劉慈欣『円 劉慈欣短篇集』早川書房

刘慈欣科幻短篇小说集Ⅰ&Ⅱ,2015(大森望、泊功、齋藤正高訳)

装画:富安健一郎
装幀:早川書房デザイン室

 著者自身が日本向けに編んだ自選短編集である(底本は著者の短編全集のようだ)。1999年のデビュー作「鯨歌」から、第50回星雲賞海外短編部門受賞作で日本でも好評を得た「円」までの13編を収める。

 鯨歌(1999)南米の麻薬王は密輸を目的に一人の科学者と接触する。麻薬探知の技術が進み、並の方法では突破できないからだ。科学者はクジラを使う奇策を提案してくる。
 地火(1999)かつて炭鉱の街で育った男が、石炭ガス化プロジェクトの実証実験のために帰ってくる。それは事故や粉塵にまみれた過酷な探鉱労働を一掃するはずだった。
 郷村教師(2000)* 貧しい農村出身の教師は、村の教育のために身を捨て打ち込むが、成果はなかなか現われない。だが、子供たちに伝えたある教えが思わぬ結果を生む。
 繊維(2001)米国人パイロットが訓練から帰還中に未知の空間に迷い込む。そこは繊維乗り換えステーションと呼ばれ、見える地球はぜんぜん地球らしくなかった。
 メッセンジャー(2001)名声を博した老科学者がヴァイオリンを弾いていると、いつも一人の青年が聞いている。青年には不可思議な能力があるようだった。
 カオスの蝶(2002)* ほんの小さな変動が大きな気象変化を生じる。カオス理論を応用することで祖国を救えるかも知れない、そう考えた主人公は大胆な行動に出る。
 詩雲(2003)* 恐竜文明の食料に堕した人類だったが、より高位な神に近い文明と接触することで転機が訪れる。それは古代の詩なのだった。
 栄光と夢(2003)* 戦乱と制裁により疲弊した国で、かつてのスポーツ選手たちが集められる。彼らはある競技会に参加するらしいのだが、その目的は驚くべきものだった。
 円円のシャボン玉(2004)乾燥化が進み、砂に埋もれようとする辺境の都市で育った娘は、やがて巨大なシャボン玉を生成させる技術を開発する。
 二〇一八年四月一日(2009)遺伝子改造により、人は300歳まで生き延びることができた。それを享受できるのは一部の金持ちだけだ。主人公はヒラ社員だったが、上手く画策すれば金はなんとかなると考えた。
 月の光(2009)主人公の男に未来から電話が架かってくる。将来の地球の運命に関わる重大な内容なのだという。しかも、話しているのは未来の自分だと称している。
 人生(2010)母親が、胎内で育つ赤ん坊と会話をしている。しかし、その子は母親のことなら何でも知っているのだ。
 円(2014)燕の国から降伏のしるしを献上した使者は、秦の始皇帝に対して天の言葉を伝える「円」の秘密について語る。それを極めるためには300万人の兵士が必要なのだ。
 *:初訳。他も改訳あり。

 デビューからといっても1999年から2014年まで、15年のスパンである。その間日本は停滞していたが、中国は激変した。1999年での中国のGDPはアメリカの1割足らず、2014年時点ではその10倍、6割に達している(2020年では15倍、7割)。日本がアメリカの1割だったのは1960年頃のこと、最初期作はそのイメージで読むべきだろう。「地火」や「郷村教師」で描かれる地方の厳しさや困窮ぶりは、閻連科や残雪らの作品とも共通する。日本でも1960年前後、昭和30年代の田舎生活は決してバラ色ではなかった……といっても、現代からは想像は厳しいかも。ちなみに、日本が1960年比でGDP10倍となったのはバブル末期の1995年である。

 ユーゴスラビア紛争や湾岸戦争を間接的な題材とした「カオスの蝶」や「栄光と夢」は、欧米先進国とは反対側(敵側)で暮らす、一般庶民の苦悩を語るという(われわれから見て)ユニークな作品だ。背景に圧倒的な力の差があるにもかかわらず、公正さがあるように取り繕う国際社会への批判も込められている。

 一方、地球環境問題を扱う「円円のシャボン玉」や、遺伝子改変にまつわる「二〇一八年四月一日」「人生」は最新のトレンドに乗っている。未来の自分が現在の自分に干渉する話はさまざまにあるものの、「月の光」は環境をコントロールする困難さを描いてスケール感がある。「繊維」はラファティ調のマッドな平行宇宙もの。100万ゲート相当のLSIを描く「円」は中国ならではの題材の勝利である。一方「詩雲」は文字通り詩的な物語で、詩で作られたクラウドが登場するのだ。