飛浩隆『鹽津城』河出書房新社

装丁:川名潤

 初期作やエッセイなどを収めた『ポリフォニック・イリュージョン』(2018)を除けば、『自生の夢』(2016)以来、飛浩隆8年ぶりの第3短編集となる。本書の収録作6編は、群像や文藝、あるいは西崎憲の関わるアンソロジーなど、ほとんどが純文系の媒体に発表されたものだ。

 未(ひつじ)の木(2020)単身赴任中の妻に、夫から結婚記念日の贈り物が届く。大きな植木で、贈り主そっくりの花を咲かせるのだという。それも、顔だけでなく全身の。
 ジュヴナイル(2019)こども食堂にやってきた転校生は、語りだけで料理の味を変容させる力を持っていた。その子はノートにびっしりと書き込みをしている。
 流下の日(2018)現首相が政権に就いて40年が過ぎ、日本は奇跡的な復活を遂げた。主人公はかつての上役が住んでいた、二二災の現場でもある村を再訪する。
 緋愁(ひしゅう)(2021)県道を占拠する緋色の集団。退去勧告に赴いた土木事務所の職員は、赤い布を巻く行為は世界をゆがめる電波を排するためだと聞く。
 鎭子(しずこ)(2019)うみの指に侵蝕される饗津(あえず)に住む志津子と東京で仕事をする鎭子、それぞれが年下の男と情を交わしながら自らの生きざまを述懐する。
 鹽津城(しおつき)(2022)L県沖の日本海で起こった大地震の結果、広範囲の鹵害(ろがい)が発生する。一方、疾病が蔓延する世界では漫画家の一行が故郷を目指す。

 『自生の夢』に収められた「海の指」と「鎭子」のうみの指は同じものなのだろう。ただ(奇妙ではあるが)実存する世界として描かれた前者に対し、本書でのそれは主人公の心象風景のようにも解釈できる。他の作品も同様なのだが、共鳴/反発し合う複数の幻想と現実の物語を(どちらが本当なのか明らかにしないまま)あえて併存させている。

 表題作の世界設定はさらに複雑だ。日本海地震で鹵害が広がるもう一つの日本と、人口が激減した22世紀の日本。そして、休筆中のベストセラー漫画家が車で旅をする2050年では、正体不明の難病である鹹疾(かんしつ)が流行している。時間線はそれぞれで異なる。漫画家の創作(真)が鹵に侵された世界(偽)のように見えるけれど、それも不確かに描かれている。ただ1つ「鹽津城」という言葉だけが、散逸する異界を繋ぎ止めるアンカーのように作用する。

 枠物語のようでいて入れ子構造ではない。鹽、鹵、鹹と見慣れない(読めない)漢字による異化効果も駆使される。現在の飛浩隆の頂点ともいえる傑作中編である。