早川書房から出ている『円』の姉妹編にあたる短編集。全部で13編を収録し(KADOKAWA版2冊を含めれば)これで著者の中短編はほぼ網羅された。既存3冊に含まれなかった作品にもかかわらず、残りもの的な半端感はない。軽重兼ね備えた内容があり『円』と併せれば、濃縮版劉慈欣として楽しむことができる。
時間移民(2010)環境汚染と人口爆発から逃れるため、人工冬眠による未来への移民が実施される。計画人数は8000万人に及び、目覚めは120年後だった。
思索者(2003)脳外科医の主人公は、急患が出た天文台で若い天文学者と出会う。彼女は恒星の瞬き(シンチレーション)を研究しているという。
夢の海(2002)突然空中に現れた球体は、自らを異世界から来た「低温アーティスト」と名乗った。創作意欲に駆られたと称して、氷の収奪を強行するのだ。
歓喜の歌(2005)国連最後の演奏会が開かれていた夜、夜空に異変が生じる。もう一つの地球が出現したのだ。正体を確かめるべくスペースシャトルが接近する。
ミクロの果て(1999)世界最大の粒子加速器によるクォーク衝突実験が行われる。しかし、大統一理論の実証を企図した実験結果は思わぬ現象を生む。
宇宙収縮(1999)宇宙の収縮が始まるらしい。それは遠宇宙で起こる現象に過ぎず、地球への影響はないと思われた。けれど、予測した教授の考えは違うようだった。
朝(あした)に道を聞かば(2002)地球を一周する粒子加速器〈アインシュタイン赤道〉が突如消滅する。人の姿を模した非人類「リスク排除官」が理由を語る。
共存できない二つの祝日(2016)青色惑星の誕生の日はいつなのか。惑星の生物が地球を離れた日こそ誕生日になるはずだった。
全帯域電波妨害(2001)内戦の勃発とそれに呼応したNATO軍の侵攻により、ロシアは劣勢に立たされる。反攻のためには、圧倒的に不利な電子戦での挽回が必須だった。
天使時代(2002)絶望的な飢餓を克服するため、アフリカの小国で倫理的に許されない技術が用いられる。アメリカは空母打撃群の軍事力により殲滅を図る。
運命(2001)ワームホールに落ち込んだことに気づかなかった宇宙船は、衝突軌道にあった危険な小惑星を移動させるのに成功する。しかし、戻って見た地球の姿は。
鏡(2004)そのターゲットは警察の内部情報ばかりか、リアルタイムの行動まで把握しているようだった。ターゲットは気象シミュレーションのエンジニアだという。
フィールズ・オブ・ゴールド(2018)発射時の事故により帰還不能となった宇宙船に、冬眠状態で延命を図る1人の宇宙飛行士がいた。世界から救援の声が上がるが。
冒頭から4作「時間移民」「思索者」「夢の海」「歓喜の歌」までは、いかにも劉慈欣らしい悲壮感と希望とが混ざり合う正統派SF作品だ。
《三体》の主人公でもある天才科学者、丁儀または丁一(どちらも、発音はディン・イー)ものが「ミクロの果て」「宇宙収縮」「朝に道を聞かば」「共存できない二つの祝日」の4作品である。お話としての関連性はないが、初期(1999年)2作の集大成として3年後の「朝に道を聞かば」が書かれ、《三体》に発展していくと考えればつながってくる。その後の「共有できない二つの祝日」は(科学者といえば丁なので)スターシステム的に割り当てられたのだろう。
劉慈欣のミリオタ的な嗜好と、親露的な価値観がないまぜとなった「全帯域電波妨害」、傲慢なアメリカを描く「天使時代」は他の国では書きにくいお話といえる。とはいえ、ウクライナに侵攻するロシアや、ガザを空爆するイスラエルとも相似するのだから、人類の醜い本質を突いた作品ともいえる。
これらの中で最大の異色作は「鏡」だろう。気象エンジニアが見せるものはシャーレッド「努力」に出てくる装置と(理屈は違えど)同じものである。しかし、ここではもう一歩踏み込んで、あからさまな真実が常に正義なのかという疑問を問う。正義を貫くために社会が毀れても良いのか、という異論をあえて置いている。著者にしては珍しい政治的な主張である。
- 『円 劉慈欣短篇集』評者のレビュー