞となった作品(再スタートから4回目にして、初めて大賞は該当作なしとなった)。著者の岸本惟(きしもとたもつ)は2018年でも最終候補作に選ばれている。
主人公は天空族の若い女性で、大和族の町に住んで生活している。しかし仕事は上手くいかず、半ば引きこもるようにアパートの一室に逼塞している。ある日、そんな主人公に通訳の仕事が舞い込む。山奥に住む老人に、天空語の書き物の読み聞かせをしてもらえないかというものだった。
舞台の世界は現代の日本とほぼ同じ、スマホや自動車があり人々はふつうの生活をしている。そこに、天空族と呼ばれる人々もいる。もともと不思議な能力を持つ種族だったが、故郷である天空山での生活は不便で、いまでは山に住む者はいない。大和族と混じり合って麓の町でばらばらに生きている。天空族は緑がかった皮膚の色から、いわれのない差別を受けることがあった。町の生活に自信が持てなかった主人公は、町から離れた山荘で超常的な存在である龍と少年の姿が見えるようになる。
選考委員の中では、恩田陸が「雰囲気の良さは買うが、ファンタジーノベルにする必要があるのか」と疑問を呈するも、萩尾望都(今回で委員を退任)は「優しく、温かく、ちょっとさみしいところもある独特な雰囲気や世界観を持っている」、森見登美彦は「まるでスノードームの中にあるような閉鎖された小天地を作ることに作者は長けている」と評価している。ただし、主人公が消極的すぎて物語をドライブしていない点は、選評共通のマイナスポイントとして指摘されている。また、独自の文字や言語を持つ種族であるなら、(日本とは)異質の文化や社会を持っているはずだが、そのあたりもあまり明瞭に書かれていないのだ。
緑色の皮膚を持つ人間という設定は、ピーター・ディキンスンの書いた『緑色遺伝子』(1973)を思い出す。ディキンソンは明確に人種差別を扱った(ケルト人の肌が緑色になる)のだが、本書の場合、それは主人公の個人的な問題(肌が緑色であることで虐められる)として描かれる。本書の女性たちは極めて繊細だ。主人公は、知人のほんの一言に傷つき、老人の妻は幼い頃のトラウマに一生苦しむ。滅び行く天空族と大和族(現状の日本人)とが共存を模索する物語にはならず、自信を失った一女性の回復の物語であるのは、著者の視点がより個に寄り添っているからだろう。