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バクスターの短編集下巻(もともと1冊の本を2分冊にしたもの)。本書では9編の短編が収められている。
お話は1万年後から始まり、400万年後のエピソードで終わる。全体の半分を占める7-9は、一つのエピソードになる。真空ダイヤグラムとは、無から生まれて無へと還る素粒子の世界を象徴する言葉(無から有ではなく、無から無)。後半の本書では、アイデアは文字通り桁違いにスケールアップされている。1巻目では主にさまざまな生命を描いたが、2巻目に至ると、重力定数10億倍世界(『天の筏』)―中性子星世界(『フラックス』)―4次元球世界と、描写の主体は世界に展開される。これらを舞台に選び、しかしあくまで“人間心理”を描こうとするところが、この作者のこだわりなのだろう。
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年一回の刊行で、年中行事のようになってしまった「覇者の戦塵シリーズ」最新刊。第11巻だが、前作は2001年の9月に上/12月に下が出て、今回は02年10月上/03年1月に下。上下巻をこれだけ空けて刊行する例も、少ないように思う。
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昨年11月刊行分。ロマンチック編とあり、いわゆるロマンティシズム(叙情性)を感じさせる短編を収録したもの。そもそもSFは“ロマンス”なのであるが、著者の作品には、ブラック・ユーモアやドタバタだけではなく、このロマンスが多く含まれている。例によって、発表年と単行本収録年は以下のとおり。
1は、後の『わたしのグランパ』(1999)あたりにも、その雰囲気を残す作品。6-10はショート・ショート、11は最初期の代表的な中篇になる。特に11は、その後の幻想的な作品の原点であり、このような形式で書かれることは二度となかったので貴重だろう。表題作は映画『渚にて』(1959)の影響を受けたもの。ある夏の日の夕方、空のかなたで小さな爆発が見える。その瞬間から、人々は不思議な眠気に誘い込まれる。目覚めることのない、放射能の眠りの中へ。物語は60年代の全面核戦争時代を色濃く反映している。この作品を読んで感じられる静寂感は、40年を経て昇華された恐怖そのものかもしれない。
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ブラック・ユーモア《未来》編。いまどきの“ブラック・ユーモア”は、どうも藤子不二雄Aのような作品を指すようだ。そういう意味では、本書でちょっと違う雰囲気を味わえる。ハッピーエンドではないけれど、残酷さ(酷薄さ)のない後味である。また、ドタバタも含まれるが、ドタバタ編の『近所迷惑』より古い時代の作品が収められているのが特徴。
『あるいは酒でいっぱいの海』に収録されたショート・ショートには、初期の習作ということで長年単行本化されなかったものも多く含まれていた。本書の1-4等だが、これらと5-6は、著者のファンジン
「NULL」に発表された最初期の作品である。たとえば「下の世界」の舞台は、ウェルズ『タイムマシン』の階層社会を思わせるもの。内容的にめずらしい短編だろう。徳間版自選短編集は、60-70年代作の占める割合が非常に高い。新潮社版が+10年後の熟成された作品を中心としているのとは対照的。そのため、小説自体の完成度よりも、(古びたものもあるけれど)アイデアの斬新さ、大胆さが際立って見える。 |
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ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの母親、作家のメアリー・H・ブラッドリーのアフリカ紀行。アリスというのは、当時5歳だった、アリス・シェルドン=ティプトリー(筆名)のこと。彼女は両親や博物学者カール・エイクリーと共に、南アフリカからゴリラ(マウンテンゴリラ)の棲息地までを探検する。白人女性としては、おそらく史上初の中央アフリカ紀行でもある(1922年ごろ)。
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英米SF受賞作特集。ノヴェレットクラスの中篇3作が掲載されている。ヒューゴー賞/ローカス賞のテッド・チャン、ネビュラ賞ケリー・リンク、スタージョン記念賞アンディ・ダンカンである。アメリカでも、雑誌の役割は、購読者数の減少もあって、過去に比べずっと縮小している(20年間で半減、もっとも部数の多いAsimov's誌でも約6万部に過ぎない)。書下ろしを集めたオリジナル・アンソロジイが主要舞台ではあるが、そういう単行本を継続して読み続ける人は雑誌時代より少数だろう。ウェブジン(オンライン雑誌)もあるとはいえ、中短編はSFの中でもニッチ分野となりつつある。
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