もし、14世紀末からの李氏朝鮮の時代に蒸気機関がもたらされていたらどうなるか。本書はそれを共通設定として、5人の作家が短編を書き下ろしたアンソロジーである。大上段に構えた改変歴史ものではなく、登場人物にフォーカスするシェアードワールド(スチームパンク朝鮮年代記に基づく競作)的な要素を強く感じる内容だ。
チョン・ミョンソプ「蒸気の獄」1544年、王(中宗)が亡くなり廟号を巡って宮廷内の保守派と改革派が対立する。改革派は蒸気の利用拡大を提唱する派閥だったが、25年前の蒸気の獄で粛清されたのだ。記録を記す史官の主人公は、その真相を探ろうとする。
パク・エジン「君子の道」1537年、下級官吏の奴婢の子だった語り手は、宮廷の権臣が失脚するのに伴い運命が大きく変転する。しかし機工の腕を磨き、伝説の都老(トロ)と出会うことで驚くべき発明を成し遂げる。
キム・イファン「朴氏夫人伝」1644年、主人公は伝奇叟(物語の語り売り)である。伝承を語るのが仕事で、創作したオリジナルの話をしてもあまり受けない。ある日都老と出会い、山中の鍛冶場に赴くよう勧められる。
パク・ハル「魘魅蠱毒」1760年頃、獄死した呪術師は、蟲毒を隠し持っていたらしい。その流れ者の道士には子どもがいて、全く口をきかなかったが何かを伝えようとしているのだった。
イ・ソヨン「知申事の蒸気」1799年、李祘(イ・サン)に仕える有能な部下、洪国栄(ホン・クギョン)は蒸気で動く汽機人である。記憶を持たない状態で発見され、現王と共に教育されたのだ。
スチームパンク朝鮮年代表:1392年から1875年に至る仮想歴史年表。
朝鮮王朝(李氏朝鮮)は1392年に高麗王朝に代わって成立、大韓帝国を経て大日本帝国に併合される1910年まで500年余り続いた朝鮮半島の統一王朝である。韓流歴史ドラマでもお馴染みながら、全貌までは知られていないだろう。その歴史では、守旧派改革派による内部抗争、中国の明や清王朝との軋轢、日本の秀吉による侵略、19世紀には欧米露日との駆け引きなど、さまざまな局面があった。本書の場合、最初期から都老と呼ばれる蒸気駆動の人間が見え隠れする。
とはいえ、本書で描かれる世界は、従前からある西欧的/ヴィクトリア朝的なスチームパンクと全く異なっている。朝鮮王朝の史実を巧みに置き換え、背景に溶け込ませる手法をとる。複雑な宮廷内権力闘争を蒸気派と反蒸気派という視点で明確化し、暴力が横行する(人権のない)奴婢が解放の手段に蒸気機構を用い、あるいは汽機人=非人間に政治の冷徹さを重ねるなど、着眼点が一味違うのである。
なお、このスチームパンク朝鮮年代記には、他にパク・エジンによる長編『명월비선가』(2022)もあるようだ。
- 『最後のライオニ 韓国パンデミックSF小説集』評者のレビュー