著者は1975年生まれ。少年ジャンプ+で連載した『タテの国』(縦スクロールで読むコミック)で話題を呼ぶ漫画家だが、本書が(私家版を除くと)初の単行本、それも小説である。カクヨムで連載された表題作(昨年私家版でも出した)を加筆訂正し、新たに書下ろし短編1編を加えた作品集だ。
未来経過観測員:超長期睡眠技術が生まれ、生身の人間による未来の調査にこそ意義があるとされて観測員が生まれた。100年ごとに1か月を過ごして、その時々の社会をレポートする仕事なのだ。それも5万年後までの500回にわたって。目覚めるたびに、未来社会は様相を変えていく。
ボディーアーマーと夏目漱石:地球温暖化が究極まで進み、人々はボディーアーマーの中で生活している。脱いだら短時間で死ぬ。そのアーマーも部品不足で次第に減っていく。ある日、主人公は廃墟の書店でツタに絡まれ動かない一台を見つけるが。
未来をめがけて(比喩的に)飛んでいくという設定は、原初の『タイムマシン』以来の普遍的テーマだろう。超長期睡眠でも駒落としで時間経過が生じるのだから、タイムマシンと同様の働きをする。そこには社会的な問題も、宗教的、哲学的な問題も込められるし、目も眩むような超未来の光景を描き出すことも(書きようによっては)可能である。
本書は300年目(第3章)で様相を変える。孤独な時間旅行者だった主人公に新たな道連れが加わり、受動的な「観測員」ではなくなっていく。時間に加えて(宇宙から電脳までの)空間的な広がりも増す。そういう意味では、人間とは限らない仲間たちによる冒険と救済の物語となるのだ。イーガン風と言うには直感的に過ぎるが、ちょっとありえない驚きのアイデアも登場する。
一方の「ボディーアーマーと夏目漱石」では意外なところに夏目漱石の作品(全集)が出てくる。人類の終末に本が読まれているのだが、そこに書かかれた社会風俗は読み手の現実とは全く異なっている。本が選ばれた理由も哀しい。燃え上がる世界と残った本との組み合わせは、まるで逆転した『華氏451度』(本が残って人が燃える)と『旱魃世界(燃える世界)』の組み合わせのようだ。