円城塔『去年、本能寺で』新潮社

装画:山口晃 當世おばか合戦─おばか軍本陣圖 2001 カンヴァスに油彩、水彩 185×76cm(C)YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery
所蔵:高橋龍太郎コレクション/撮影:長塚秀人
装幀:新潮社装幀室

 本書は、新潮の2023年1月号から24年11月号に(おおむね)隔月に連載された11編の短編集である。シン歴史撃誕!と煽られてスタートした歴史連作小説なのだが「人間ならこんな法螺が吹けるぞ、お前には吹けまい、という気持ちです。もちろん、AIにも同じようなことはできるのでしょうが、それは誤生成として再教育の対象となる。本当の意味で法螺が吹けるのは人間だけかもしれません」(著者インタビュー)と円城塔がうそぶくように、意志なき嘘つきのAIをしのぐ、意図的フェイクに満ちた作品集となっている。

 「幽斎闕疑抄」軍事AI かつ文事AIとしても名高く『古今和歌集』の秘義伝授を受けた細川幽斎という存在。「タムラマロ・ザ・ブラック」8世紀、陸奥=蝦夷(ガリア)に侵略戦争を仕掛けた朝廷の征夷大将軍坂上田村麻呂は金髪の黒人だった。「三人道三」自身のやってきたことが親子2人分であったと光秀から知らされた斎藤道三は面白くない。本当は3人なのだが。「存在しなかった旧人類の記録」まだ文字もなく記録もない石器の時代に殺人事件が起こる。犯人は巨大な石斧を操る何ものかだ。「実朝の首」13世紀、源実朝は宋に渡ろうとして唐船を建造する。しかし、南都大仏殿再興勧進から記されるその歴史は「未来記」にすでに書かれている。「冥王の宴」爆発から始まる宇宙創成、地球創世の頃にまで遡るノブナガの歴史とは。「宣長の仮想都市」デジタルのデータセットとして重要なのは古態を残す『古事記』である。「天使とゼス王」日本人通訳としてザビエルに同行するアンジェロは本能寺を幻視する。同じころゴアの奴隷だった安寿にゼス王(キリスト)への帰依を説く。「八幡のくじ」主人公をくじで決め「義円」と決まる。そこから足利義教の物語が組み立てられていく。「偶像」善鸞は伝説のアイドル親鸞の実子でその再来だった。歌で教えを説くその技法と思想はとても異質なものだった。「去年、本能寺で」信長は死んでも滅びなかった。人気とともにさまざまな形で増殖し、そのありようは安定しない。

 歴史家は文献調査が基本で、書かれていないことを歴史と称することはできない。一方、作家は文献に書かれていない空白を捜し出し、そこを拡大解釈した異説で埋めて小説にする。円城塔の場合は、明らかな(トンデモな)フェイクを本当のことと取り混ぜて書いた。こうなると、何が史実なのかが逆に分からなくなる。

 細川幽斎の振る舞いが機械のようだからAIと見做し、都市伝説のような田村麻呂黒人説を持ち出し、漢字のルビを英語のカナ書きにしてみたり、東北をガリアに準えたり、登場人物が現代の知識を前提とした会話をし、AI(のような)本居宣長はデータ分析で古事記解釈をする。「未来記」があってこれは後生の歴史書なのだが、なぜか過去の登場人物の手元に既にある。かと思うと石器時代や、地球創世(地質的にも痕跡の残っていない冥王代)にまで視野は及ぶ。奇想に次ぐ奇想が襲来する円城ワールドが歴史小説に展開する。信長=ノブナガと本能寺が何度も登場するのが印象的だ。さて、新潮の読者はこれをどう読んだのか。AI時代のSFはこうなるのか、と喜んだのか/呆れたのか。