
昨年末に出た本。著者は1959年生まれの文芸評論家。人文学、映画、特撮やアニメなど幅広い領域の著作を持つが、一人のSF作家の作品に絞った評論は本書が初めてになる。ディックに関しては、亡くなった1982年の翌年に評論/エッセイ集『あぶくの城 フィリップ・K・ディック研究読本』、4年後に『悪夢としてのP・K・ディック』が出るなど日本での関心は高かった(本書中でも言及されている)。評論の翻訳も複数あり切口もさまざまだが、ここでは網羅的な作家論にいきなり踏み込むのではなく、特定の作品から浮き上がってくる共通点を読み解くという手法が採られている。
第1章 ディックが始動する―中短編と三つの初期長編:初期中短編では各種アイデアが試された。西海岸的想像力、郊外化と連戦の日常化、遊戯性あるいはゲーム性、自動化と複製、という4つの特徴がある。さらに2つの普通小説と、3つの初期長編に注目する。
第2章 『宇宙の眼』における冷戦時代の悪夢:普通小説に近い設定で『オデュセイア』の形式が用いられる。バーブ教(イスラム教シーア派の一派)の世界、ピューリタン的清潔さと道徳の世界、陰謀論にまみれた孤独な独裁者の世界、隠れ共産主義者の世界を描く。
第3章 『高い城の男』における歴史の改変と記憶:4つに分割された改編アメリカで、裏返された冷戦体制(日独=米ソ)、ナサニエル・ウェストとユダヤ迫害との関係、ウォード・ムーアの歴史改編された南北戦争との対比、日本文化との関係を解き明かす。
第4章 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』における修理された世界:映画と小説との本質的な違い、自己言及されるジャンル小説(スペースオペラ)とオペラへの傾倒、『魔笛』との関連、他の作品でも登場するレイチェルの意味、聖なる愚者イジドア。
第5章 『流れよわが涙、と警官は言った』における涙と抱擁:第二次南北戦争後の世界が舞台だが、時間保存=時間結合(一般意味論からの流用)により人生は揺らぎ、ダウランドの歌詞〈流れよ、わが涙〉のままに、偽物となった者と本物との関係が問われる。
終 章 回帰する場所を求めて:神秘体験から生まれた『ヴァリス』作品群には政治、宗教、哲学、実生活すべてが融合している。さらに、カイヨワによる4分類による作品分析、ディックが好んだ形而上詩人ヘンリー・ヴォーンの〈帰途〉との関係を述べる。
著者はSFを専門とする研究者ではない。従って、ここで展開された議論の多くは、マニアックさを排した読み解きになる。ディックは個々の作品の出来にはこだわらず、ストーリーやキャラをリサイクルしながら、総体として(ディックなりの)本質に迫ったとする。普通小説としての価値や、文学(ディックはジョイスを好んだ)、歌劇(オペラやアリアが重要な意味を持つ)、詩(17世紀の詩からの引用が多い)などに関する指摘は、評者のようなジャンル読者には面白い。ディックの目指していたものは、われわれが思うよりずっと文学的だったとわかる。
- 「帝国は終滅しない P・K・ディックの一年」評者のコラム
(ディック死後1年間の評論、インタビュー、座談会などをコラージュした記事。ノヴァ・クォータリー1983年4月 58号に掲載されたもの)