2003/2/2

スティーヴン・バクスター『真空ダイヤグラム』(早川書房)
Vacuum Diagrams,1997 小野田和子他訳
カバーイラスト:撫荒武吉、カバーデザイン:ハヤカワ・デザイン
 

 バクスターの短編集下巻(もともと1冊の本を2分冊にしたもの)。本書では9編の短編が収められている。

  1. 矮星を巡る巨大な構造物に埋め込まれた、ゲーデルの不完全性定理(10,515年)
  2. ジーリーの建造物<角砂糖>に潜むジーリー史の秘密(21,124年)
  3. 10億Gの重力世界で<筏>に住む人類の生きざま(104,858年)
  4. さまざまな形態に分化した人類と、再接触した艦隊(171,257年)
  5. 中性子星内に築かれた、奇妙な社会での冒険(193,474年)
  6. バリオン宇宙を老化させる、暗黒物質フォティーノの生命(4,000,000年)
  7. 戦いに敗れ、4次元球<殻>で細々と生き延びる人類の命運(4,101,214年)
  8. 4次元球世界からの出口を探す旅(4,101,266年)
  9. 出口を経て、この宇宙から未知の宇宙への脱出(4,101,284年) 

 お話は1万年後から始まり、400万年後のエピソードで終わる。全体の半分を占める7-9は、一つのエピソードになる。真空ダイヤグラムとは、無から生まれて無へと還る素粒子の世界を象徴する言葉(無から有ではなく、無から無)。後半の本書では、アイデアは文字通り桁違いにスケールアップされている。1巻目では主にさまざまな生命を描いたが、2巻目に至ると、重力定数10億倍世界(『天の筏』)―中性子星世界(『フラックス』)―4次元球世界と、描写の主体は世界に展開される。これらを舞台に選び、しかしあくまで“人間心理”を描こうとするところが、この作者のこだわりなのだろう。

bullet 『プランク・ゼロ』評者のレビュー
 

2003/2/9

谷甲州『ニューギニア攻防戦(上下)』(中央公論社)

カバーイラスト:佐藤道明、カバーデザイン:しいばみつお(伸童舎)
 

 年一回の刊行で、年中行事のようになってしまった「覇者の戦塵シリーズ」最新刊。第11巻だが、前作は2001年の9月に上/12月に下が出て、今回は02年10月上/03年1月に下。上下巻をこれだけ空けて刊行する例も、少ないように思う。
 かろうじて制空権を確保し、ニューギニアの惨敗を食い止めた日本軍は、連合軍の反攻を防ぐために、山脈北部に残された米軍拠点攻撃を準備する。輸送船攻撃用に改良された特殊潜航艇蛟龍、重機で確保されたジャングルの輸送路、山脈には対空監視哨を設け、海岸部の海兵隊を投入…。
 戦争は莫大な補給作戦で成り立っている。兵器は大量の弾薬を消費し、糧食が不足した兵士は(過酷な環境下で)瞬く間に消耗する。燃料供給、兵器の補修(兵士のリサイクルもある)、敵情の偵察と陣地の偽装、架空戦記では主役とならない“システム”が、本書ではむしろ主体を占めている。戦闘は最前線で起こるもので、戦争のほんの一部分にすぎない。総力戦というのは、結局システムの戦争なのだ。ここが非効率な国に勝機はない。史実で日本が敗れた原因はそこにある。本シリーズで形成された微妙な改変の結果により、少なくとも、無駄に人命が失われる無意味な戦闘(玉砕戦)は減少しているのである。ここまでがあって、ようやく圧倒的な(日米の)物量の差を前提とする架空戦争ものが、説得力を持って書けるようになる。

bullet 前作『ダンピール海峡攻防戦』評者のレビュー
bullet 覇者の戦塵に関するサイト
 

2003/2/16

筒井康隆『自選短編集4 睡魔のいる夏』(徳間書店)

カバーデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
 

 昨年11月刊行分。ロマンチック編とあり、いわゆるロマンティシズム(叙情性)を感じさせる短編を収録したもの。そもそもSFは“ロマンス”なのであるが、著者の作品には、ブラック・ユーモアやドタバタだけではなく、このロマンスが多く含まれている。例によって、発表年と単行本収録年は以下のとおり。

  1. わが良き狼(1969) 『わが良き狼』(1969)
  2. お紺昇天(1964) 『東海道戦争』(1965)
  3. 睡魔のいる夏(1962) 『あるいは酒でいっぱいの海』(1977)
  4. 白き異邦人(1967) 『にぎやかな未来』(1968)
  5. 旅(1968) 『アルファルファ作戦』(1968)
  6. 時の女神(1968) 『にぎやかな未来』(1968)
  7. ミスター・サンドマン(1967) 『にぎやかな未来』(1968)
  8. ウイスキーの神様(1962) 『にぎやかな未来』(1968)
  9. 姉弟(1962) 『にぎやかな未来』(1968)
  10. ラッパを吹く弟(1965) 『にぎやかな未来』(1968)
  11. 幻想の未来(1964) 『幻想の未来・アフリカの血』(1968)

 1は、後の『わたしのグランパ』(1999)あたりにも、その雰囲気を残す作品。6-10はショート・ショート、11は最初期の代表的な中篇になる。特に11は、その後の幻想的な作品の原点であり、このような形式で書かれることは二度となかったので貴重だろう。表題作は映画『渚にて』(1959)の影響を受けたもの。ある夏の日の夕方、空のかなたで小さな爆発が見える。その瞬間から、人々は不思議な眠気に誘い込まれる。目覚めることのない、放射能の眠りの中へ。物語は60年代の全面核戦争時代を色濃く反映している。この作品を読んで感じられる静寂感は、40年を経て昇華された恐怖そのものかもしれない。

bullet 『近所迷惑』評者のレビュー
bullet 『怪物たちの夜』評者のレビュー
bullet 『日本以外全部沈没』評者のレビュー
bullet 『わたしのグランパ』評者のレビュー
bullet 『東海道戦争・幻想の未来』評者のレビュー
 

筒井康隆『自選短編集5 カメロイド文部省』(徳間書店)

カバーデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
 

 ブラック・ユーモア《未来》編。いまどきの“ブラック・ユーモア”は、どうも藤子不二雄Aのような作品を指すようだ。そういう意味では、本書でちょっと違う雰囲気を味わえる。ハッピーエンドではないけれど、残酷さ(酷薄さ)のない後味である。また、ドタバタも含まれるが、ドタバタ編の『近所迷惑』より古い時代の作品が収められているのが特徴。

  1. 脱ぐ(1960) 『あるいは酒でいっぱいの海』(1977)
  2. 無限効果(1961) 『あるいは酒でいっぱいの海』(1977)
  3. 二元論の家(1961) 『あるいは酒でいっぱいの海』(1977)
  4. 底流(1961) 『あるいは酒でいっぱいの海』(1977)
  5. やぶれかぶれのオロ氏(1962) 『東海道戦争』(1965)
  6. 下の世界(1963) 『わが良き狼』(1973)
  7. うるさがた(1965) 『東海道戦争』(1965)
  8. たぬきの方程式(1970) 『馬は土曜に蒼ざめる』(1970)
  9. マグロマル(1966) 『ベトナム観光公社』(1967)
  10. カメロイド文部省(1966) 『ベトナム観光公社』(1967)
  11. 最高級有機質肥料(1966) 『ベトナム観光公社』(1967)
  12. 一万二千粒の錠剤(1967) 『アルファルファ作戦』(1968)

 『あるいは酒でいっぱいの海』に収録されたショート・ショートには、初期の習作ということで長年単行本化されなかったものも多く含まれていた。本書の1-4等だが、これらと5-6は、著者のファンジン 「NULL」に発表された最初期の作品である。たとえば「下の世界」の舞台は、ウェルズ『タイムマシン』の階層社会を思わせるもの。内容的にめずらしい短編だろう。徳間版自選短編集は、60-70年代作の占める割合が非常に高い。新潮社版が+10年後の熟成された作品を中心としているのとは対照的。そのため、小説自体の完成度よりも、(古びたものもあるけれど)アイデアの斬新さ、大胆さが際立って見える。
 

メアリー・H・ブラッドリー『ジャングルの国のアリス』(未知谷)
Alice in Jungleland,1927 宮坂宏実訳
カバー絵:森美和
 

 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの母親、作家のメアリー・H・ブラッドリーのアフリカ紀行。アリスというのは、当時5歳だった、アリス・シェルドン=ティプトリー(筆名)のこと。彼女は両親や博物学者カール・エイクリーと共に、南アフリカからゴリラ(マウンテンゴリラ)の棲息地までを探検する。白人女性としては、おそらく史上初の中央アフリカ紀行でもある(1922年ごろ)。
 ティプトリーが71歳で自殺してから16年、既に“伝説”以外の何者でもない作家(少なくとも、70年代のSF、及び20世紀のSFを、この作家抜きで語ることはできない)の見聞したアフリカが、その母の手によって描かれている。まあしかし、本書を楽しむためには、前提条件(ティプトリーという作家の作品と生涯の知識)を知っておく必要があるだろう。幸い、ティプトリーの主な著作は(全てではないが)まだ入手可能なので、これらを読んでから本書に目を通せばよい。
 本書を単独で読むと、80年前の「アフリカ探検」といった雰囲気がよく伝わってくる。自然に対する立場(銃で動物を狩りながら、一方自然保護を訴えている)に落差を感じるが、今日的な“環境保護”の概念が一般化したのは、つい最近のことなのである。
 20世紀のアメリカ(シカゴ)と、原初のアフリカをシームレスに生きたアリスに、どのような影響が及んだのかはよく分からない。 あくまでも、母親の見たアリスなのだ。あるいは、「愛はさだめ、さだめは死」といった、愛と死がシームレスにつながる物語に反映されているのかもしれない。

bullet アメリカ自然史博物館のサイト
このページはエイクリーのアフリカ探検をテーマにした常設展示(2F)。本書の探検行で収集されたゴリラの剥製なども含まれる。
bullet ゴリラ棲息地を紹介したサイト
本書でゴリラの山(ミケノ山、カリシンビ山)と書かれているのは、この記事中のキブ湖北東部のマウンテンゴリラ棲息地に相当。
bullet 『老いたる霊長類の星への賛歌』評者のレビュー
bullet 『たった一つの冴えたやり方』評者のレビュー
bullet 『SFマガジン1997年12月号』 (ティプトリー特集)評者のレビュー
bullet 短編集『愛はさだめ、さだめは死』の解説(大野万紀)
ティプトリー(アリス)のその後の人生が書かれている。

2003/2/23

『SFマガジン2003年3月号』(早川書房)

表紙イラストレーション:ボブ・エグルトン

 英米SF受賞作特集。ノヴェレットクラスの中篇3作が掲載されている。ヒューゴー賞/ローカス賞のテッド・チャン、ネビュラ賞ケリー・リンク、スタージョン記念賞アンディ・ダンカンである。アメリカでも、雑誌の役割は、購読者数の減少もあって、過去に比べずっと縮小している(20年間で半減、もっとも部数の多いAsimov's誌でも約6万部に過ぎない)。書下ろしを集めたオリジナル・アンソロジイが主要舞台ではあるが、そういう単行本を継続して読み続ける人は雑誌時代より少数だろう。ウェブジン(オンライン雑誌)もあるとはいえ、中短編はSFの中でもニッチ分野となりつつある。
 テッド・チャン「地獄とは神の不在なり」は、天使が天変地異のように降臨すると、奇跡が起こり、人々に治癒や障害をもたらす社会。不可解な理由で、地獄や天国に魂は召され、因果関係は誰にも分からない。本編で描かれるのは、“奇跡”の意味を捜し求める人々の姿である。この極めて宗教的な世界を、テッド・チャンは全く非宗教的に(客観的現実として)描き出す。その落差が強烈な印象を残す。
 ケリー・リンク「ルイーズのゴースト」は、主人公ルイーズと、同名の友人ルイーズ(ややこしい)が織り成す幽霊撃退騒ぎを描く。登場人物の名前にしてもそうだが、お話は不思議なリズムとユーモアに彩られている。ファンタジイというより、ちょっと奇妙な都会小説風。
 アンディ・ダンカン「主任設計者」は、ソビエト時代のロケットの父セルゲイ・コロリョフと、その弟子アクショーノフの物語である。あまりに貴重な人材のため、本名さえ秘密にされ“主任”としか呼ばれなかったコロリョフ。彼は部下たちから、絶対的な信頼を得ていた。しかし、主任の突然の死後、宇宙開発は困難に直面する。ソ連時代のロケット開発の栄光と挫折、そしてまた昔日の輝きを失ったかに見える、宇宙開発そのものの盛衰を描き出した好編。とはいえ、史実の解釈(想像部分多数)がメインなので、SF的仕掛けはほとんど見られない。

bullet LOCUS誌のテッド・チャンインタビュー
bullet ケリー・リンクのサイト
bullet アンディ・ダンカンのサイト
「主任設計者」のオンライン版も読める。
bullet ソビエト宇宙開発を紹介するサイト
bullet ソビエト宇宙船のミッションが紹介されているページ(NASDA)
    

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