砂川文次『越境』文藝春秋

デザイン:中川真吾

 著者は元自衛官の芥川賞作家として知られている。本書は、文學界2023年1月号~3月号に集中連載された長編。2020年の短編「小隊」と同じ時間線上にある近未来ミリタリ小説/ロードノベルである。「小隊」は、北海道にロシア軍が侵攻した後、それに直面する自衛隊の凄惨な最前線をマジックリアリズム的に描いたものだ。文春オンラインでコミック版が読める(現在連載中)。

 主人公は対戦車ヘリの副操縦士だった。輸送ヘリとのチームで旧釧路空港に飛び、支援物資空輸の護衛任務に当たっていたが、急襲を受けて部隊は全滅する。しかし、ダム湖に墜落した機体よりかろうじて脱出し生き残る。そこから、元自衛隊の猟師とロシア難民だった女に拾われ、境界の向こう側の世界が次第に顕わになっていく。無政府状態となった釧路の市街、得体の知れぬ黒幕が住む標茶、要塞化された旭川、何事もなかったような札幌と舞台は目まぐるしく変転する。

 侵攻から10年が経っている。侵攻軍はロシア側から叛乱と切り捨てられ、一方で反政府派が難民として北海道に流入するのは黙認される。侵攻とは認めない日本政府も、これは戦争ではなく国内の騒擾でありテロ事件なのだと見なす。侵入を許した自衛隊に責任を負わせ、事態収拾の主体を重武装化した警察治安部隊に移そうとするのだ。納得しない自衛隊の一部は離反する。その結果、道北と道東の大半は旧ロシア軍と旧自衛隊という独立した軍隊(影響力行使のため、日露政府はそれぞれの武装勢力を支援している)と一般のロシア人と日本人が混在する異境となり、無法状態が呼ぶ民兵や犯罪者の巣窟とも化している。

 北海道に中東かマッドマックスのような世界(グラディエーター風のアリーナシーンまで)が現出する、それも恐ろしくリアリスティックに。このリアルさは、著者の専門とする軍隊用語の過剰な駆使(まさにマジックリアリズム)と、異様さが際立つ登場人物(バフチンやプーシキンらを滔々と語る)、純文特有の執拗な(数ページにわたる段落なしの)描写による相乗効果なのだろう。

 ただ、本書には多くの冒険小説やミリタリ小説で見られる一方的な勝利も、復讐譚もカタルシスもない。パレスチナのように、兵士や民兵だけではなく、一般市民の大人も子どもも無差別に死ぬ。先輩や知人なども容赦なく死ぬ。そういう不条理な非日常が戦場では日常化し、主人公の精神を蝕んでいく。クライマックスは札幌なのだが、この結末は苦く恐ろしい。いまの世界に満ちあふれる「戦時」を反映した迫力ある大作である。