河野裕『彗星を追うヴァンパイア』/穂波了『月面にアームストロングの足跡は存在しない』(KADOKAWA)

装画 syo5
装丁 川谷康久

 著者の河野裕には、新潮文庫nexの《階段島シリーズ》、《架見崎シリーズ》などの人気シリーズがあるが、『彗星を追うヴァンパイア』小説 野性時代に連載された「ファンタジーであり、科学小説であり、歴史小説でもある」とするノンジャンルの意欲作だ。

 17世紀のイングランド、数学に憑かれた一人の青年がいた。青年はデヴォン州トーキーの成上がり貴族の養子だったが、多勢に無勢の反乱軍との戦いを得意の計算で切り抜けようとする。そこで、一人の不死人ヴァンパイアに助けられるのだ。

 青年はケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのアイザック・ニュートンに師事している。当時ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』(プリンピキア)を執筆中だった。この時代のニュートンの来歴や、ジェームズ2世の王権を巡る権力闘争が物語の背景にある。一方、ニュートンは膨大な量の錬金術研究をしていたことが知られている。そこに天文学を研究する女性(当時のケンブリッジは女性科学者を認めていなかった)と、ヴァンパイアの秘密(不死性)を解き明かす物語が付け加わる。

 この小説の視点は面白い。なぜニュートンが錬金術を研究したのかというと、それが未知の「自然現象」と思われたからだろう(しかし、結局解明できなかったので、プリンピキアのような論文にはならなかった)。17世紀と現在とでは科学とオカルトの境界は異なるのだ。そこにオカルトの極みともいえるヴァンパイアを加味し、敵対者などの虚構キャラや政治的な史実を取り混ぜる。日本作家が書くテーマとしてはとてもユニークといえる。

 ただ、名誉革命につながるジェームズ2世や、個性の強い研究者ニュートン当人まで登場となると、本来の主役(虚構)のヴァンパイアや無名の主人公、初の女性科学者らの影が薄いと感じる。史実のキャラが強すぎるからだ。天文(彗星)から生物(ヴァンパイア)まで、対象となる学問領域も(科学が分化する前ではあるが)広すぎるように思う。題材的にやむを得ないとはいえ、バランスがちょっと気になった。

装画 K, Kanehira
装幀 原田郁麻

 穂波了『月面にアームストロングの足跡は存在しない』は、第7回アガサ・クリスティ賞を『月の落とし子』で受賞して以来、4年で6冊目の著作になる。受賞作と同様NASAの宇宙計画が発端となるが、本書は完全な宇宙ものだ。月に人間を送り込むアルテミス計画を舞台とした近未来サスペンスである。

 月周回軌道を回るゲートウェイ(宇宙ステーション)に搭乗する6人のクルーに、NASAから突然の指令が下る。人類初の有人月着陸は実は行われておらず、アームストロングの足跡はフェイクだった、そのため今回のミッションで秘密裏に足跡を付け直せというのだ。実施すべきか真相を公表するか、クルーの意見は割れる。

 といっても、本書は陰謀論もの(月着陸はなかったなど)ではない。思わぬ宇宙事故が発生し事態は二転三転、危機また危機が到来するというクリフハンガーからの脱出劇である。こんなメンバーに任せて良いミッションなのか、こんな事故を事前に仕組めるのかなど、展開は読者の想定を超える。もっとも、トランプ政権+ウクライナ侵攻のロシアをディストピア的に敷衍した近未来なのだから、どんな事でも起こりうるのかもしれない。

 それでも、今どきの救出ミッションを描くにしては、登場人物の価値観を含めクラシックな印象を受ける。民間人の女性キャスターや、JAXAの男女クルーが同乘するなどの新しさはあるものの、アポロ宇宙船が飛んでいた冷戦期の宇宙ものを思わせる。