The Ballad of Black Tom,2016(藤井光訳)
著者は1972年生まれ、母親がウガンダ出身なのでアフリカ系アメリカ人作家である。コーネル大学、コロンビア大学大学院で学び作家を志すのだが、文学の中にホラー要素を紛れ込ませるという作風をとる。作品数は多くないが、世界幻想文学大賞、ブラム・ストーカー賞を受賞するなど高評価を得ている。本書は2017年のシャーリー・ジャクソン賞(ノヴェラ部門)、英国幻想文学大賞(同部門)受賞作。
1924年、ニューヨークのハーレムに住む主人公は、ギター弾きの真似事をしながら怪しげな取り引きで生きていた。ある日、ブルックリンの金持ち白人から思いもしない大金を提示され、自宅のパーティで演奏するよう依頼を受ける。金持ちの周辺には、粗暴な探偵や独自の調査をする刑事が出没する。邸宅は近隣の住人からも恐れられているようだった。彼はその中で、恐るべき光景を目撃する。
本書(中編小説)にはベースとなった小説がある。ラヴクラフト「レッド・フックの恐怖」(1925)である。訳者解説にあるように「レッド・フック」はクトゥルーものではないが、ある種の黒魔術もの。刑事マロウン、金持ちの隠者ロバート・サイダム、レッド・フックにある邪教の巣窟などが本書と共通する。ラヴクラフトは一時期ニューヨークのレッド・フック地区に住み、その周辺に集まる外国からの移民の姿を見ていた。不遇だった境遇のせいもあるが、十把一絡げの黒人や、イタリア人、クルド人(邪教の徒)などへの嫌悪感は今日的には物議をかもす。
世界幻想文学大賞のトロフィーは、1975年以来ラヴクラフトの胸像だった。しかし、作品を含む人種差別的な姿勢が問題となり、2017年に別のデザインに変更された。ただ著者は、少年時代にキング、シャーリイ・ジャクスン、クライヴ・バーカーと並んでラヴクラフトを偏愛していたのである。真相がわかった後も、愛憎交錯する中で単純に排斥したりはせず、自分なりにラヴクラフトを語り直そうとする。本書には、黒人の主人公が登場する。ハーレムとブルックリンのように、黒人と白人の居住地が明確に分離された、20世紀初頭のニューヨークはある意味生々しい。そこにラップ由来の「至上のアルファベット」を交え、邪教も外国の宗教ではなく深海底の〈眠れる王〉を崇めるものとして描き出す。
世界共通のパブリックドメインともいえるラヴクラフト/クトゥルーは、単純に扱ってももはや新味や恐怖感などは得られない。古い価値観も時代にはそぐわなくなった。とはいえ、こういった形でのリニューアルならば、21世紀のラヴクラフトとして支持されるだろう。