6編を収める著者の最新作品集。『アメリカン・ブッダ』に続く2年ぶり、2冊目の短編集となる。主にSFマガジンに掲載されたものだが、表題作(中編)のみ書下ろしである。
オンライン福男(2021)コロナ禍でバーチャル空間に移った十日戎の行事は、いつしか独自の発展を遂げて伝説を作るまでになった。
クランツマンの秘仏(2020)公開不可の絶対秘仏の正体を解明しようとするクランツマンの執念は、信じがたい奇妙な現象と関係していた。
絶滅の作法(2022)地球の生物が絶滅した後、異星の知的生物が、再現されたコピー東京の情報移民として日常生活を営んでいる。
火星環境下における宗教性原虫の適応と分布(2021)地球には4000種にも上る宗教性原虫が存在する。火星ではどうか、そのライフサイクルや進化史を概説していく。
姫日記(2018)美少女ばかりの電脳戦国時代に降り立った軍師は、眼鏡っ娘の毛利元就を天下人にすべく、リセットを多用しながらも奮闘する。
走馬灯のセトリは考えておいて(書下ろし)死者をデジタルで甦らせるライフキャスターが、余命僅かの老婆から、かつて自分が演じたバーチャルアイドルを復活させたいという依頼を受ける。
まず「異常論文」が2作。「クランツマンの秘仏」は、三重県の秘仏に執着するスウェーデン人と、“信仰の重さ”が組み合わさるノンフィクション風。「火星環境下における宗教性原虫の適応と分布」は、火星に生息する原虫と宗教(主にキリスト教)との関係を、より論文調(生物学というより文化人類学風)に描き出す。後者はアンソロジイ『異常論文』に収録されたもの。
他の作品もひと工夫があり、「絶滅の作法」はリアルはロボットで、中の人は情報だけの存在だし、「オンライン福男」や「姫日記」はVR(あるいはゲーム)空間で起こった事件を外から描くルポ風である。どちらも視点を1歩後ろに引いた物語(明らかにフィクションなのに、ノンフィクションを装う)なのだ。より客観的で理屈をつけやすいが、反面登場人物への共感を阻むスタイルともいえる。
しかし、同じ題材を扱いながら、表題作は登場人物の内面に踏み込んでいる。この作品は“推し活”の物語でもある。届木ウカは、
アイドルを推すことは生身の人間を偶像化することであり、生きた人間の一側面を誇張して神格化するということは仮想的な他殺といえます。
と、宗教性すら帯びたその意味を解説する。ポジティブで明るいバーチャルアイドル(偶像化)と、人間的な苦悩を抱える中の人(人格的に殺された存在)との対比が、“引く”のではなくむしろ“押し”で描かれている。著者の新境地なのかもしれない。
ところで、表題は走馬灯の(ように記憶が駆け巡る臨終のとき)セトリ(=セットリスト、流す曲の順番)は考えておいてほしい、という意味でしょう(意味不明との感想を散見するので)。
- 『アメリカン・ブッダ』評者のレビュー