チャン・ガンミョン『極めて私的な超能力』早川書房

지극히 사적인 초능력,2019(吉良佳奈江訳)

カバーイラスト:植田りょうたろう
カバーデザイン:川名潤

 『韓国が嫌いで』(2015)などの邦訳があるチャン・ガンミョンの、これは初SF短編集である(この書名は初版時のもの、改訂版では『アラスカのアイヒマン』になっている)。著者は1975年生まれ、2011年に単行本デビューし、これまでに多くの文学賞を受賞した注目の作家だ。SFはデビュー前から幅広く読んでいたようで、ベーシックなSFに対するオマージュと、先端サイエンスのトレンドに対する感性とを兼ね備えた親しみやすい内容である。

 定時に服用してください:薬を飲むことで生じる特別な感情、それは個人的な倫理を損ねてしまう問題だった。
 アラスカのアイヒマン:アラスカに設けられたユダヤ人自治区では、アウシュビッツの責任者アイヒマンが裁かれ〈体験機械〉にかけることが決められる。
 極めて私的な超能力:彼女には予知能力があった。未来が見えるというより、何となく分かるのだという。
 あなたは灼熱の星に:宇宙開発がスポンサー付きの民営に代わった時代、金星の探査を舞台にしたリアリティショーで新企画がはじまる。
 センサス・コムニス:政治家が群がるほどの人気がある世論調査会社には、その根拠となるデータの収集方法に秘密があった。
 アスタチン:木星・土星圏を統治する独裁者アスタチンは、死後に自分と同じ遺伝子を持つ人間を複数復活させ、殺し合いに生き残ったものを次期総統とするようルールを定めた。
 女神を愛するということ:恋人がほんものの神だとしたら、別れを切り出して無事に済むのだろうか。
 アルゴル:宇宙開発史上最悪の事故は3か所同時に起こった。原因となったのは3人のアルゴルたちである。
 あなた、その川を渡らないで:森の中に男と女が住んでいた。男は毎夜悲しい夢を見るのだが。
 データの時代の愛(サラン):映画館で出会った女と5歳年下の男はお互い惹かれ合うが、データ上決して関係が長続きしないと告げられる。

 「アラスカのアイヒマン」は実在したアラスカのユダヤ自治区計画と、記憶の移植が刑罰たり得るかを組み合わせた、ある意味とてもイーガン的な物語である。中編級の長さがあるが、観念的なテーマの追求に大半を費やしている。「あなたは灼熱の星に」では脳と体の認知問題、「アスタチン」は対照的にスーパーパワーを備えた超能力者同士のバトルもの。「センサス・コムニス」は著者の新聞記者時代の体験に、東浩紀『一般意志2.0』を批判的に採り入れている。

 このあたりは著者自身による作品解題に詳しい。伴名練じゃなくてハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン』、『テンペスト』、前述のユダヤ人自治区を舞台にした『ユダヤ警官同盟』や、『バトル・ロワイヤル』『不死販売株式会社』から『虎よ、虎よ!』など幅広い海外作品からの影響も理解できるだろう。

 既訳の韓国SFの諸作は、どちらかといえば現代文学に寄っているように思われる。その傾向は日本の若手作家でも同様だ。本書でも(特に短い作品に)その要素はあるのだが、よりSF的なアイデアに物語を寄せている点をかえって新鮮に感じる。「データ時代の愛(サラン)」は冷酷なデータに警告されながらも、愛という激しい感情に翻弄される主人公が人間的で印象深い。