キム・ボヨン『どれほど似ているか』河出書房新社

얼마나 닮았는가,2020(斎藤真理子訳)

装幀:青い装幀室
装画:Seyoung Kwon

 著者はチャン・ガンミョンと同じ1975年生まれの、韓国を代表するSF作家のひとりである。評者が3年前に『わたしたちが光の速さで進めないなら』を紹介した際に、

ジェンダーや人種・社会階層・民族差別、貧富の差、LGBTなどのマイノリティーへの共感など、社会問題が関わっている。アレゴリーというより、もっと直截的にメッセージを届ける道具としてSFが使われている

と書いたのだが、そういう韓国SFの原点となった作家が本書のキム・ボヨンなのだ。

 ママには超能力がある(2012):あなたは「超能力がない人なんて、この世にいない」と返してくる。わたしはあなたの実母ではないけれど、ふたりの話はかみ合わない。
 0と1の間(2009):タイムマシンなんてありえない。でも、受験戦争に明け暮れる子供の母親は、0と1の間の量子状態からタイムマシンを作ったと称する女と出会う。
 赤ずきんのお嬢さん(2017):スーパーに入ってきたお客を見て誰もが驚愕する。それだけではない。買い物を済ませ街を歩いても、タクシーに乗っても人だかりができる。
 静かな時代(2016):ふつうなら立候補もできなかった人物が大統領に当選する。マインドネットが要因だった。世論を誘導してきた認知言語学者は、その経緯を振り返る。
 ニエンの来る日(2018):家族に会うために、主人公はニエンが現れ騒々しい駅に赴いた。ここから出る列車は、堯舜時代の科学魔術師が創ったのだ。
 この世でいちばん速い人(2015):超人〈稲妻〉は、圧縮された時間の中で自在に動くことができる。現場で人命救助すると〈英雄〉になるが〈悪党〉とは紙一重だ。
 鍾路のログズギャラリー(2018):〈稲妻〉がテロ犯として悪党認定される。超人は社会的に差別を受ける。主人公は能力が分かっていない〈未定〉なのだった。
 歩く、止まる、戻っていく(2020):家族があちらこちらのタイル(時間)に散在する。時間は流れるものではない、広がるものなのだ。
 どれほど似ているか(2017)
:土星の衛星タイタンに救助に向かう宇宙船で、緊急用の人間型義体が覚醒する。しかし、目的としていた重要情報が欠落していた。
 同じ重さ(2012):農業日記に挟まれた主人公の独白。自分はあたり前なのか、そうではないのか。

 「ニエンの来る日」は、中国WEBジンでケン・リュウ「宇宙の春」と同じ号に載った、春節を扱った作品。「この世で一番速い人」「鍾路のログズギャラリー」はDCのフラッシュをイメージする、ちょっと哀しいヒーローもの。他の作品は、血のつながらない親と子、過酷な受験戦争、男女の格差、繰り返される政変と選挙、さらにはアスペルゲンガーと、最初に引用した「直截的にメッセージを届ける道具」を反映している。メッセージは強引ではないので、抵抗感なく腑に落ちる。

 冒頭で明らかになるのだが、表題作の中編「どれほど似ているか」はAIの一人称小説である。しかし、この「どれほど」は「どれほど(AIは人間と)似ているか」という意味ではないのだ。AIは肉体を得たことで、論理的ではない意識が目覚める。宇宙船内では救助の進め方について意見が分かれている。一部の乗組員は肉体を得たAIを拒否、船長とも対立する。いったい何を恐れているのか。やがて、AIと人間の間よりも、もっと深い谷が明らかになる。