ベッキー・チェンバーズ『ロボットとわたしの不思議な旅』東京創元社

A Psalm for the Wild-built,2021 / A Prayer for the Crown-Shy,2022(細美遙子訳)

カバーイラスト:丹地陽子
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 ベッキー・チェンバーズの《修道僧とロボット・シリーズ》のノヴェラ(中編)2作を、日本オリジナルでまとめたものである(今のところ、この2作しか書かれていない)。最初に書かれた「緑のロボットへの賛歌」は2022年のヒューゴー賞ノヴェラ部門ユートピア賞(アンドロイドプレスが主催)を、次作の「はにかみ屋の樹冠への祈り」は2023年のローカス賞ノヴェラ部門をそれぞれ受賞している。

 緑のロボットへの賛歌:都会の修道院で働く修道僧デックスは、突然思い立って喫茶僧になる。ワゴン車に乗り各地を巡る旅の仕事だった。やがて失われた修道院の存在を知り、未整備の荒野へと進路を変える。そこで、ロボット・モスキャップと出会う。
 はにかみ屋の樹冠への祈り:〈目覚め〉以降、ロボットが人と接触した例はない。デックスと同行するモスキャップは訪れる村々で大歓迎される。森林、河川、沿岸、灌木地帯とさまざまな人々がいたが、目的が定まらない旅で主人公は疑問を抱くようになる。

 いつの時代か分からない未来、世界は縮小し大半の人々は村落に住んでいる。ロボットが目覚め=意識が生まれ、人との接触が断たれて以来、長い時間が経っていた。この世界では社会的な上下関係がなく、規制は緩やかで何事も強制されない。お金の代わりに、奉仕と感謝の単位が貨幣相当となっている。一方、限定されてはいるがテクノロジーは残っている。太陽光パネルやポケットコンピュータ、通信衛星もある。喫茶僧のワゴンは電動アシスト自転車で動く。物語の舞台は、ある種のユートピアなのである。持続可能かどうかは分からないが、社会的な考察は本書の目的ではないだろう。

 見かけが1950年代のブリキロボット風のモスキャップは、嫌われない(が面倒くさい)キャラとして描かれる。ただ「人に何が必要か」を聞いて回る様子は、その意図がよく分からず主人公の困惑を招く。ロボットとの二人旅は、自分にとって何の役に立つのかと思い悩む。

 さて、チェンバーズの『銀河核へ』を含む《ウェイフェアラー》は、ホープパンクであるらしい。他の代表作としてメアリ・ロビネット・コワルの『宇宙へ!』とか、「ハリーポッター」や「怒りのデスロード」などが挙げられている。とすると、ホープパンクとはディストピア的な状況を打破し、未来への希望を能動的/積極的に獲得するカテゴリーのようだ。しかし、本書では「ちょっと休憩が必要なすべての人に捧ぐ」(本文献辞)なのだから、むしろ受動的だろう。使命感に駆られる必要はなく、何のためとか誰かのためとか考えず、そのままの自分であれば良い、と穏やかに説いている。